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日記の文章で1年を振り返る

自分が今年の手帳と日記に書きつけた言葉を見返してみることにしました。

誰にも見られないと思って書いた自分の文章は、少し独りよがりだけどうそがなくて、だから好きだなって思えます。そんな自分の文章12ヵ月分から、一部を書き写してみます。

最近、自分について勘違いされることがあってちょっと悲しくなったので、「わたしはこんなこと考えてる人だよ」っていうのが少し伝わればいいなと思います。

1月 文章表現について

文章表現は生モノだと思う。新鮮なまま気持ちを残して伝えるためには、すぐに言葉に書き起こす必要がある。あとで気持ちを思いかえして書いてもそれは新鮮さにかけていて、ちょっぴり劣化が進んでしまう。言葉は、生態系と一緒だ。(1月29日)

このnoteの元ネタだ!」と思ったら時系列かなりずれてました。
ぼんやりと、でもずっと「気持ちや思ったことはすぐに言葉にかきとめたい」というのが心にあったみたいです。

手帳の1月27日のページに、もう一つ忘れたくなくてメモった言葉があります。山田ズーニーさんの講義で出会った言葉。

“表現は、訓練と勇気。小さい勇気を出すこと。表現の機会は、日々訪れている。”

2月 大森靖子×銀杏BOYZ対バン

アンダーグラウンドから君の指までも、2005年から2018年までも、遠くはなかったんだ。「いや、めッッちゃ遠かったけど…」と靖子ちゃんは言っていて、その通りだと思うけど。この日のステージを迎えるまでに乗り越えてきたいくつものつまらん夜や朝のことを思う。(2月28日)

ライブの次の日の朝に書いた日記です。大森さんが救われて憧れて大好きで、ずっと思い続けてきた銀杏の峯田さんとのツーマンを実現させた最高の瞬間を目撃した日のこと、忘れないです。大森さんが歌う「ミッドナイト清純異性交遊」の歌詞「アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさ」が大好きになりました。

3月 光属性と闇属性

ライターさんが知人を「光属性」って表現してて、なるほどなぁって思った。いつだってまっすぐ、直感的に、自分が幸せになれる道を選べる人。その逆は闇属性っていうのかわからないけど。笑でも、もし自分がきっと幸せになれるであろう選択肢を拒んでしまうことがあっても、悪くないと思うの。わたし達には考えが、感情が、意思がある。生き方に正解なんかないから、全部自分で決めればいい。自分で自分の感性で、生き方を決めればいい。わたしはそれぞれの人生全部愛おしいよ。(3月15日)

ライターさんの話を聞きながら、自分は光属性より闇属性だろうなーって思ったのを覚えています(笑)そんな自分を正当化したくて書いた文章です、たぶん。

4月 日記について

わたしは自己肯定感そんな高くないけど、昔の日記を読むたびに、自分の人生を肯定してあげたくなる。嬉しかったことについて読むとすごく幸せな気持ちがするし、悲しくてしんどかったことについては、記憶の奥底に眠らせてた記憶がふっと蘇って、それでも懸命に生きてたんだなって思う。そのときの自分を肯定してあげたいと思う。(4月30日)

日記を書くのも、読むのも好きです。そのときの気持ちをなかったことにしないで残しておけるところとか、読み返したときに自分の理解者になってくれるところとか。わたしみたいに自己肯定感が低い人は、日記書くといいかもしれません。

5月 五月病と「アイスと雨音」

note書きたいのに、伝えられることがなくて言葉にできることなくて悲しくなる。。ついに日記も書けなくなってしまって涙目になりつつ、もはや笑える。(5月1日)

日記書けないっていいながらも、書けないってことを書いてるじゃん、とツッコミたくなる内容。五月病と、あと家族が入院したりとかあって悲しい気分だったんだと思います。

でも15日には松居大悟監督の「アイスと雨音」を見て、めちゃめちゃ生きる力をもらいました。

舞台に立つことへの思いがそこにあって、似たような気持ちを思い起こされた。時間とともに忘れていくとしても、それでも、それでも、何回でも思い出したい。なかったことにしたくない。だからわたしは文章を書いてる。映画じゃなくて、本当に舞台を見ているようだった。思いは、芸術ですくいあげられると思った。舞台も映画も、表現ってやっぱり好きだ。(5月15日)

