解離の概要

今回は解離という現象について概要的な記事を書いてみたいと思います。
今後、解離という現象について紐解いて分析するような記事を書いていきたいのですが、その前段階として解離という現象についてざっくりとした概要のような記事があった方が良いなと思い、この記事を書くに至りました。
解離についての細かい詳細記事を書く場合にはこの記事のリンクを最初に貼り付けますので、こちらの記事を読んでから詳細記事を読んでもらえるとありがたいです。

解離とはトラウマになるような強烈なストレスを受けて限界を超えた際に無意識に自分の脳を仮死状態にして切り離す現象です。
これにより自分の身に起きた出来事を他人事であるかのように錯覚させる事で痛みから逃れることができます。
解離は確かにその瞬間を乗り切るためには有効です。
たとえば大切な人との死別などにおいては葬儀などが終わるまでは辛い出来事を切り離して目の前の事を淡々とこなしてやり過ごすというような戦略は病的ではなく一般的によくある事でしょう。
このように一時的に解離を起こすだけなら良いのですが、解離は慢性化してしまう事で様々な問題が発生する事になるでしょう。

まず一つはフラッシュバックの問題です。
解離によって自分を切り離すというのはその時の辛い記憶を冷凍保存するということです。
つまりその時起きた出来事というものがなかった事になるわけではありません。
その時の出来事は脳の何処かしらで記憶されているという事です。
そしてそのトラウマ体験と似たような状況においてトラウマの再体験が起こります。
これがフラッシュバックです。

これはつまりトラウマ体験と似たような状況において過去のトラウマ体験の恐怖が想起されてしまうという事です。
フラッシュバックというのは一般的にはトラウマ体験の記憶が想起されると言われていますが、必ずしもその体験が想起されるとは限りません。
そのトラウマ体験時の感情だけが想起されるという場合もあります。
怖いとか自分という存在を惨めに感じてしまうとか罪悪感や恥辱感に襲われるなどもフラッシュバックに含まれます。

特にトラウマが複数積み重なって複雑化している場合には具体的な記憶の想起がされずに感情のフラッシュバックが起こる事が想定されます。
つまり原因となるトラウマを本人も自覚する事ができないが、なぜか激しい感情に襲われるというような状態です。
なお、このように複数積み重なっているトラウマについては僕は累積性トラウマなどと呼んだりしています。
(あくまで僕の付けた名前なので一般的なものではありません)

このような累積性トラウマなどにより複雑化したトラウマによる障害群を複雑性PTSDと呼びます。
(発達性トラウマによる障害として発達性トラウマ障害という言い方もされますが、個人的には僕は累積性トラウマという言い方の方が良いのではないかと考えています)。

そして解離によって起こるもう一つの問題がアイデンティティの喪失と言われています。
解離が起きた場合に解離が起きる前のトラウマ体験の記憶を喪失(=解離性健忘)したり曖昧になったりする場合があります。
これによって出来事と出来事が繋がらなくなり、整合性が取れなくなるという問題が発生します。
経験が経験値になるには出来事と出来事が繋がる必要があります。
たとえば今目の前で起きている問題は前に起きたあの問題と同じだからこうやって解決すればいいんだなというように経験が目の前の出来事の対処法を教えてくれるのが経験値です。

ところが解離が起きている人の場合は、出来事の最中にリセットボタンを押しているような状態になっているため、その出来事が本人の中で無かった事になっており本人の身になってくれないのです。
慢性的な解離状態になる事で人間は自分が何者であるかという事を知らない内に見失う事になります。

解離は人間の人格を分離させます。
解離によって以下の二つに人格が切り離されると言われています。

•ANP(Apparently Normal Part Of  Personality)
あたかも正常な人格部分
•EP(Emotional Part Of Personality)
情動的な人格部分
以下ANPとEPと表記します。

