体温は測るものではなく、


ひとは37度前後の他人の体温がないと眠れないようにできている、と先日読んだ本に書いてあった。

なるほど、と思って、だから最近のわたしは恋人の体温がないと寝付きが悪いのか、と納得した。

話の真偽はともかく、わたしはひとりだと寝付きが悪いことが増えた。

今時期はまだ肌寒いこともあるが、わたしは体温が高い方だから、おそらくそれはあまり関係がない。

他人の重みでたわんだベットは、なぜかよく眠れる。ひやっとしないポリエステルのマットレスは正義だが、それだけでは説明のつかない心地良さに包まれる。


***


とはいえ、24時間ひとと一緒にいたいとは思わない。丸一日眠っているならともかく、8時間の睡眠以外を活動にあてるなら、半分はひとりで過ごしたい。今の職場が社員旅行のない会社でよかったとつくづく思う。

わたしは器用でも、外向的でもないから、ひとりでいる時間がないと頭の中がうまくまとまらず、至るところで丁寧さを欠いてしまう。

良いプレゼンをするためには資料づくりがいるように、ふたりで過ごすためにひとりの時間が必要で、ひとりの時間があるからふたりでいることに全力で心を傾けられる。そのサイクルが適正な距離感だと思っていた。


だが、その考え方のままでは誰かと生活することが難しいとも感じていて。

恋人と自宅で夕食を食べたあと、おしゃべりするでもなく、ゲームをするでもなく、お互いに好きなことをするでもない沈黙した時間が実は苦手だった。

ひとりの孤独よりも、ふたりの孤独の方がより寂しい。心の傾け先を失うと、ひとといる不自由さばかりが顔を出して、ひとりでいることに逃げたくなった。

そこで自ら「じゃ、わたし漫画読むから」とか「ゲームの続きやろ」とすっぱり言えたらいいのだけど、わたしにはそれがうまくできない。

その提案がふたりにとって良いことなのか、いくらか身勝手ではないか、と考え始めると、ソファにもたれて天井を眺めるくらいしかできることがなくなってしまう。


しかし、その話をしたら恋人は「きみの好きなことをしていいよ」と言った。

真剣に話したのに、いささか主体性に欠けるんじゃないか、と思ったが深く掘り下げてみると「ふたりにとっていいかどうかはわからないけど、ぼくはきみがいい方がいい」という意味らしかった。

わたしの考え方とは、なんか違う。でもそれはとても「ふたりでいること」だなと思った。

ふたりでいることは、一個がふたつ集まっていることではなく、「あなたとわたしがいること」だ。おしゃべりも、沈黙も、あなたとわたしで成り立っている。

ひとといることを、少し気負い過ぎていたのかもしれない。


***


ひとりでも健やかでありたいし、自分が何かに依存していると感じることは精神を蝕む。それは長い夜の経験が示してくれている。

ひとりの眠りは、誰にも打ち明けられない秘密を守ってくれた夜を、嗚咽を漏らさないように顔を埋めた寝具を、夢も見ずに沈んでいく心地良さがあったことを思い出す。それに包まれてぬくまるベットは優しい。

それも、決して悪いひとときではなかった。だがそれと同じくらい、ひとと眠ることを愛したいと思うし、愛せるだろうと思う。

どちらを軽んじるでもなく、付き合っていけたらいいなと思う。


おやすみなさい。良い夢を。




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小説を書いています。




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