6月 個性について

24年生きてきて、ようやく個性で悩まなくなってきた。個性って自分そのままでしかなくて。誰ひとり同じ人間なんていないから、その時点でもう、オリジナルなのだ。これまで悩んできたことは、たしかに個性をかたちづくる要因ではあった。でも、それをどう感じて、どう生きるのかの方がずっと大事だ。わたしと似た経験をしてきた人は沢山いるはずで、でも、わたしと同じ人間はひとりもいない。でも、同じ気持ちを感じたことがある人はごまんといるはずだ。みんな違って、でも、同じだ。(6月1日)

5月末に、編集ライター講座の卒業制作のため成宮アイコさん(@aico_narumiya) に取材させていただきました。たくさんいただいた素敵な言葉のうちのひとつが、「人は等しく尊い」。個性について悩むことがあったのですが、それぞれが違っていて尊いんだということを改めて感じるようになりました。

7月 おばあちゃんがトマトをくれた

わたしだけじゃそんなに強くなれていないけど、人と一緒に生きることで、少しずつ大丈夫になれる気がした。(7月9日)

実家に帰った日の朝、父親と話すのが嫌で逃げるように家を出ようとしたら、おばあちゃんが「昨日くれたタルトのお礼に」と、実家でとれたトマトとティッシュでくるんだ1万円をくれました。その日の日記の一部です。それぞれがつらい気持ちでいるときでも、「自分の方がつらい」なんて、自分本位にならずにいられるやさしさを持てればいいな、と思いました。

8月 お母さんのギャグセンス

お母さんが、「『ララランド』より『ラララランド』の方がしっくりくる」「『ララランド』だとなんかもの足りないよね」と言っていて笑った。(8月13日)

この日の日記は、これしか書いてませんでした。どんなお盆休みを過ごしたのか、いまいち思い出せません。

9月 価値の傘

みうらじゅんさんのユリイカで、しりあがり寿さんが、「みうらさんが自分がスキだと宣言するだけで自分の作品にできること」を「魔法のよう」「価値の傘」だと言っていた。それは、大森さんの曲「マジックミラー」の「君が蹴散らした不細工でボロボロのLIFEをかき集めて大きな鏡をつくること」にどこか似たものを感じた。モノも誰かの人生も、それを照らして暗い場所から掬い上げられる魔法が使えるようになりたい。(9月20日)

これがきっかけで、noteのプロフィール文を書きました。みうらさんが好きすぎて、ユリイカとかみうらさんの日記を記した本まで買うまでになりました。いつかお会いして取材させていただくのが夢です。それまで、わたしはわたしなりに大森さんやみうらさんのような何かをしていたいと思っています。

10月 編集者について

“無駄なものに価値を見つけられる人が編集者”(10月12日)

博報堂ケトルの嶋浩一郎さんが、神保町編集交差点のイベントで言っていた言葉のメモです。カテゴライズされてないものに価値を見つけられる人になりたいです。

11月 下北沢の夜

数回会っただけなのに、長年の友達みたいになれる場所。初めて訪れた人をもやさしく受け入れてくれる場所。来るもの拒まず去る者追わず、人が循環していく街。叶ったり叶わなかったり、くすぶったり。それでも笑ったり。下北沢は、夢と人の場所だと思った。憧れや思いと人で街がつくられているのを、目で耳で心で感じた。(11月10日)

その日に会ったばかりの人に、下北沢の夜を案内してもらった日。夢が叶ったり破れたりする街で夢を追いかける人たちに会って、初めて下北が少しわかったような気がしてうれしかったです。

12月 考えること

自分は今まで表面をなぞってきただけだったって思った。考えたい。(12月20日)

フリーランスとして仕事をもらったり、ほぼ日の塾に行ったりするなかで、自分の「考える」の足りなさを痛感しました。親子関係のこととか、悩んできたことについてはそれなりに考えてきたつもりです。でもそれ以外のことは、決まりきった表現でごまかしたり、こんなもんでしょと自分を無理に納得させたり、考えることと向き合えていませんでした。

でも、文章を書くことの根本には「考え」や「思い」があると思っていて、だからこそこれからは考えることを続けたいな、と思っています。来年はたくさん考えて、たくさん言葉にする1年にしたいです。

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