ANP

  • 役割: ANPは日常生活を送るための人格状態です。通常の社会的機能や日常業務を行うための人格と考えられます。

  • 特徴: ANPは感情を抑え、トラウマに関連する記憶や感情から距離を置くことで、日常生活を維持します。

  • 目的: 安定した日常生活の維持。仕事、家族との関係、日常的な活動に集中します。

EP

  • 役割: EPはトラウマに関連する感情や記憶を保持する人格状態です。トラウマに対する感情的な反応を担当します。

  • 特徴: EPはトラウマ体験に強く結びついており、その記憶や感情を鮮明に覚えています。時にはフラッシュバックや解離性エピソードを引き起こすこともあります。

  • 目的: トラウマに対処し、それに関連する感情や記憶を処理すること。

※ANPとEPの説明についてはChatGPTより引用しています。
ここからはANPとEPが実際にどのように一人の人間の中に存在して影響を及ぼすかという事について話します。

解離している人は普段はANPで生きています。
EPとの切り離しが綺麗に成立していればいるほど本人は一つの人格として健康に生きているように見えるかもしれません。
しかし精神的に不自然に強すぎる場合も多いです。
解離が起きていない人間であれば傷ついたり悲しんだりするような出来事に対しても、それが他人事であるという感覚が成立している間は不思議なほど本人はダメージを受けないのです。
たとえば失恋や大切な人との死別など普通であれば多少なりとも落ち込んだり悲しんだりするような出来事に対しても不自然なほど元気だったりする場合があります。

不自然に元気なANPというのはある種の軽躁状態のように見える場合もあります。
解離と双極性障害のⅡ型との関連なども指摘されていたりしますが、おそらくEPを形成してストレスをEPに全て任せる事によってANPは不自然に強い人(=軽躁状態)になる事ができるのでしょう。
しかしながらこのような状態は解離というある種の麻薬のようなものに依存している状態です。
解離の麻薬が切れた際に激しいフラッシュバックが起こる事なども踏まえるとこれはかなり危険な状態ではないでしょうか。

このような解離による軽い躁状態というのは自己を喪失しているからこそ逆にぶっ飛んだ事ができるという風にも捉えられます。
近年、元2ch運営者のひろゆきさんが失うものが何もない人たちが凶悪な犯罪に手を染める事に対して「無敵の人」という言葉で懸念を示していたのも記憶に新しいです。
僕は解離というのもある種の無敵性を作り出す現象の一つではないかと考えています。
EPに全ての痛みを背負わせて痛みを感じないANPができていれば、その人がハイリスクな事に挑戦する事に抵抗が無くなるという場合もあるのです。

しかしこれらは半ば自暴自棄やヤケクソに近いような状態であまり健康な精神状態とは言えません。
万が一、途中でEPが表出してしまえば激しいフラッシュバックが起こるなどしてANPが一気に崩壊して激しいネガティブ感情の爆発が引き起こされかねません。
躁が終わればその分だけ鬱がやってくるのではないかという懸念もあり、軽い躁とは言っても迂闊に躁状態になる事にはそれなりにリスクがあると考えています。

解離においてANPが日常を担当している間に受けた傷というのはEPが背負っていると考えられます。
したがってANPとして日常生活を送っている間に本人も無自覚のままEPが傷ついているという可能性もあります。
そのような場合、なんとなく体調が悪いとか元気がないとか本人としては原因不明の不調として現れる可能性があります。
(原因不明の難病なども案外このようにEPが知らないうちに傷ついている事による症状だったりするのではないか?と個人的には思っています。)

フラッシュバックについて書きましたが、フラッシュバックというのはANPが EPに代わりに背負わせているトラウマ体験を想起する事でEPが表出する現象として捉えられます。
そしてANPは再びEPが表出する事を拒絶してトラウマを想起させるものを徹底的に回避する事で再び解離を強めていきます。
これがトラウマの上にトラウマが重なる累積性トラウマの正体であると考えています。

