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ニュートラル (2)


私は涙もろい。簡単にうれしくなるし、
人の優しさが身にしみやすいし、
ありがとうの思いがあふれやすい。
それが涙になりやすいのは今でもそう。

 健気な人や存在を見たり、志ある人や真心の
人をふと思いだすだけで胸がいっぱいになる。

ただ、かなしくて泣くというのは長いことない
ように思う。少なくとも自分のことでは。
(実家とつながりがあった頃は、かなしい涙を
本当にいっぱい流したけれど。)

いや、もしかしたらあったかもしれない。
クリーニング/クリアリングで浄化されて
忘れているだけかもしれない。

ともかく、言えるのは、ネガティブな感情に
ひきずられなくなっていること。
(エンパス傾向があって、かつてはそういう
影響も受けやすかった。)

ちなみに、「困る」という状況や感覚からも
縁遠くなっている。

この変化は、ホオポノポノやクリアリングと
ACIM(=A Course In Miracles, 奇跡講座)に
触れ続けているおかげだと思う。

平安がデフォルトで、違和感があれば
クリーニング/クリアリングの機会となるだけ。

そうしていると違和感に敏感にもなるのだけれど
早い段階でキャッチできるから変化はスムーズ。
思いや状況をどんどん天にゆだねていっている。

そして今では、以前の自分だったら複雑な感情を
覚えただろう人達はもちろん、どうしてそういう
心無い理不尽なことができるのか全く理解できない
種類の人たちがこうしたああしたと情報が入っても
心が揺れ動かなくなってきている。
(揺れ動かなくてもクリーニングはする)

その人達と同じような環境で生まれ育ったとき
その人のように決してならないと言えるだろうか、
という観点も役に立つかもしれない。

ただ、その人の生育歴とか背景とか以外に、
目に見えない力や流れが働いていて、それが
他の全員と関わり合っている、その全貌を
わたしたちは理解することができない。

部分的に切り取った何かをもって、誰かや、
状況をジャッジすることはできないと思う。

....というところから入っていって、

ACIMに触れ続け、「ほんとうの姿を見たい」と
願っているうちにいつしか、見え方が変化。

それは「罪を憎んで人を憎まず」とは違う感覚。
憎しみは感じないし、ACIMに触れているうちに
罪に対する感覚も変化しているから。

「夢の中で起こったことに対して、夢から覚めた
後で怒ったり悲しんだりしない」のに近い感覚。

そしてもちろん情報は鵜呑みにしないでいられるし
見ているものが本当であったとしても断片に
過ぎないことがわかっているから、人や状況に
対してあまりどうこう思わなくなっている。

思いに気づいたらクリーニング/クリアリング。


とはいうものの、実は少し前、オーストラリアで
子ども達がどういう目にあっているかを見て
しまったときは、かなしくて泣いた。
主に母に力で支配されていた頃の思いの残滓が
刺激されたのかもしれない。

それもこれも自分がクリーニングすることに
よって同じ記憶を抱えている人達と共に
自由になっていける機会。

感謝してすべてを天に委ねていく。


〜Kyoko🇳🇱オランダ在住HSPヒーラー
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