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自分の心の中に永遠に生き続ける彼女


№186 今回紹介するお話

「婚約者が肝臓ガンで余命半年と宣言された。しかし、彼女は強かった」

今回紹介するのは、肝臓ガンにより25歳で亡くなった婚約者である彼女の闘病中の思い出を綴った投稿です。

投稿時期に関して
実際の投稿時期を確認することは出来ませんでしたが、投稿されたのは内容から2002年ではないかと思われます。

このお話を元にしたYouTube動画がありましたので、併せて紹介していきます。

投稿内容

1990年5月、婚約者が肝臓ガンで「余命半年」と宣告された。

自分より2歳年下の彼女は当時25歳。

将来の生活を想像し、お互い希望に胸膨らませ、幸せの絶頂にあった2人にとって、それは到底絶え難き試練であった。

しかし、彼女は強かった。

事実を受け入れ、「最期まで諦めずに生きる」と誓ってくれた。

そこから2人3脚の闘病生活が始まった。

大型トレーラーの運転手である自分は勤務が不規則だったが、できる限り彼女の病室を訪れ、励まし、応援し続けた。

彼女もそれに応えるように治療にのぞみ、歩き続けた。

その結果、その年の9月には、北海道旅行ができるまで回復した。

そして、一縷の望みが生まれた。

「もしかしたら、彼女は助かるかもしれない……」

旅行の初日、小樽を訪ねたとき。

当時、小樽では「石原裕次郎記念館」の建設工事が進められていた。

母親の影響で、子どもの頃から裕次郎のファンだった彼女は、「もし、私に奇跡が起こって、再び小樽に来られたら一番に石原裕次郎記念館に来てみたい」と言っていた。

自分もその言葉に微かながらも希望をもった。

しかし、その奇跡が起こることはなかった。

札幌の時計台を訪れたとき、「恋の街札幌」を唄っていた彼女は、それから3ヶ月余りが過ぎた1990年12月5日早朝4時31分、「お爺ちゃんに会いにいって来る」という言葉を残して、お婆ちゃん、両親、弟と妹、そして、自分に看取られながら、大好きだったお爺ちゃんのところへ旅立った。

昨年、彼女の13回忌を済ませ、自分も今年40になるが、自分の心の中に永遠に生き続ける彼女を支えにして、今日も生きている

YouTube

このお話を元に作られた動画がありましたので、一部を紹介します。
※ご紹介する以外にも動画はあるようです。

(2ch)ひまつぶしチャンネル『LAN』

石原裕次郎記念館 Yujiro Memorial Hall

開館 1991年7月22日
閉館 2017年8月31日
所在地 〒047-0008 北海道小樽市築港5-10
アクセス 北海道中央バス「小樽港マリーナ・石原裕次郎記念館」バス停降車 北海道旅客鉄道(JR北海道)小樽築港駅から徒歩約10分

さいごに

私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。

しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
なお、掲載している画像は いらすとや 様から頂いています。

最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。


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