このようにトラウマの上にトラウマが重なる累積性トラウマが生じる場合にEPが複数出来上がるという説があります。
たとえば10歳の時に受けたイジメのトラウマ体験を背負うEP、20歳の時に受けた交際相手とのトラブルによるトラウマ体験を背負うEPのようにEPが複数が出来上がるというような状態です。
今回は解離の概要記事なので詳細については割愛させていただきます。

解離というのはANPによるEPに対してのネグレクトと言えるかもしれません。
解離している人はEPを癒していくことが必要になりますが、そもそもANPが EPの存在そのものを否定しているのです。
そこにはEPに対しての「こんな自分であってはならない」というような自分の弱さに対しての拒絶反応も含まれるでしょう。
トラウマなどを持つ人は自身の存在そのものに対してどこかで強い罪悪感や恥辱感を抱いていると過去の記事でも書いてきましたが、おそらくこれらはANPによるEPに対しての拒絶、あるいはEPによる自己嫌悪として捉えられるのではないかと推測しています。

そしてこのようなANPとEPの強烈な乖離が矛盾を生みます。
これがアイデンティティ喪失の原因でしょう。
解離によってアイデンティティが分離する事でアイデンティティの統合性が崩れてしまうのです。
自分が何者かが分からないだとか慢性的な離人感があるというのは解離の慢性化による症状と言えるでしょう。
パーソナリティ障害のような極端な白黒思考であったり感情の極度な豹変なども解離が絡んでいるのではないかと個人的には思っています。
これは単なる気分屋などという言葉で済ませられるものではありません。

本人が自分の中に人格が複数ある事や解離という現象について認識していれば良いのですが、おそらく多くの場合は気づいていないと思われます。
気づいていない場合には普段見せているANPとEPが表出した時の言動の矛盾について自分自身でも気が付いていなかったり、大きな問題だとは捉えにくくなるでしょう。
しかし周囲の人からしてみれば、突然豹変したとか今までのあの人と違うと言ったような困惑を生み、場合によってはその矛盾に対して嘘をつかれたり裏切られたと感じてしまう事もあるでしょう。
※アイデンティティの統合についてはこちらの記事で解説しています。

僕が初めてANPとEPという概念について認識した際に一体どちらが本当のその人なんだろう?という疑問を抱きましたが、おそらくどちらもその人なのでしょう。
しかしながらEPを抑圧しきっている本人やEPを見ていない人からすればANPがその人なんだと認識する事でしょう。

また捉え方によってはどちらもその人ではないという風にも考えられます。
ANPというのはEPを作り出す事によって無理やり維持させられている人格です。
そしてEPはANPを守るために存在させられている人格です。
ここで僕は「させられている」という表現はあえて使いました。
なぜなら自分の意思でしているというニュアンスを排除したかったからです。
このような状態はつまり主体が自分にない、自分がない、自分が存在しない状態だと言えるでしょう。

たとえば食器が1枚あるとします。
もしその食器が粉々に割れてしまったら果たしてそれは食器と呼べるのか?という事です。
粉々になった食器の欠片があったとしてそれを元々は食器であったものとは言えるが、もはや食器だとは言えないのではないでしょうか。
つまり解離を起こしている人のANPとEPは元々はその人の人格だったものではあるが、もはやそれがその人の人格であるとは言えないというような解釈です。

これらの切り離されたアイデンティティを繋げて一つのものとして統合するという事がトラウマや解離に対しての治療だとするのであれば、食器にたとえると金継ぎに近いのかもしれません。
割れたアイデンティティを一欠片ずつ集めてくっ付けていくというような感じでしょうか。
そしてその欠片は必ずしもすぐに見つかるわけではなく、何処に行ったか分からないという可能性もあります。
非常に大変な作業になるでしょう。

今回は解離の概要記事という事でここまでにします。
解離についてはまだ書きたい事がたくさんあるのですが、それはまた別の記事として書こうと思います。

気に入ってくれた方はサポートお願いします。