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人生で費やすすべてのお金、すべての時間を、できる限りもっとも価値あることに使うべき

私は地元の高校を卒業して直ぐ、東京のグラフィックデザイン学校へ入学するために、母親から預かった20万円を懐に、常磐線に乗りました。

20万円は入学金として消えましたが、一年間は、先に東京に出てバスガイドをしていた姉のアパートから、なんとか学校へ通うことが出来ました。

程なく、姉が他県へ嫁ぐこととなり、生活費を稼ぐために近くのコーヒーショップでアルバイトを始めました。しかしその時点では、学費を捻出するどころか、一日500円位しか使え無いような生活環境になっていて、学校も退学せざるを得ませんでした。

二十歳になった時、こんな生活をしていては”自分の人生がダメになる”と思い、新聞に掲載された広告デザイン会社の求人広告を見つけ応募し、運よく採用されました。

初月給で、今でいうリサイクルショップで買い求めたのは、古くて重たい木製の机と、小型の白黒テレビでした。この東京での初めての”自分の財産”と三畳間のアパート暮らしがかなりの年数続きました。

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それからまた暫くして、出会いがあり、結婚をし、一子をもうけたばかりの妻と、水戸に居を移した私たちが最初に住んだのは、地元の「促進事業団」が提供するアパートでした。

当時でさえ築20年をはるかに超えているように見えたその建物は、今にして思えば、東京の新築マンションから引越してきた夫婦には、信じられないような古さの狭い2DKでした。

この住宅は、もともと『移転就職者が住居を確保できるまでの間、暫定的に低家賃で住宅を貸与する』という目的の、当時月額8千円というびっくりするような家賃で入居できるものでした。

そんなことで、本来の入居期間は、2年間と短く制限されていました。契約は更新されることなく終了する決まりで、入居者は期間満了とともに住宅を「返還」しなければなりませんでした。期限が近づけば「退去勧告」が届いたのです。

しかし実際、その家賃の安さゆえに居座る(?)方々が多く、私たちも、3回の更新を経たように思います。そしてその4回目の更新前に転居したのが、市営の住宅でした。

市が管理する住宅は、私たちが入居した当時、文字通りの新築でした。市のモデル事業にも指定されるような緑あふれる好立地、好環境の建物で、以前の住宅とは雲泥の差の住まいでした。

この住宅には結局4年間住んで、その後、現在地に自宅を建てることになります。

そんなことで、その市営の住宅での思い出は、本当に短い期間でした。けれども、現在は揃って東京住まいの子どもたちは、まだまだ小さくて愛らしく、私も奥さんも30代後半で、生活は決して楽とは言えないものの、将来への希望が若さとともに輝いている、思えば私たち家族の「盛りの時期」でもありました。

「人生で費やすすべてのお金、すべての時間を、できる限りもっとも価値あることに使うべきである」
これは、万人に共通するゴールだと思います。解決策はシンプルで、何かが欲しくなったときは、どれほどそれが欲しいか、あるいは、それがどれくらい素晴らしいかを考えるかわりに、それを手に入れるために何をあきらめることになるのかを考えるようにするのです。

Lifehacker

この文章は、あらゆることには『機会費用』があることを説いたモノです。

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同じ頃、当時水府橋の袂にあった私の職場でもあるシティホテルの地下のバーで毎夜毎夜、熱く語り合っていた私と、MO氏(故人)との出会いがありました。

私が主宰し現在も継続する交流会は、間もなく、このふたりを筆頭に5人の発起人を揃えてスタートを切ることになります。その後どんどん仲間が増え、熱気は徐々に伝播して行きました。

当初、27年間も継続するこの姿を、私を含めた、おそらく当時の参加者の誰もが想像だにしていませんでした。

交流会は「一会倶楽部」(イチエクラブ)という名称です。もちろん”一期一会”という言葉から借用し、例会がまだ10回前後の頃に、参加者の方々の賛同を得て決定されました。

「一期一会」について以前、読売新聞にこんな寄稿がありました。

『一期一会とは美しい言葉である。一生に一度だけ会うということだが、人との出会いをそのような覚悟で迎えるという意味に転じた。「一期」は仏教で人の一生をいったものであるが、とくに茶の湯の作法と結びついて、一度かぎりの喫茶との出会いというところから「一会」とつなげられたのだろう。またこの表現が成立する背景に、禅の僧堂でおこなわれていた茶礼の伝統があったことを忘れてはならない。一期一会を最初に主張したのは千利休の弟子、山上宗二であるが、その考え方と作法を深め完成させたのが井伊直弼だった。

(中略)

直弼の場合は茶会が終わり、客が散り散りに去っていったあとの心得を重視している。ホスト役の亭主は客の姿が見えなくなるまで見送り、そのあと茶室にもどって客を思いやりながら一人で茶をたててのむ。「独服」であるが、そこに「一会の極意」があるといっている。』

山折哲雄さん(白鳳女子短期大学学長・当時)

私たちの月例会の回数が300回を超えてなお、主宰者の私が、一期一会の"深遠"に迫ることは、容易くありません。


いい人脈をつくるには、出会いでいきなり相手に何かを求めることは虫が良すぎます。何らかの価値あるものを「Give and Give and Give」することで、初めて何かを得ることが出来ます。

そして、これこそが私たち『一会俱楽部』の基本精神です。
ある参加会員から、こんなメッセージを頂きました。

「最近、金原さんに頂いた”ギブ、ギブ、ギブ”の言葉の意味がようやく分かってきました。
特に自分の仕事では利己的ではなく、利他的でないと幸せを与える事は出来ない事なのだな、
とコロナのおかげで感じることが出来ました!

金原さんに気付きを頂いて無かったら今こうして感じることも出来なかったと思います。
本当に貴重な言葉をありがとうございます。」


現在、コロナ禍で、世界中でたくさんの大切なモノが奪われています。二度と戻ってこない命もあります。しかし私たちは、こんな時だからこそあらゆる機会の価値を見定め、見極め、何かを諦めることで、必ずや平穏な日々をとり戻すことが出来るはずです。

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