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『ハックされる民主主義』広範な話題をコンパクトにまとめたガイドブック

『ハックされる民主主義』(土屋大洋&川口貴久編、千倉書房)読了。
土屋大洋、川口貴久、加茂具樹、湯淺墾道、藤村厚夫、会田弘嗣という豪華メンバーによる選挙介入を中心とした民主主義へのデジタル影響工作についての本である。終わりには日本の選挙干渉の分析や提言も書かれている。
執筆者のひとりである藤村厚夫さんからご恵投いただいた。ありがとうございます。

日頃、私が関心を持っているテーマを違う視点で整理しているので、興味深く、学ぶべきところもたくさんあった。

●本書の概要

本書は下記の9章で構成されている。

1章 2つのハードランドを巡る戦い(序章) 土屋大洋

地政学的な視点から本書のテーマを位置づけて紹介している。

2章 外国政府による選挙干渉とディスインフォメーション 川口貴久

外国政府からの選挙干渉について、2020年の米大統領選を例にあげて解説。
台湾での対策の状況を紹介し、日本が学ぶべき点と学ぶべきではない点をあげている。

3章 中国によるサイバー選挙介入 土屋大洋、川口貴久、加茂具樹

中国が行っている海外へのデジタル影響工作の手法や組織と、2020年台湾選挙事例の解説。2020年米国大統領選挙、東南アジアとオーストラリアへのデジタル影響工作にも触れている。

4章 米国サイバー軍と選挙防衛 土屋大洋

米国では選挙防衛をサイバー軍が担っており、活動内容を2018年米国中間選挙と2020年大統領選を事例に紹介。
5章 米国電子投票法の近時の動向 湯淺墾道
アメリカにおける電子投票の始まりと、時系列変化、問題点などを整理しており、わかりやすく参考になった。

6章 偽情報による情報操作とファクトチェック 藤村厚夫

ファクトチェックの基本から事例、今後の課題までがコンパクトにまとめられている。

7章 日本における選挙介入のリスク 土屋大洋、川口貴久

過去に起きた選挙介入、ドイツの事例、日本のメディア環境など多角的に論じている。

8章 提言 日本での選挙介入への備え 川口貴久、土屋大洋

政府、国会、政党・政治団体、メディア&プラットフォーマー、国民・有権者への網羅的な提言をまとめている。範囲が広い分、どうしてもそれぞれは薄くなってしまう。

9章 民主主義は退潮するのか(あとがき) 会田弘嗣

民主主義の衰退の状況を解説している。国の数や人口などの数字のうえでは、すでに衰退しているので「退潮するのか」というタイトルはちょっと?かも。

・民主主義の話題は蛇足だったかも

海外からのデジタル影響工作について広い範囲を網羅し、整理されており、この問題に関心を持った方に役立つガイドブックになる。ただし、範囲が広い分、掘り下げや個々のテーマでの網羅性が落ちるのはいたしかたない。最初に手に取るガイドブックあるいは現状を概観するのにはとても役立つだろう。
しかし、後述するように民主主義ハッキング全体では、海外からの介入の割合は多くない(総数からするとかなり少ない)。なので海外からのデジタル影響工作を民主主義ハッキングの主たるテーマにするには無理がありそう。あくまでデジタル影響工作のガイドブックとしてはとてもよいと思う。

●感想

「海外からのデジタル影響工作について最初に手に取るガイドブックあるいは現状を概観するのにはとても役立つ」という感想でほぼ全てなのだけど、気のついた点をあげておきたい。ただし、あくまでもこれは本書が良書であることを認めたうえでの、個人的に気になる点なので本書に対してネガティブな批判をする意図は全くない。

・民主主義をハックする試みの多数は国内勢力なので、民主主義の防衛と海外からデジタル影響工作のつながりは薄い

民主主義をネット世論操作でハックする試みは海外よりも国内勢力からの方がはるかに多いので、海外からのデジタル影響工作を防ぐことと民主主義へのハックを防ぐことのつながりはかなり薄い。
そもそも民主主義の衰退の原因はアメリカの外交政策の変化によって世界的な民主主義プロモーション活動が大幅に縮小した結果でもある。こうした背景を抜きに海外からの攻撃ありきで考えるのは対立をいたずらに煽る危険がある。
本書は安全保障上の問題として民主主義ハッキングをとらえているため、海外からの介入が重要な課題として位置づけているのだが、そこには無理がある。
なので海外からの介入と民主主義の防衛を結びつけるのは無理があるデジタル影響工作のガイドブックとしてはとてもよいと思う。

