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【短編小説】螺旋

静かに燃えゆくその螺旋。
蚊取り線香の火は音も立てず、ゆっくりと燃えてゆく。残るのは燃えかすか、それともそこに存在していた証なのか。
私は隣で眠る彼をみて、ふと考える。
この先、私たちはこの蚊取り線香のように静かに終わりを待つのだろうか。
静かすぎて瓦解していく音すらも聞こえず、ただ、私たちが共に歩んできた証が燃えかすのように残っていくだけ。それでもいいのか。

風鈴の音で目を覚ますと、台所から芳しい香りが漂ってくる。
色々と考え込んでいるうちに、寝落ちていた。いつものように、歯を磨く。起き上がる。
「朝ごはん、できてるよ」
彼が作る朝ごはんはいつも決まっていて、目玉焼きにトースターで焼いたパン、後はコーンスープとサラダだ。今日の芳しい香りの正体は、近くのカフェで買ってきたケニアのコーヒーだろう。
酸味がちょうど良い。
「うん、今いく」
歯を磨き終え、彼が用意してくれた朝ごはんの元へ。
「ケニアのコーヒー、いい香り」
私がそう言うと、
「うん」
と、一言。
「土曜日、花火大会あるって」
「らしいね」
彼は私ではなくスマホに目を向けている。
「前に行ったよね、花火大会。最近行けてなかったからさ、今年どうかなって」
私と彼が付き合うきっかけになったのは、花火大会だった。派手な恋なんかできない。そう思っていた私の胸を弾けさせたのは、たった一言、彼の言葉だった。
恋をする瞬間は空に打ち上がる花火と似ている。打ち上がるまでは、どんな色か、どんな大きさか、どんな形なのか分からない。
その音と、空に向かって伸びてゆく一筋の光が、期待を膨らませてくれる。花火が開く瞬間、その瞬間は、愛の言葉のように、音が消える。
私はその沈黙の音を、聞き逃さない。
彼が伝えてくれたその言葉で、花火は開いた。それは空に打ち上がる何万発もの花火とは比べ物にならないほど大きな音を立てて、私の胸に焼き付けられた。
「ごめん、今年も無理かも。仕事入ってて」
「土曜日なのに?」
「今の企画が忙しくて」
そう言う彼は、私と目を合わせない。
「わかった」
朝ごはんを食べ終えると、私はいつものように食器を洗い、片付ける。
彼はソファに座りながら、テレビゲームを始める。
いつもと同じ、彼と私のルーティン。そのルーティンすら、煙たい。
ゲームをやっている彼の隣に座り、私は彼の目を見て話す。
「どう、順調?」
「まあ」
隣にいるはずなのに、遠く感じる。
ふと、窓の外を眺めると、外には青々とした空が広がっていた。
一歩外に出れば、違うのかな。
そう思って視線を落とすと、燃え尽きた蚊取り線香が残っていた。静かに、気づくことなく燃え尽きていった蚊取り線香。
その燃えかすは、綺麗に螺旋を描いている。蚊取り線香の未来は、火を点けた瞬間から決まっている。恋の終わりも、同じなのか。
「別れよっか」
つい言葉に出てしまった。しまった。そう思ったが、もう遅い。コントローラーを操作していた彼の指が止まる。
「どういうこと?」
彼が私の目を見る。今日、初めてだ。
「もう、十分じゃないかな」
彼は笑う。
「え?俺何か悪いことした?今日だって朝ごはん作ってあげたじゃん」
「そうだね」
「ちゃんと答えてよ」
「うん」
彼はため息をつく。
「何考えてるかわかんねえよ」
初めは、こんなはずじゃなかった。
あの時の花火は、まだ私の中は輝いている。それでも、現実は残酷な程に、淡々と過ぎ去って行く。始まりは煌びやかな花火だったかもしれない。でも、恋の終わりは蚊取り線香のようにじわじわと、音も立てずにやってくる。
「ごめんね、もっと早くに気付けなくて」
彼の線香の火は、とっくに消えていた。それに気付けなかったのは、私だ。
彼は俯いて何も答えない。
私は立ち上がり、窓の外に出て、ベランダから空を眺める。
この空に打ち上がった、大きな花火。その思い出も、いつかは消えてしまうのか。
私は部屋に戻り、蚊取り線香を片付ける。綺麗な形を保った螺旋は、あっという間にただの灰になった。私が彼に見ていたもの、それは、この灰のようなものだったのかもしれない。
そう思って見上げた彼の顔は、涙で濡れていた。
「ごめん、ごめん」
ただひたすら謝る彼を見て、なんだかこっちも申し訳なくなってくる。
「じゃあ、土曜日の夜、予定空けといてね」
「うん。頑張る。絶対空ける」
もう一度花火、打ち上がるかな。そんな淡い期待を彼の涙にかけてしまった。
まあ、なるようになればいい。消えた線香の火も、また点けよう。灰はもうなくなったし。
今度はしっかり、目に焼き付けておこう。
線香の火が燃えている瞬間を。

私はその火を、今度は絶やせずにいられるか。

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