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使われる者たちのブルース

とかく、人から都合よく使われがちだ。やさしそうに、見えるからだろうか。断るのが苦手だからだろうか。思いつく節はたくさんある。初めは「お願いごと」の形で始まる。「頼られている」と感じたりもする。少ないながらも人生経験を重ねて、ようやく「利用されている」とわかるようになってきた。

例を挙げればキリがないが、もっとも身近なことについて言えば、シフトの交代だ。個人の予定に合わせて「この日代わってもらえませんか」と頼まれる。(連勤になるのがしんどいなあ)と思いつつ、「この日」に用事がないので断る理由がない。平日の勤務日と週末の勤務日の交換だった。忙しさに隔たりがあった。

この同僚、4日に1度は必ず遅刻する。「バスに乗り遅れた」は、わかる。「役所だ、病院だ」も、まだ許せる。しかしながら、すでに遅刻している状態でメッセージが飛んできて、「現在遅刻しているが、今日はどうしてもスタバが飲みたい気分なので遅れます」とまで言うようになってしまった。

彼女は物を補充しないし、ゴミを捨てない。減ったら減りっぱなし、使ったら使いっぱなし。空いた袋や手を拭いた紙がいつも共用部に転がっている。いつも私が捨てる。

「気づいた人がやればいいよネ」という説法を各職場で100回は聞いた。そうのたまう人は知らないのだ。100%とは言わないが、99.8%はいつも、同じ人が場を整えているということを。

詩人・吉野弘さんの作品に「夕焼け」という詩がある。電車で、ある少女だけが続けざまに席を譲る話だ。3度目に「席を譲るべき場面」が訪れた時、とうとう少女はうつむいてしまい、席を譲らなかった。この詩を書く人がこの世のどこかにはいる、ということに救われた。

どの職場にも、一人や二人は気に入らない人がいるものだ。私にもいる。メガネをかけた細長い男性だ。

彼は早口で、肩を大きく上下させながらドカドカとやってきては、一方的に話し続ける。スタッフの名札に敏感で、「名札を付けているか、付けていないか」それだけを1日中、ヒステリックに気にしている。名前を、仮に「権兵衛」とする。

権兵衛はいつも急いでいる。彼の要求は常に「至急」だ。明日どころか明後日でかまわないようなことでも、個人の携帯に電話をかけてまで、今すぐ確認させようとする。その割に上司から信用されていない。

あるとき権兵衛が、いつも通り血相をかえてドカドカとやってきた。「至急です!これ、何かお金に関する書類みたいなんですけど、必ず直接渡さないといけないんです!急ぎなんですけど、オーナーはいつ来られますか?すぐに電話で確認してください!」そう言って、店名宛ての茶封筒を見せてくる。

その「お金に関する書類」は、光熱費や清掃代の請求書だ。先月もあった。先々月もあった。先月も先々月も、さっと破って写真を撮り、LINEでオーナーに送った。そういう書類だ。権兵衛は、中身も知らぬまま急いでいるのだ。

週末、たまたま、権兵衛たちの勤務表を見かけた。繁忙日だというのに、課長と課長代理がともに「休日」となっている。出勤するのは権兵衛だけらしい。よく晴れた日曜日だった。(なんだ、権兵衛、おまえも都合よく使われてるのか)と、ちょっと同情してしまった。

定時になり、業務用エレベーターの前で待っていると、権兵衛が通路の奥からドカドカと歩いてきた。片目で一瞬こちらを見て、通りすがりに「コッ」と

隣のエレベーターの呼び出しボタンを押して、通り過ぎて行った。

権兵衛が呼んだエレベーターが先に着き、わたしは狐につままれたような気持ちでそれに乗って退勤した。権兵衛は戻ってこなかった。

例の同僚は、今日も元気に「シフトを代わってほしい」と言いにきた。この同僚、シフトを代わった前後に限り、ゴミを捨てるし、物の補充もする。

こんどは「11月の土曜日と日曜日を交換してほしい」という申し出だった。あ、と思った。代わればちょうど、友達の個展に行ける。会期が短く、もとのシフトでは見に行けないところだったのだ。

わたしはおもむろに手帳を確認し、「予定がないので、大丈夫ですよ」と言った。わたしもわたしで、そういうところがあるのだ。


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