・本書の元となる情報は2019年以前のものが多く、直近の大きな変化は反映されていない

本書で参照している資料のほとんどは2020年以前のものであり、それらの資料は遅くとも2020年までの情報に基づいており、多くは2019年以前のものである。つまり、最新の状況を反映していない。本書にはイアン・ブレマーやフランシス・フクシマの論考への言及があるが、イアン・ブレマーのテクノ・ポーラーフランシス・フクヤマのSNSの影響から民主主義を救うための方策など2020年以降の論考については触れていない。
デジタル影響工作における民間企業の増大は深刻となっており、2020年以降さまざまなレポートで取り上げられている。本書ではその点についてあまり触れていなかった。
なので2020年のアメリカ大統領選を題材としてとりあげたのは少し早かったかもしれない。
コロナ禍でロシアが反ワクチンや白人至上主義などのコミュニティに食い込んだことや、共和党がそれらに侵食されていること、多額の資金が流れ込んで武装化が進んでいることなども盛り込まれていないのは残念。
参考 世界各地で同時発生した反ワクチンから親ロ発言への転換グーグルが広告料金で支援する陰謀論や差別主義者サイトとアメリカのメディアエコシステムロシアの期待通りに反ウクライナのデマに広告を配信し続けているグーグルなど

・参照している資料に偏りがある

本書の多くはアメリカの資料などに基づいている。私がよく言っている「日本は、グローバルノースであって欧米ではなく、アジアであってグローバルサウスではない数少ない国。そのためグローバルノースとサウスのどちらの情報も入手しにくく、ほとんどの情報はアメリカを経由するものに制限されている」を反映している。
グローバルサウスの資料はもちろん、EUの資料やアメリカの一部の機関の資料は少なかった。たとえば2016年のアメリカ大統領選の資料として、米議会上院情報特別委員会に提出されたひとつのレポートを参照していたが、レポートはふたつ提出されていたので両方参照した方がよかったような気がする。アメリカのシンクタンク大西洋評議会の「The Kremlin’s Trojan Horses」3部作はとりあげられていない。フェイスブックのレポートも少ししか参照していないようだ。30カ国96件の影響力行使をまとめたプリンストン大学の「Trends in Online Influence Efforts」も参照されていなかった。
また、日本のメディア環境を論じる際に大変参考になる『フェイクニュースの生態系』などの国内の論考が参照されていない。
NATO関係の資料が少ないのは不思議だった。
ひとつひとつあげると切りがないのでこのへんにしておくが、この偏りは不思議かつ不自然に感じた。

・【2022年6月26日追記】日本に関する情報の補足

日本国内の影響工作について、ドイルのファビアン・シェーファーの研究については言及しているものの、その他には触れていない。たとえば、一橋大学の市原麻衣子の下記。
Social Media, Disinformation, and Democracy in Asia: Country Cases
日本におけるネットメディアを通じた中国の影響力工作―計量テキスト分析を用いた考察
あるいはアメリカ戦略問題研究所の下記。
China’s Influence in Japan Everywhere Yet Nowhere in Particular
ぱっと思い出せないが、この他にもまだあったと思う。余談だが、ファビアン・シェーファーの研究は原論文を確認するとわかるが、強烈なメッセージが前段にあり、数値の扱いがややこしい。

また、これは今後議論になることなので蛇足だが、日本で反ワクチンを主張していた人々が親ロを主張し始めた。
ツイッター上でウクライナ政府をネオナチ政権だと拡散しているのは誰か
反ワクチンから親ロへの変化は日本以外にウクライナ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、ドイツ、スペイン、スイス、チェコでも確認されており、コロナ禍以降のロシアの影響工作という疑いが持たれている。
世界各地で同時発生した反ワクチンから親ロ発言への転換
もし、この説が正しいなら日本はロシアの世界的な影響工作に巻き込まれていたことになる。近く発売の拙著でこの問題を解説しているので興味ある方がぜひご覧いただきたい > 『ウクライナ侵攻と情報戦』
さらに余談だが、古いとはいえ日本のメディアや政治家などがソ連に操られていたことを暴露した『ミトロヒン文書』にも触れてもおもしろかったかもしれない。2巻セットでアマゾンで入手できる。
The Mitrokhin Archive: The KGB in Europe and the West
The Mitrokhin Archive II: The KGB in the World


以上はあくまで気になった点をまとめたものなので、本書がこの問題に関心を持つ方にとって役立つものであることは変わりません

近く発売の『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社)でもデジタル影響工作のエコシステムなどを分析、整理しています。








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