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note復活して1ヶ月なんとかがんばったら400回スキのお知らせまでやってきた!

SNSあれもコレもは無理だからnoteとInstagramだけに集中することにした。noteは居心地がよい。誰も知らないところで呼吸がしやすい。ふー深呼吸!

=目次=
・「昔とった杵柄」なエッセイの話
・プラットフォーム「note」は原稿用紙に似ている
・note復活して1ヶ月なんとかがんばったら400回スキのお知らせまでやってきた

「昔とった杵柄」なエッセイの話

昔、エッセイの公募で賞をとったことがある。大阪在住のわたしに、東京の授賞式への招待状が届いた。往復の新幹線代やホテル宿泊費、副賞には海外のブランド時計や広辞苑までいただいた。授賞式パーティは虎ノ門にて。後援には官公庁。

そう言えば、受賞作品のエッセイは小冊子にもなった。すっかり忘れていたけど今、思い出した。そんなにたいしたこと書いてなかったんだけどな。原稿用紙に行間とって、さらさら〜って感じで。全然力(りき)んでなかったから、それがよかったのかも。

文章っていうものは、思いが強すぎるとアカンな、と思う。
起承転結考えて、力(りき)みすぎずリズミカルに。そういうのが読みやすい。
当時はちょこちょこ短い文章を原稿用紙に書いては送り、ささやかな記念品をいただいたりしていたなぁ。

プラットフォーム「note」は原稿用紙に似ている

なぜ今ごろになって、その受賞したエッセイのことを思い出したのか。
それには理由がある。このnoteという場所「プラットフォーム」はまるで原稿用紙のようではないか、と思うことがある。

アメブロを書いているときには、つねにブログランキングにこだわったり、他からの反応を意識していたと思う。文字の色やフォント、それに囲み線とか挿入したりして。そのうち「あれ?これってやりたいことだったっけ?」ってなる。

原稿用紙に向かっているときと、noteを書いているときの気持ちが似ている。
なんとなくnoteが呼吸しやすく感じるのは、そのせいかなと思う。


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note復活して1ヶ月なんとかがんばったら400回スキのお知らせまでやってきた

去年、noteを始めた。続けられると思っていたけど書くタイミングを失うと自分のなかで、どんどん向こうへ押しやられる。そしてしばらく間が空いた。何度かそういう波がやってきた。

でも今回はとりあえず「毎日更新する」が1ヶ月以上、続けられた。
コロナ渦で考えなければいけないこともたくさんあるけど、前に進もう!って思えてる。仕事に対する想いや家族のこともマイペースで、書いていこう。

気が向いたときに気が向いたことを書く。
noteってそういう原稿用紙なんだと思う。


ヘッダーのイラストはみんなのフォトギャラリーから使わせていただきました。




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