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パン屋日記#41 最後のふなっしー

パン屋の従業員はみんな、
コーヒー会社の営業の
船木さんのことが大好き。

親しみを込めて、裏ではこっそり
「ふなっしー」と呼んでいます。

ある日ふなっしーが、
知らないお兄さんを連れて
パン屋にやってきました。

お食事ですか、
とふなっしーに尋ねると

「はいっ。お願いします」

と言って、
はしっこのテーブルへ。

お客さんとしてもお店を利用してくれるのは

たくさんの営業さんの中でも、
ふなっしーただ一人です。


食事が終わるタイミングで、
「コーヒーは飲まれますか?」
と聞きに行きました。

知らないお兄さんの方が
「えっと……」
と言ってメニューを探したので

「あ、紅茶やジュースもあります」
と加えると

「いえっ。コーヒーでお願いします!」

と、鼻息荒くふなっしーが答えました。

「紅茶でもジュースでも、
どっちにしろ御社の商品ですよ」

と笑いながら言うと

「いえっ。コーヒー屋なので、
コーヒー2つお願いします!」

と、目を見開いて答えます。

わたしはふなっしーのそういうところも、
本当に好きだなあと思ったのでした。


知らないお兄さんが席を外した時

ふなっしーは、
恐縮した様子で切り出しました。

「iccaさん。実は僕、
 福岡に転勤になりまして。
 今日が最後なんです。
 連れが新しく担当いたしますので、
 また後程、ご挨拶させていただけたらと」

急なことに驚きを隠し切れないわたしに、

「行けと言われれば、どこにでも行くので」と

やわらかく笑う、サラリーマンふなっしー。

今日が偶然、出勤日で、
最後のふなっしーに会えて、
本当に良かった。


わたしは、パン屋のみんなが
いかにふなっしーを愛していたかを、
すっかり説明しました。

この店から店長がいなくなった時、
ふなっしーは

若い女子社員ともきちんと敬語で話し、

対等に取引を続け

一人ひとりを名前で呼んでくれた、
唯一の営業さんだったこと。

みんなふなっしーのことが大好きで、
パートさんまでもが

裏で船木さんのことを、
親しみを込めてふなっしーと呼んでいたこと。

ジャムおじさんも
ふなっしーのことが大好きで

ふなっしーが力なく
しょんぼりと手帳を見ていた時には、

わたしよりも先に急いでおやつを準備し、

「あいつ、今日元気ないよな」
と言って持たせてくれたこと。

みんながふなっしーのことを、
見つめていたのです。


ふなっしーが、そろそろ帰ってしまう。

わたしは、
同じくふなっしーのことが大好きな
ジャムおじさんに

これが最後のふなっしーだよ、
と知らせに行きたかったのですが

今、レストランには
わたし一人しかいないので、

なかなか持ち場を離れることができません。

どうしようか、と思っていたところへ

とても恐縮した、
ピンク色のふなっしーがやってきました。

「すみません、なんか、
こんなにいただいてしまって……」

これでもか、というくらい

袋パンパンのパンを持たされた
ふなっしー。

ジャムおじさんらしい、
雑な突っ込み方でした。

坂下先生が、
ふなっしーの転勤を察知して
知らせに行ってくださったのです。

「すみません、ありがたく頂戴します」

「はい。身体に気をつけて、
頑張ってください」


最後には
パン屋総出で感謝を伝え、

ふなっしーの頰も
すっかり桜色になった

とある門出の、
あたたかい午後でした。


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