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【短編】そして彼女は今でもそばにいる #ひかむろ賞愛の漣

久しぶりね、という再会の挨拶もそこそこに、美和は何気なしに言った。

「わたし、もうすぐ死ぬの」

カフェの中で一番日当たりの良い席、陽の光を受けた美和の肌はとても白い。だが決して病的な程ではなく、むしろ血色感をともした頬が以前よりも美和を魅力的に見せている。

彼女は大学の頃から噂になるほどの美人だった。どこから見ても完璧な美和は男どものマドンナで、かといって同性から嫌われているということもなく、誰にも媚びない凛とした姿勢が格好良かった。

そんな彼女が「死ぬ」なんて口にしていること自体が違和感で、まるで小説みたいだと思った。

「去年、結石が見つかったのよ」

「結石?」

「えぇ、背骨にね」

美和の言葉が店内の雰囲気がガラリと変えたように感じたのは、きっと俺だけだろう。後ろの席についた若い夫婦は楽しそうに談笑していた。

「この間の検診で見たら二カラットくらいの大きさになってたし、余命もあと少しだと思うのよね」

「もうすぐ雨が振るわね」と天気の予想でもするように自分の死期を話すので、俺は黙ってコーヒーを啜ることしかできなかった。

”背骨の結石”がはじめて見つかったのは、俺が生まれる前のことらしい。

東北の片田舎で天寿を全うしたおばあさんの、火葬後に発見された小さな石。一カラットにも満たないサイズのダイヤモンドが、純白の欠片の中で輝きを放っていた。

はじめは何らかの理由で混入したのだろうと思われたが、その後生きている人間からも背骨の継ぎ目を侵食する鉱石が確認された。石はガーネット、トルマリンなどと多種多様で、そのどれもが細胞のごとく成長していたとなれば、誰もが認めざるを得なかったのだろう。

もはやこの「鉱石症」を知らない人はいないので言葉自体に驚きはしないが、発症するのはほとんどが天寿を全うせんとする老人だった。

「珍しいことみたいだけど、症例がないこともないのよ。他の病気で亡くなる人たちと一緒で、わたしの寿命がそこまでだったってことね」

「そこまでって、そんな簡単に言うなよ」

俺が何を言ったところで美和の覚悟は決まっているだろうに、言わずにはいられなかった。そんな人の気も知らない仕草の美和がもはや憎らしい。

「それでね、大輔にお願いがあるの」

声を潜めるでもなく、神妙な口調を使うでもなく彼女は言う。

「私が死んだら、石を海に投げて」

ざわついた店内がうるさくて、よく聞こえなかったふりをする。しかし彼女の言葉は変わらず、俺は目をそらして美和の綺麗な指先をじっと見つめていた。


✳︎


火葬後に見つかる石は形見として、家族や友人のもとに遺されるのが一般的らしかった。

彼女の願いにせめて理由を求めると、以外な答えが返ってくる。

「プロポーズしたんでしょ、雪乃に」

美和は声のトーンを落とすことなく言った。

「人伝に聞いたの。おめでとう。それでね、お互いに人生の節目だしちょうどいいと思ってお願いしたの」

「ちょうどいいって、結婚と葬式じゃあ天と地ほどの差があるだろう」

「それはわかってる。でもわたしには親もいないから遠い親戚が色々してくれることになってるけど、さすがに身内に全部背負わせるのは悪いじゃない」

「俺だったら良いっていうのか」

「大輔なら、付き合ってた頃の思い出と一緒に捨ててくれるかなって思って。これからは雪乃と一緒に生きていくわけだし」

そんな風に言われたら、首を縦に振れないくせに断る言葉も出てこない。

俺と美和は、ほんの一年程度だが付き合っていた時期があった。みんながそうだったように、俺も美和に惹かれていた。

奇跡的に成功した告白から一年、俺から別れの言葉を告げるなんて微塵も思わなかった。最後の時さえ、顔を引きつらせていたのは俺の方だっただろう。

「海じゃなくても何でも良いわ、方法は任せるから。ただすっきりしたいだけなの。立つ鳥後を濁さずってね」

美和は「雪乃にもよろしくね」とだけ言い残して出て行った。

気がつけば昼時を過ぎた店内はがらんとしていて、後ろの席にいた若い夫婦もいつの間にかいなくなっている。

考えがまとまらないうちに家に着くと、雪乃が出迎えてくれた。半同棲状態なので彼女がいることはわかっていたのに、なぜか少し動揺する。

雪乃とは大学で知り合った、というより俺と美和と同じゼミの仲間だった。

美和とは正反対の性格で、物腰が柔らかい代わりに人に強く物を言うことがなかった。自分が我慢して済むなら迷わずそうするし、誰かに悲しい出来事があると一緒に泣くような優しい人。

部屋着に着替えてソファに身を預けると、二人分のコーヒーを持った雪乃が隣に座る。

「美和、元気だった?」

「うん、元気ではあったけど、」

どう説明したら良いか分からず、美和の話をそのまま反芻した。目を見開いて驚く雪乃の顔に、俺もこんな風だったのだろうと他人事のように思う。

話を聞き終わった雪乃は、美和よりもずっと真面目な顔で問いかけてくる。

「石、どうするの」

「正直言うと迷ってる。でも美和がそうして欲しいなら、」

言葉を続ける前に、雪乃が首を振って制する。

「そんなの絶対にダメ」

彼女にしては珍しいほど凄みのある声。俺は口をつぐんだ。

「絶対にダメ。美和は大輔が好きだったのに、わたしが奪ったから、」

雪のは震える手で飲みかけのコーヒーをテーブルに置いた。

「わたしはずっと大輔が好きだった。美和と付き合ってた頃からずっと」

そんな話、今の今まで聞いたこともなかった。だって付き合い始めたのもプロポーズも当然俺からで、雪乃はいつもふわりと笑うだけだったから。

「美和はたぶん、気づいてた。だから大輔と別れたんだよ、わたしのために」

だから捨てちゃ駄目、と言う声は涙と共に零れ落ちた。雪乃はよく泣く人だけど、この涙は違う。

優しい彼女のことだ、ずっと悩んできたんだろう。俺は雪乃と付き合い始めて、穏やかな彼女といると心が安らいだ。だけどその間にも彼女の気持ちには暗い影が落ちていたのかもしれない。

