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嬉野

時間がぽっかりと空いたので、佐賀へ行くことにした。出発の2日前に思い立ったので手頃な宿が取れるか心配だったが、鄙びた古い温泉宿に部屋を確保できた。嬉野を訪れるのは初めてのこと。今回は宿でゆっくりと本を読もうと思い、図書館で借りていた本2冊をバッグに押し込んだ。

到着したのは11時頃。嬉野は温泉湯豆腐で知られている土地らしい。たくさんある中、どの店にしようかと迷い、結局、観光客にも人気という老舗豆腐屋の湯豆腐定食に決めた。湯豆腐は、専用の調理水で温めると湯が白濁する。まるで豆乳の中に浮かべているかのよう。あまりの美しさに、食事中だというのに思わずカメラのシャッターを切る。

隣の席には中国からの観光客3名。70代くらいと落ち着いた年齢の人たちで、静かに、美味しそうに湯豆腐を食べている。柔らかな湯豆腐は、湯の中で気持ちよさそうにゆらゆらと揺れ、ゆっくりと湯に溶け出していく。ごまだれとポン酢の器を交互に使い、たっぷりの量の湯豆腐をするすると胃の中に収めていく。

小鉢には寄せ豆腐の冷奴となめらかな白和。食後には豆腐が溶け出した湯で雑炊をつくる。まるでクリームを入れたのではないかと思うほどの濃厚さで、もはや雑炊というよりもリゾットだ。おなかはいっぱいなのに、残すのがもったいなく、すべて食べ切ってしまう。

チェックインまではまだ2時間半ほどある。観光地はいろいろあるのだろうけれど、暑さもあり、外を歩いて回る気にはなれない。わたしはよく、旅先で図書館に行く。なじみの図書館には置いていない本との出会いもあり、結構に楽しめる。今回も2時間ほど滞在している間に、たまたま手に取った本から仕事のアイディアが浮んだ。

15時ちょうどに宿に着いてすぐ、温泉へと向かった。宿の温泉は岩風呂で、源泉掛け流しらしい。大人3名が入ればいっぱいになる狭い風呂だったが、時間が早いこともあってか貸切だった。少しとろりとした湯はやわらかく、肌にやさしい。ぬるめの湯にゆっくりと浸かり、汗を流した。

部屋は6畳で、トイレは廊下にある。眺望は望めないが、部屋にこもって本を読むのが目的だからなにも問題はない。さっそく湯上がりに用意してあった布団を敷き、寝転がって本を読む。時間はあっという間に過ぎ、気づいたら18時半になっていた。昼間おなかいっぱい食べたので、まったく食欲がない。けれど、せっかくの旅なので、地元の店に入ってみたい。

宿の女将さんにおすすめを聞くと、歩いて3分ほどのところにある焼き鳥屋を紹介してくれた。週末は予約をしないと入れない人気店らしい。1名と告げると、すぐにカウンターに通された。ここ最近、冷たい飲み物は控えているので、ビールは頼まない。せっかくならと、おすすめの酒を訊ねてみると、宿の近くに造り酒屋がある井手酒造の「虎の児」を勧められた。

ほんのり甘くて飲みやすい。枝豆と串を数本だけ頼み、カウンターの上に設られたテレビをぼんやり眺めながら、ゆっくりと酒を飲む。自宅周辺には歩いて行ける飲み屋がないので、旅先で料理と酒が美味しい店に出会えると心が踊る。会計を済ませて店を出て、人気のない住宅街をほろ酔いで少しだけ歩いた。おすすめだというバーでもう1杯だけと思ったものの、あいにく店は閉まっていた。

翌朝は5時に起き、塩田川沿いを40分ほど散歩した。近くの神社にもお参りし、戻ってくる頃には汗だくだった。6時から利用できる宿の温泉に浸かり、さっぱりとする。部屋に戻って、10時のチェックアウトまでまた寝転がり、本の続きを読んだ。

帰りには地元の老舗和菓子店で丸ぼうろを、豆腐屋で温泉湯豆腐と調理水を買う。自分への土産があると、数日間、旅の余韻を味わえる。せっかくならと、地元の母にも丸ぼうろを買い、途中にあったクロネコさんで発送した。


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