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8/6


こんばんは。

この日は、74年前に広島に原爆が落ちた日だ。


私の故郷は、島根県松江市。
原爆被害は全くなかった。

でも、私たちは、小学校の修学旅行先は必ず広島で、
原爆資料館と被爆体験をされた語り部の方の言葉を聞く。
(今もそうなのか、ちょっとわからないけど…)

そして、TVでは落とされた時間に追悼の祈りを捧ぐ中継が行われ、
中国地方の夜のNHKでは、被爆体験をされた方々の言葉や残された遺品を
伝える番組を放送。

私は、地元にいる時は欠かさず見ていた。



それには、理由がある。



我が家族は、何も被害なく、終戦を迎えたのだが、
今、思うと奇跡の連続でつながった未来である。

というと、

実は、我が家族には戦争被害者になる二度の分岐があったからだ。


一つ目。
まだ満州国という、日本が中国を統治占領していた時代があった時、
我が祖母の下に、集団移住への誘いがあった。

当時の日本には、満州に行けば、贅沢な暮らしができるという話があり、
開拓移住は本当は大変だったということが、いろいろな資料からわかる
けど、戦争中、確かな情報がない時代のこと、信じて、移住した人が
いたことも事実。

何故、祖母はいかなかったかというと、船に乗ることが怖かったからだ
そうだ。

小さい時に、停泊していた小舟に乗った折、ひっくり返り、
溺れたトラウマがあるらしい…。でも、そのおかげで我が家族の命運は
つながった。


そして、二つ目。
戦争の戦火がどんどん日本を取り囲み始めた頃、広島に行けば、
島根にいるより良い生活ができるからと、近所の人に勧められたらしい。
でも、祖母は行かなかった。

単純に、めんどくさいんで新しい環境に行こうとは思わなかった

と言っていた。



トラウマ。

めんどくささ。



この二つにより、今、私、井川いずみが生まれ、生きている。


実害しかないと思われている二つの要素が、
この人生をつないでいるのは、ツッコミどころ満載かもしれない。

今、私自身、自分の公演をしようとして、
うまくいかず、体調を崩し、ストップしたのだけど、
もしかしたら、このことは将来的に見ると、ツッコミどころ満載であるが、
有益なターニングポイントであるかもしれない。


そう思うと、今、自分の身の上に起きたこともなんだかほっとしている
私もいる。


人生なんて、わからない。
だったら、生きている限り、自分が好きと思うことをやって輝いて、
自分も関わる人も幸せにできたらサイコーで、
それ以上は必要ないのかもしれないとも思うのだ。


毎年、8/6は、その事を思い出す時となっている。


そして今は、不自由している祖母と暮らしていた時の二人でTVを観ながら、
祖母がぽつりぽつりつぶやく過去をへぇ~と思いながら耳にしていた時、
それも幸せな日常だったなぁ~とを思い出しながら…。


当時、被害に遭われた方々。
それにつながる全ての方々の幸せを祈っています。

出会ってくれて、記事を読んでくれて、ありがとうございます。演劇をやっています、創るのも、立つのもです。良い作品を届けれるよう、日々やって参ります!