見出し画像

【日記】子供に泣かされた話

先日29日金曜日の話だ。
29日は3月の最後の平日。
ウチには4月から小学生になる娘がいて、この3月29日で保育園に通わせるのも最後だった。

卒園式は既に3月中旬に済んでいて卒園を迎えたということは分かっているのだけれど、保育園ではその後も最終日まだ通うのでまだ実感がなかった。

娘もそのようで、29日の最終日のお迎えの際、最後にお世話になった先生方に挨拶している時はニコニコしていたのだけれど…。
ついに、最後に保育園の門をくぐるという時になって足取りが重くなり、必死に涙を堪えるも、込み上げてくるものを抑えきれない様子でわんわん泣き始めた。

ウチには兄もいて、この保育園には7年も通った。私自身もこの保育園には思い入れがある。私でも泣きそうになるのに、こんな6歳の小さな子で、毎日毎日楽しんだ保育園を去り、もうこの中に入ることはないんだ、入れないんだと悟ってしまったのだから、なかなか止めることはできないだろう。
こればっかりは私もかける言葉が見つからなかった。

私も子供につられて涙を浮かべながら、手を繋いで一緒に門をくぐった。
背中をさすったりして少しなだめた後、何とか自転車の後ろに乗せた。保育園から離れる際は保育園の園庭が見える道を走ったのだけれど、その時は黙ってじっと保育園を見つめていた。

この出来事だけでもただ単に寂しさで泣けてきたり、子供の成長や感慨深いものに泣かされそうになるのだけれど、私が号泣させられたのは家に帰ってからのことだった。

その日は習い事の空手の練習日で、出発前に早めの夕食をとる流れになっている。
保育園の最終日で色々とあったけれど、いつもと同じように空手の前のルーティンが始まる。
私は帰ってすぐに夕飯の準備をして、娘は保育園の片付け…のハズが遊びに夢中になるという流れなのだけれど、さすがにこの日は遊ばずに鼻をズビズビ言わせて涙を堪えていた。

その日ばかりは私も片付けなさいとうるさくは言わなかった。淡々と夕飯の準備を進めていると、キッチンに娘がやってきた。
涙はもう止まったようだけれど、しょんぼりしていて、空手に行きたくないと言うのかな?と思った。どうしたの?と聞いてみると、しばらくの沈黙の後、こう私に言った。


『今まで保育園に送ってくれてありがとう』


……視界が歪んだ。
涙が出るなんて状況は泣き虫な私にはよくあることだ。卒園式でも止められなかった。でも今回は全く違う。
感情よりも、言葉の理解よりも先に涙が溢れて止まらないなんて状況は初めてだった。
ポロポロという擬音語がピッタリなほど、目から涙の粒がこぼれ落ちた。目尻から流れ落ちるのではなく、目の中央の部分からポロっとこぼれ落ちる方が先だった。この後は言葉の理解が追いついて、更に溢れてくる涙を止められなかった。
とてもじゃないけれどキッチンに立っていられないくらいに、もうぐしゃぐしゃに…笑
気付いたら子供を抱きしめていた。
子供の小さな肩もびしょびしょに濡らしながら、「よく5年も保育園に通ったね、お疲れ様」と声をかけながらまた二人で泣いた。

私自身、5年間(兄の期間も含むと7年間)も小さな子を預けて仕事に出たことに罪悪感を感じるところがあった。でもその考えは子供のこの言葉で一種にして吹っ飛ばされた。

保育園に通う子と幼稚園に通う子。
小学校でのスタートは幼稚園に通う方がスムーズだけれど保育園出身の子は慣れるまでに時間がかかるとか…色々と言われることもあるが、子供が自ら考えて、親に対してもこのような言葉をかけられる優しい子に成長してくれたことは、紛れもなく保育園での経験のおかげだ。
もちろん、保育園に通わなければ言ってもらえないなんてことを言いたいわけではない。
保育園に通ったから言ってくれるというわけでもないし、思っていても言葉にしないだけかもしれないし。
(兄はこういうことは言ってくれなかったし笑)
でも、どこで過ごしたって、子供はよく見て、感じて、考えて…親の知らないところで大きく成長している。
子供から学ばされたり、子供ではなく一人の人として接しないとしてはいけないなと思わされるくらいに立派になっていたりするものだなと思った…。

私の待ち合わせている言葉ではとてもじゃないけれど表現しきれないほど、この言葉&出来事には感動した。

言いたいことがうまくまとまっていなくて申し訳ないが…この記事を読んでどうか私の気持ちをお察しいただき、感じてもらえたらと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?