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リワーク日記92 仕事で指導を受けただけで自分はダメだと思ってしまった時…

寒いですね。寒いだけで気が滅入ります。冬眠したいです。でも人間は冬眠しないので寒くて暗い陰鬱な冬でも生きるために働かなくてはなりません。冬を「寒くて暗くて陰鬱だ」と解釈するから苦しいのでしょうか?冬を「暖かさが最も心地よく、陽の光も街の光も美しく、空気が澄んだ清らかな季節」だと解釈することもできます。一方で、日照時間が短く低温で生命活動が最も低調な季節であることに変わりはなく、動物も植物も春の目覚めを待っています。私には、冬の忍耐があるからこそ春の訪れは華やかで美しいのだと考えるのが精一杯です。早く暖かい季節が来ないかな。

そんな私のことなどお構いなしにお仕事面では、冬眠から目覚めたかのように様々な取引先からの様々な要求が一気になだれ込んできて、早くも残業が増えつつあります。せっかく落ち着いたと思ったのに…。そんな時に身体は正直に反応するものだと改めて感心しましたが、早速ニキビができてしまいました。私にとってニキビは疲労の第一サインです。クライシスプランに従ってこれ以上心身の状態を悪化させないように自分をケアすべきタイミングが訪れたことを意味します。

いくら仕事とはいっても、常に他人を優先して自分を後回しにしていてはいつか必ず潰れてしまいます。疲労のサインが出た時には、ほんの少しだけ自分を優先して悪化を防ぐ方が長い目で見れば関係者の誰にとっても利益になります。「他の人に迷惑をかけてはいけない」のではなく、「誰しも他の人に迷惑をかけるのを避けることはできないのだから、誰しも他の人の迷惑に寛容になるべき」と考えれば、もっとこの社会は生きやすい場所に変わるでしょう。

言うまでもなく、私のそんな気持ちなどお構いなしに取引先の人たちは大声で自分を最優先に今すぐ要求を満たせとがなり立てて私に圧力をかけてきます。まったく、前年より10%も取引額を減らしておいてなお最優先チケットをよこせとは随分虫の良い要求です。最優先チケットは値引きして安売りするようなものではなく、より高値を付けてくれる買い手に提供されるものです。取引を増やしていただけない以上、順番待ちの列に並んでいただくよりほかありません。

という風に自分を正当化させながら、取引先からの苛立った声を聞き流しつつ焦らず無理せず自分のペースを保ちながら業務をこなしています。以前の記事にも書いた通り、特にこういう業務量が増加した場面で焦って無理にスピード対応しようとすると私は必ず特大のミスをしてしまいます。急がば回れ、の通りいくら相手が怒り狂おうとも、少しでも安全な道を選んだ方が仕事の成果にも、そして自分の健康にも好ましいのは間違いありません。私はスピード勝負の土俵では絶対に闘いません。

さて、いまだによく理解しきれないまま取り組まざるを得ない業務もたくさんある中で、上司から「これは違うぞ」と指摘を受ける場面が先日ありました。私はこういう指導を受けるのがとにかく嫌いです。なぜかと言えば、自分を全否定されているように感じてしまい受け付けられないからです。

ですが、上司は私を全否定しているわけではありません。普通は。いちいち全否定しにかかってくるような上司はただのパワハラ上司ですので即座に転職して良いでしょうが、通常であれば私の業務の一部についての誤りを訂正して正しい軌道に戻しているだけです。ですから私としては、軽く受け止めて気軽に学べば良いだけなのです。

なのにどうしてこんなに全身が痛み苦しい気持ちになるのでしょうか?たかだかちょっとした間違いの指摘と正答のレクチャーを受けただけで、体と心が裂けるような自己嫌悪を覚えないといけないのでしょうか?

リワークで教わったところによると、それは指導=自己否定という解釈に起因している、ということでした。指導を受ける自分は無能でダメな奴だと思い込んでいるのだと。まさに私はそう解釈してしまいます。指導は自分をより良くしてくれるためのヒントだと捉えたり、自分の人格とは無関係な仕事上のテクニックを教わったのだと考える等、解釈の変更をすることでそのような痛みを減らすことができると教わりました。

自分ではそれは理解して実践しているつもりではあるのですが、指導の言葉を聞いた最初の瞬間に頭を叩かれるようなダメージはやはり変わらないのです。今の私ができるのはせいぜい、ダメージを受けた後に自分をなだめ、なぐさめ、冷静さを徐々に取り戻していくことだけなのです。

上司の言い方の問題もあるかとは思いますが、もう少しこのダメージを最初から防ぐ手立てはないものかと思います。徐々に直っていくものなのでしょうか。そうだと良いのですが…。

とにかく私にとってはあらゆるものがあまりに刺激が強すぎるのです。特に他の人から発せられる言葉は。私の記事のほとんどは「いかに傷つき疲れ切った自分を癒すか」を語ったものですが、それは裏返すと「私は常に傷つき疲れを溜め込んでいる」ということでもあります。それほどまでに毎日毎日外界からの刺激に圧倒されダメージを負っているというのは決して誇張ではありません。こんなのでよくここまで生きてこられたと思います。

実際のところ、こんな状態でも生きていくためにこそ「他の解釈はないか」を常に探す必要に迫られてきたとも言えます。まともに真正面から他者の言葉を受け止め続けていたら本当に潰れてしまいます。なにせそれらの強刺激の言葉が耳に入るたびにダメージが生じてしまうのです。即座に自分に逃げ道を用意することが私にとっては生き残るために切実に必要なのです。

一方で、それは「字面通りの解釈をしない」という点で危うさも持ち合わせています。字面通り解釈をしないといけない場面でも、私は自分の許容範囲を超えてしまう時には、自分を守るために解釈を都合よく修正してしまいます。その行為が意図せず相手との間にズレを生み新たな問題を引き起こしてしまうケースもあり得るのです。

困ったものです。もうこうなるとどうすれば良いのかさっぱりわかりません。どちらにせよ危険をはらむわけですから身動きが取れないではありませんか。人間関係って難しいです。だから世渡りは苦手なのです。

それでも、もとより人間関係に正解などないわけですから、自分にできる範囲でやるしかありません。その「自分のできる範囲」の狭さを人に笑われたとしても。もう開き直ってやっていくのです。職業人生はその連続ですね。一体何の修練なのか不明ですが、この忍耐の先に暖かな春が待っているとしたら、それはどのようなものなのでしょうか?確かなのは、寒々とした人間関係に凍えないためにも、しっかりと心の防寒着を着込んだ方が良いということです。

というわけで心許ない結論を手繰り寄せてしまいましたが、今回はここまでです。是非次回も楽しみにしていて下さい。

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