そう思うと堪らなかった。

「違う、違うんだよ、雪乃。美和に別れようって言ったのは俺なんだ」

雪乃が勘違いしたのも無理はない。俺も美和も他人にプライベートをあけすけにするタイプではないから、自然と「俺が美和に振られた」という構図ができてしまったのだろう。

だがそれは違った。

「美和には本当に好きな人がいたんだ。それでも良いからって付き合ったんだけど、結局は駄目だった」

「本当に、すきなひと?」

話しても良いものかと逡巡したが、このままではも幸福にならない気がして、美和に罵倒される覚悟で言った。

「雪乃だよ。美和はずっと、雪乃のことが好きだったんだ」

それから俺が話したことを、雪乃は相槌も打たずにただ聞いていた。言葉を追うので精一杯だったのだろう。

美和は数多の男どもの告白を二つ返事で断っていた。彼女の眼鏡に適う男なんておらず、俺も駄目もとで告白した一人に過ぎなかった。

それが奇跡的に付き合えたのは、俺が「もしかして女が好きって本当なのか」と無神経に噂を口にしたからだろう。

美和は顔を引きつらせ、睨むようにして言った。

「絶対に雪乃には言わないで」

その時の美和の気持ちは俺にもわかる。美和の気持ちに雪乃が気がついたら、きっと誰よりも悩んだだろう。良き友人だと思っていた相手からの告白は異性間だって悩ましいのに、同性間で答えを出すのにはどれだけの勇気が必要だろう。

俺はそんな彼女の思いにつけ込んだ。誓って脅しのようなことをしたわけではないが、それがきっかけで付き合えたことは事実だった。

それから美和がどんな気持ちだったかはわからないが、俺は自分から言い出したくせに「全部雪乃のためなんだろうな」と考えることをやめられなかった。

デートもプレゼントも、俺の家に来たことさえもすべて回り回って「雪乃」のため。自分が利用しろといったのに、利用されていると思うことに耐えられなかった。

だから俺は美和に別れを告げた。彼女は「ごめんね、でもすっきりしたわ」と一言残して去っていった。

それから美和とは疎遠になり、そばにいてくれた雪乃の優しさに落ちてしまった。美和が「雪乃に言わないで」と言った理由が痛いほどにわかって、これが本当の恋だと身勝手に思った。けれど雪乃を想う美和の瞳が頭から離れない。

だから美和から連絡がきたとき、俺は真正面から詰られるのだと思っていた。むしろ彼女にきつく罵倒されれば踏ん切りもつくだろうとさえ思っていたのに、美和は恨み言の一つも言わなかった。

雪乃が泣いている。俺も涙が止められなかった。すれ違いながら溜まった澱が、ゆっくりと溶けていく。



それから俺たちは二人で泣いた。しかしすぐにそんな暇はないと気が付き、美和と連絡をとったが繋がらなかった。共通の知人にも声をかけたが、美和と連絡をとれる人はいなかった。

それから二週間して、俺宛の小包が届く。差出人は美和だった。

中には透明な小さい箱、一粒の透明な石が梱包されていた。

「アメジストだ、」

雪乃がぽつりとつぶやく。薄い紫がかった透明な石は、触るととてもなめらかで、陽にかざすと優しい世界を見せてくれた。

本当にすっきりしたいだけなら骨壷にでも入れてもらえばいい。なのに美和は俺を、そして雪乃を選んだ。

きっと何もかも、彼女の掌の上だ。

俺も雪乃も、心のどこかで「幸せになっても良いのか」と思い続けてきた。考えれば考えるほど、何もかもが許されない気がしていた。

それなのに今更美和に許されてしまったら、全部水の泡だ。もう雪乃を愛する気持ちしか残らない。

美和の残したアメジストは、雪乃のネックレスになった。きっと「思い出も石も全部捨てて」という意味で送ったのだろうが、俺に任せた美和が悪い。いつか俺と雪乃がそっちに行ったら、その時に怒ってくれたら良い。

そうしたら美和も、少しはすっきりしてくれるだろうか。




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お読み頂きありがとうございます!

この短編は#ひかむろ賞愛の漣 に参加するために書いた小説です。

この場を借りて運営してくださっている光室さんに感謝を✳︎

石って、パワーストーンっていいですよね。

思えば中学生くらいの頃に、最寄りの駅に入っていたストーンショップで感銘を受けてからずっと好きでした。

石言葉とか波動とか、当時の小説書き始め真っ最中だったわたしの心にぐっさり刺さったんです笑

想像力を掻き立てられて色々書いたのはもはや黒歴史ですが、やっぱり今でも見るたびに浪漫だなぁと思います。

この美しい石はどんなところで形成し、どうやってわたしのところまで届いたのだろう。

人と人との出会いが尊いように、きっと人と石との出会いも尊いのでしょうね。石に限らずその人が大切にしている「もの」には、その人にしかわからない絆が宿るのかもしれません。

将来的には動物の言葉が翻訳できるようになるそうですが、「もの」の気持ちもどうにかわかるようにならないでしょうか、ね、科学者の皆様。




蛇足になりましたが、いかがだったでしょうか。楽しんでいただけたら幸いです。

ありがとうございました!

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