見出し画像

ここ最近のnoteでずっと「生」について書いてきたけど、「こいつ病んでるのか?」と思わせていたらすみません。私は元気です。通常です。


そして今日のnoteは長いです。覚悟がある人だけ読んでください。もう文章がめちゃくちゃだと思うけど、書きたいことを書きます。


今日は幼なじみのお兄ちゃんが亡くなって6年。12月が近づくと思い出す。そして今日まで命ってなんだろう。生きるってなんだろうって考えてました。


正解はないから私が思ってることを書く。私が思うに、結論から言うと命に終わりがあってよかった。終わりがなかったら全てに感謝できない。なにかをやる時「とりあえず失敗してもいいからやってみるか、どうせ死ぬし」ってなれるから。私はの話。


せっかく命に終わりがあるのだから、終わる時まで全力で生きてもいいし、適当に生きてもいい。この世界に絶望しながら生きててもいい。生きてたらもしかしたら希望があるかもしれないから。とにかく自分で終わらせないで。悲しむ人は絶対いるから。


気づけばあの時のお兄ちゃんと同じ歳になった。この世界から飛び立ったお兄ちゃん、天国での暮らしはいかがですか?戻ってこないということはずいぶんいいところなんでしょうね。


常々言っていること。このnoteでも何度も書いているかと思いますが、言葉はとても大事なものだと思うんです。


朝まで一緒に飲んで仕事に行く彼に「行ってらっしゃい」と言って「行ってきます」と。これが私たちが交した最期の会話。


どうして自分で終わらしちゃったの?どうせ死ぬのに。なんで辛そうな顔しなかったの?助けられたかもしれないのに。最期とわかってたら仕事に行かせなかったのに。気が済むまで話を聞いたのに。もっと違う言葉をかけられていたのかもしれないのに。


でも後悔したってもう何も変わらない。伝えたいことはたくさんあった。いつでも伝えられると思ってた。いつでもなんて、絶対なんてないってわかってるのに、伝えなかった。


私たち人間には口があって言葉があるよ。誰かに何かを伝えることができるよ。「ありがとう」も「ごめんね」も「大好き」も「辛い」も「悲しい」も伝えなきゃ。聞こえるから。届くから。交わせるから。


言葉があるのに伝えられない、届かない、伝える人がいない。これがなくなればいいのに。大切な言葉を嫌な言葉として伝えないでほしい。誹謗中傷とかほんとにクソ。信じられない。同じ人間でいることが恥ずかしい。人間という共通点さえも嫌。


もし悩んでる人がいたら私が聞きます。電話番号載せたいくらい。でも嫌がらせしてくる奴がいるかもしれないから載せられない。この風潮もほんと嫌。偽善者って思われてもいい。私は本当に嫌。嫌だから嫌だと言葉で言います。口があるんで。「嫌」という言葉があるんで。


どうかみんな生きてね。嫌なことがあったり、辛いことがあったらいつでも言ってください!!!


話逸れました。


長々とすみません。お兄ちゃん、まだ私はそっちにはいかないけど、そっちに行ったときはまたお酒を飲みましょう。

どうか安らかに。


それでは皆様、良い夢を。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?