マジョリティの傲慢さ

世の中には大衆性の高いものというのがあります。
大多数の人が知っている有名なアーティストであったり、国民的スポーツ、グルメ、映画、なんでも良いです。
しかしながら大衆性が高いもの=あなたも好きであるはずだという勝手な前提で捉えるのは傲慢ではないかというのが今回の記事の内容になります。

これは僕自身が大衆性の低いマニアックなものが好きなマイノリティであるからこそ言えることなのかもしれません。
世の中においてマイノリティの立場に置かれる事でしか見えづらい事というのは沢山あります。
マイノリティの自分からすると自分と他人が同じ感覚である可能性は低いので、自分と他人が違う事は当たり前の事として受け入れられます。

しかしながらマジョリティ(=強者)の立場にどっぷり浸かっている人はその辺りの想像力が欠落しがちです。
たとえば今大人気のAdoが好きな人がいるとして、自分以外もAdoの事が好きであろうという前提に基づいて話を始めるなどがそうです。
(ちなみに僕はAdoは詳しくないですが、すごいボーカリストだと思っていますし尊敬しています)

とはいえ今の時代は SNSの普及などもありみんながみんな同じものが好きであるという感覚は弱まっていっていると思います。
きっと昔は大晦日になるとほとんどの人が紅白歌合戦を見ているのが常識でしたが、今の時代はそれ以外にも色々な選択肢があります。
そもそもTV番組ではなくてYouTubeを見る人もいたり選択肢が増えているでしょう。
これはマイナス面もあるかもしれませんが、これ自体は悪いことではないですし自然な事として捉えています。

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