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つわりは「地獄」 知らなかったのは何故

いきなりマイノリティになった

ある夏、私はテレビから流れる大手衣料品メーカーのCMにイラついていた。キラキラした浮かれた顔で街を行き交う人々。キャッチコピーは「ワイドパンツは『みんな』のものへ」。
今考えると、これの何にそんなに腹を立ててたのか謎だし、まあイチャモンつけたなぁと思う。でも当時はその些細な言葉に敏感になる程、参っていた。
「え?何が『みんなの』なの?『みんな』って誰のこと言ってんの?私は履けませんけど。」
当時、妊娠7週頃から続くつわりに苦しんでいた私。お腹を少しでも締め付けると吐き気に襲われる。ワイドパンツなんて履けない。そもそも寝たきりだから履く必要もない。それに、これからお腹も出てくるから入らないよ。

そう考えて、なんだかいきなり、マイノリティになってしまったな、と思った。少なくともこのメーカーが考える「みんな」に私は入っていないんだと実感した。

そう感じた出来事は他にもあった。
テレビを見ていると突如流れてくる、グルメ情報やCMなどの食べ物の映像だ。映像を見るだけで吐きそうになるのに、どの番組を見ていてもかなりの割合で突然流れる。イラつくのと同時に、「人間ってほんと食べ物のことばっかり考えてるな」と哀れに思ってしまった。

世の中は妊婦のことなんて考えて出来てなかった。というか「健康なこと」が前提の社会だった。
持病がある方や障がいのある方はいつもこんな思いなのかな、と思いをめぐらせ、いかにこれまでの自分がお気楽な幸せ者だったのかに気が付いた。

テレビを見れる日はマシな方。食べると吐く、でも何か食べないと気持ち悪い。寝ている間だけは楽になれるけど、吐き気で目が覚める。
目が覚めた時すぐに食べられるよう、枕元にこんにゃくゼリーとフルーツ味の飴玉を置いて、目をつむり、ひたすら時が過ぎるのを待った。
窓から外の緑を眺めながら泣いた。
世界から取り残されたような感覚だった。

神様に祈ることしかできない

こんなに妊娠がしんどいなんて知らなかった。いつか子供をもちたいと思っていた30過ぎの私でさえ知らなかった。
どうしてなのか考えてみた。

当事者になってみて思ったのは、「その裏側に“母親の願い”があるからかもしれない」ということだった。

そもそも妊娠・出産は奇跡だ。今や夫婦の約4.4組に1組が不妊治療をする時代(※1)。それに、もし運よく妊娠できたとしても、出産するまで安心はできない。妊娠の約15%が流産になり、妊娠した女性の約40%が流産を経験している(※2)。

妊娠中は「ハッピーマタニティライフ」どころか、心配事だらけ。胎児の心臓は止まっていないか、早産にならないか、染色体異常ではないか、胎児に影響がある感染症にかからないか…不安からスマホで検索ばかりしている人も多いと思う。

そして、妊娠におけるほとんどのことは、自分では選べない。
自分の身体の中で起こっていることでも、決定権は自分にはないし、努力ではどうにもならない。できるのは神様に祈ることだけ。

私も「無事に、元気で産まれてきてほしい。本当にそれだけでいいから」と何度も願った。
そのような心情だから、自分がつわりで数ヶ月間寝たきりで苦しんだとしても、そのせいでキャリアが断たれようと、産院で“陣痛の痛みは手指の切断と同じくらい”と聞いても、じりじりと我慢した。「この自己犠牲と引き換えに、子供が元気に生まれてきてくれるなら、これくらい全然平気」と。
だって、もし文句を言って、流産したら?胎児に問題が起きたら?
頭では因果関係はないと分かっていても、あの時は全てが不安で、神頼みしかできなかった。だから「文句は言ったらダメだ。自分が望んだ妊娠だし、いくら辛くても死ぬわけじゃない」と自分を追い込んだ。

私の場合、軽い気持ちでした“出生前診断”で引っかかったこともあり(気が向けば別の機会に書く)、妊娠初期〜中期の期間は肉体的にも精神的にも、暗いトンネルの中にいるような“地獄”の日々だった。

上記はあくまで私の場合だけど、同じように“子供の無事を想う気持ち”が妊婦自身を追い詰めるケースはある気がした。
そしてそれが、一種の口封じのように弱音を吐けなくしているのかもしれない、と思った。

妊娠できたのだから文句言うな

もちろん、つわりの辛さが広まらない原因は他にもあると思う。

大きな一因として考えられるのは「個人差が大きい」ということだ。
私のケースでいえば、血の繋がる母親な姉妹でさえ、私ほど重いつわりは経験していなかった。
当たり前だけど、たとえば自分の妻や会社の先輩が「つわりはそこまでしんどくないよ」と言ったからって、他の女性全てに当てはまるわけではない。
もちろん「みんな乗り越えてるんだから」なんてイージーな言葉でひとまとめになんか、絶対にしてはいけない。

また、妊娠・出産はデリケートな話題だ。
すぐ側に不妊に悩む人がいるかもしれないし、流産を経験した人がいるかもしれない。だから「つわりの辛さ」を気軽なトピックとして話したり、SNSでシェアすることもない。
だって、もし「妊娠できたのだから文句言うなよ」なんて思われたら?それに、自分の言葉で人を傷つけたくないし。
そもそも流産する可能性がある為、一般的には安定期までは周囲の人に伝えないというのが慣例だ。
出産後も寝不足の中、小さな命を守ることに必死で、それどころではない。

伝える機会がなく、共感しにくく、伝えにくいトピック。だからこそ広まりにくく、理解されにくいのだと思う。

伝えなければ変わらない

そんな十月十日をなんとか耐え、出産した私だが、今は本当に幸せだ。

毎朝、起きて目が合うとにこぉ〜と笑ってくれる娘も、私が同じ部屋にいないと泣いてしまう娘も、可愛くて可愛くて仕方がない。生まれた瞬間から愛していて、自分より大切な存在。
あんなにしんどい辛いと涙していたことも、忘れそうになる。「こんなに愛しい娘に会えたのだから、不満なんて言うものじゃないよな」と自分で自分の口を封じてしまいそうにもなる。
それに、妊娠期間がいかに辛いかを語って、これから妊娠出産を考えている女性たちをこわがらせたいわけでもない。
でもその一方で、「伝えなければ世の中は変わらないんだよな」とも思う。

つわりをはじめとする、妊娠期間中の肉体的、精神的な負担についてはもっと多くの人が知ってもいいのではと思った。
女性だけでなく男性も。そして20代30代だけでなく、40代50代といった管理職の年齢にあたる人や、60代以上の祖父母世代の人たちも。
そうやって個々の意識が広がって、家庭や会社や国それぞれの場所で、もう少し踏み込んだ「妊娠期間中のサポート」のやり方を考えるようになれば、妊婦さんの負担を軽くすることは多少なりともできると思う。

その第一歩として私ができることは何だろう、と考えてこの文章を書いた。私にも「伝えることを諦めないこと」くらいはできるのでは、と思ったから。


※1:国立社会保障・人口問題研究所「2021年社会保障・人口問題基本調査」
※2:公益社団法人 日本産科婦人科学会

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