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エンタメの自己犠牲精神。


エンタメっていいよね。

アーティストとエンターテイナーの違いって、自己志向的か他者志向的かのちがいだと思ってるんだけど、

私は基本的に自分でいたくて、だからエンターテイナーみたいに自己犠牲的にあるキャラクターとしてふるまってショーの一部に溶け込むようなことはあんまりやりたくないな〜〜って、去年の病み尖っていた私はエンターテイナーをアーティストに対する存在としてちょっと批判的に見てて、

だけど、病み尖ってた時にオズランドを観に行って、


やべえ、まじ、エンタメっていい。エンターテイナーかっこいい。


と思ってしまった。


今日は初めてシアターダンスっていうジャンルのクラスを受けたんだけど、それがまた楽しくてエンタメの良さを思い知ってしまった。

でも、元来自意識過剰な人間だし、やってて自分が楽しくないと楽しい顔できないし、ていうか楽しくなかったらやりたくないし、踊っててもどうやったら楽しんでくれるかより、これをやったらどう思われるだろう、どういう人間に見られるだろうとか、そういう自分の意識にばっかり関心が向いちゃうから、たぶんエンターテイナー向いてない。

他の人を見てても思うけど、どんなにうまく踊れる人であっても、そこに「かっこいいって思われたい」みたいな感情が底に渦巻いてるのが見えちゃうと、見てて楽しく感じられない。

私、苦手。

でもたぶん、私もエンターテイナーであろうとすると、そういう人間になるんだと思う。

うまくなって自信を持てば周りの目を気にしなくなる、とか、そういうものじゃなくて、そもそも意識が自分にばっかり向いてるから、もしこのまま技術だけ身につけたとしたら「オレ、かっこいいでしょ?うまいでしょ?」的な感情の隠しきれない、見るのもおぞましい自分に酔いしれているだけの滑稽な見世物になってしまう。

だから、何をしたら見る人が楽しんでくれるだろうと考えて、人が求めているキャラクターになろうとすることのできる人はすごいな〜〜と思う。

うまく歌ったり踊ったりすることのできる人がいっぱいいたとしても、エンターテイナーでいられる人ってそんなにいないと思う。

私は、だから、滑稽なエンターテイナーでいるよりは、私は自分が「かっこいい」と思われたいと思っています、「うまいな〜〜」って感じてほしいです、そんな感情が湧き出てくる自分をどうか受け止めてください、と自意識過剰な、美しいと思われないような感情も自分の外側に表現として出すことのできる正直なアーティストでありたい。


もし自分より他者の感情に関心を向けることができてきたら、その時はエンターテイナーにもなりたいな〜っておもう。


そういえば今書いてて思い出した余談なんだけど、お芝居はまたエンターテイナーとは違うような、いやエンターテイナーもお芝居してるんだけど、

何だろう、言葉がむずかしい、

ドラマとか映画とかの芝居はまた、自分とは違うキャラクターを演じているようでいてそうじゃないんだと思う。
だから、人格を失うというか、没個性化する?エンターテイナーとはまた一線画してる気がする。

大学では演劇をしてたんだけど、何というか、キャラクター像をイメージしてその人物になりきるというより、自分の中にいる「この人っぽい部分」を一時的に出して強調させる、というイメージ。

最初はお芝居って架空の誰かになりきるものだと思っていて、でもどんなにイメージしても、見た目も声も私のままだからなりきれなくて、嘘っぽいものになって、

だから台本を読む時、これは自分なんだ、自分がただ喋ってるだけだ、と思ったら案外スッと自然な感じにできるようになった。

いやまあ、ゆるゆるのサークルだったから別にそんな熱心にやってたわけじゃないんだけど。

結局何が言いたかったんだっけ。

そういう面で言うと、お芝居はキャラクターを演じるエンターテイナーよりも、自分をさらけ出すアーティストっぽいんじゃないかな、と思う所存。

余談が長いぜ。


こちらは夜中の2時になるとこです。
寝ます。






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