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IBグローバルカンファレンスin Washinton D.C.

今回のnoteはワシントンD.C.の出張報告としよう。

世界のIBは大まかに世界3地域に分けられていて、年3回、それぞれの地域で関係者、教職員が集まるカンファレンスが開催される。
2024年は、アジア太平洋地区が韓国の大邱(テグ)市で3月に、南北アメリカ地域が今回のワシントンD.C.で、そして10月に欧州アフリカ地域がブタペストとなっている。

私自身は、IB機構から与えられている役職があったりする関係で、前回のテグに続き、ワシントンにも来ることになった。

IBのグローバルカンファレンスは実は参加費もなかなか高額で、今では3日間のイベントに参加するのに一人20万くらいかかる。
それにもかかわらず、参加者は毎年増えていて、3月の韓国では200人位がキャンセル待ちのまま参加できなかったらしく、また今回のワシントンのは2,000名近く参加者が集まったようだ。

全体会の会場の様子

分科会も予約制になっているが、どこも満席でIBに関わる教職員が新しい情報を得ようと前のめりになっている様子がうかがえる。

時代が急速に変化しているからだ。

メインの基調講演のテーマは、「AIと教育」、今後AIの普及によって教育現場はどう変わっていくのかということについて、私も含め会場の全員が引き込まれていた。

今回私が学んだことをここに書き切ることは出来ないが、AIに関しては大まかにまず2つある。

ひとつは、AIだ人工知能だとある意味大騒ぎになっているが、結局それが何であるかを理解している人はほとんどいない。考えるべきは、「何をするのか」「どう変えていくのか」といった目的を明確にした上で、AIなりその他のテクノロジー、仕組みを考えていくことであって、AIというものが勝手に世の中を変えていくわけではないということ。AIを有効に使うことが大切なのであって、使われていてはいけない。

もうひとつは、AIを始めとするテクノロジーやイノベーションによって、我々の暮らし、世界は加速度的に変化していくから、未来の姿を明確に予測することは本当にむずかしい。
それを踏まえ、子どもに与えるべき教育について考えようとするならば、もはや2020年代、30年代の世の中ではなく、2040年以降の世の中がどうなっているのかに思いを巡らせて考える必要があるということ。

講師の先生が示したこれからの教育についてのアナロジーとして興味深かったのは、スイスのアーミーナイフの写真だ。
ありとあらゆるツールを身につけさせるという概念を示している。

Versatilityというのは多用途性という意味

うちの園にいる幼稚園児を思えば彼らが社会人になるころは、確かに2040年代だ。世界の人口動態、気候変動、治安、ライフスタイルなど大幅に変化しているに違いない。

IBのカンファレンスに参加している人たちは誰も、そういう目線で新しい情報、考え方を取り入れようとしているのだ。

翻って、日本はどうだろうか。教育改革が必要だとさんざん言われてはいるが、実際には、不登校や教員の働き方といった教育内容や授業のあり方とは違うところで足踏みをしているようだ。

知識を暗記したり詰め込んでテストの点をとるような、受験制度の下請けのような教育がまだまだ主流であるし、親の意識もそういう方に向いている現状をかんがみれば、大袈裟でなく日本の教育がガラパゴス化しつつあると言ってもおかしくないのではないか。

時代の変化の中で「教育(行政システム)」は最も変化が緩やか(遅い)といわれている

私自身、今回もこういう場に身を置いて雰囲気を感じ取るだけでも、また気を引き締めて、新たな目線で日本に戻ることができる。
インスピレーションや気づきというものは、残念ながら日々追われている生活の中ではなかなか生まれて来ないものだ。

目の前のことに囚われてしまうと、時代や世相というものを3次元で俯瞰することが出来なくなる。

私もこれからは職員をどんどん外に出さなくてはいけないとつくづく思った。お金がかかっても、教員に気づきを与え、学んでもらうことがとにかく大事だ。

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