16才とまの話12最終。精神神経科

  十九日目

面長先生とこないだ陶芸をやったが、ついに小皿が完成したんだ。僕のと、先生のが。もちろん帰ったら見せるよ。
面長先生に僕をただの患者のうちの一人として見てほしくなかったが、確かな僕の証拠を彼は自分の陶芸に反映するだろうな。僕は僕の苦悩を持つとまという存在。先生は透き通るように青い彼の陶器を目にするにつけ、患者の枠から外れた僕を想起するだろう。彼は陶芸の際白衣を脱いでいたことは以前言ったが、それも僕を一人の人間として思い出す助けになるだろうね。どうかあの皿が割れませんように。僕は患者と言う記号で区別できるような愚にもつかぬ人間ではない。僕の苦しみはないがしろにできる程生やさしくはない‥‥‥。え、知ったこっちゃない?まあそう言わないでくれよ。
さっき面長先生との最後の会話をしてきたんだ。陶器を白衣のポケットから取り出して眺めているのを見て、陶器作戦はどうやら成功だなとほくそ笑んだね。ただ彼に「これを見て、元気にしてるかなと思うことにします」なんて言われた時は彼が僕の心を逸しているのを感じて、嘆息しかけたよ。
 わかってる、僕がいつまでもここにいる訳にはいかないってことぐらい。

  二十日目

 今朝起きて伸びをした時、脱皮をしたみたいに身体が軽かった。だが面長先生の気配が胸に染みついて、僕を勉強したいという衝動に駆った。今日はそういうわけで終日勉強してたよ。意外と飽きなかったんだな、これが。むしろ貪るように手を動かしてた。それでも「面長先生」に会うには程遠いけどさ。
  この情熱は盲目であっても果てしなく僕を生きいきとさせた。こんな状態になるのは本当に久しぶりだよ。そんで快い。生きるとは盲目になる事だろうか。ともかく今が幸せならそれで良いじゃないか!たとえ後に真実とやらと向き合う羽目になろうとも。
ただ、ちょっと矛盾していたのが、部屋の窓が開いていたんだけど、必死で勉強しながらもからすやすずめの鳴声をバックグラウンドミュージックにしていたり、頬が風に撫でられるのを感じて穏やかなムードになっていたこと。自然は、僕の故郷は、盲目の僕でさえも拒まなかった。自然は完全なる無為の世界として俗世の至る所に紛れ、どんな出来事も受け入れないが、それは拒むという事でもなかったんだ。彼らは何時も僕たちに気づかれるのを待っていたのさ。
僕はその時ふと、自然と俗世の諧和ということが果たして可能であるかと疑問に思ったんだ。僕の動悸はそれを邪魔している。では動悸がおさまったら両者が結びつくのか。僕にはわからない。わかってる人がこの世に一体どのくらいいるのだろうな。全く、羨ましい限りだよ。
じゃあレイン、僕は明日帰るから。帰ったら皆でピザでも食べて、踊りまくろう。

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