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118/* エレファントカシマシが好きだった

エレファントカシマシが好きだった。中学生のころ、「俺たちの明日」を聴いた。そのころは意味なんて分からなかったが、なんか格好いいなと思った。それからしばらく、エレファントカシマシの存在を忘れていた。音楽の聴き方など知らなかった僕は、思い出したように「俺たちの明日」ばかりを聴いて、なんか格好いいな、を繰り返していた。

大学生になって、歌が好きな友達ができた。こいつは歌もうまかったが、なんか心から声が出ているような気がして、よくカラオケに行ったりもした。僕が先だったか、彼が先だったか、どちらからともなくエレカシって知ってるか、という話になった。ああ、知ってるよ、格好いいよな、とそんぐらいの感じだったと思う。でもいつからか二人で狂ったようにエレカシを聴き漁るようになって、徹夜でエレカシだけを歌うためにカラオケボックスに逃げ込んだりもしていた。

「俺たちの明日」ばかりを聴いていた幼い頃の自分が抱いていたよりもずっと暑苦しくてまっすぐな歌がそこにあった。中学生には到底理解できないような歌が、すこし理解できるようになっていたのかもしれない。その頃の僕にとって宮本浩次という人間は、まるで僕の代弁者かのように思えた。悶々と抱える思いを言葉にするすべも持たなかった僕にとって、エレカシの歌を歌うというのは、心を解放しているような気持ちで、声が枯れてもただそこにいるだけでいいと思えた。

そのころ作った歌はどれも、宮本イズムに浸りきったもので、今じゃ聴くのも恥ずかしいようなものも多い。とにかく思いを言葉にすることに焦がれていた。気の利いた言葉は出てこなくとも、言葉にすることで安心できたし、歌にすることで発散することができた。

そんな日々のことをふと思い出した。

僕は過去に戻りたいと思ったことは一度もなくて、どんなに輝いていたあの頃より、今が必ず素晴らしいものだと思っているし、そう信じている。それでもあの頃はあの頃で、素晴らしく輝いていたなあと思う。世間一般が抱くような大学生活を送ってきたなど微塵も思わないけれど、それは僕の感性に合っていたし、だからこそ実現してこれた今がある。

ただ一つ、あの頃に羨むことがあるとすれば、言葉にすることに一切臆病でなかったという点だ。時には武器になるような言葉も、ただガムシャラに吐き出すことができた。もちろんそれは、良くも悪くもあることだが。今はというと、こうして書いているnoteも、やっぱり言葉は選び続けている。言葉によってアウトプットをする以上、そこで後悔はしたくないからだ。

言葉を生み出すまでにいくつかのフィルターを通せるようになったのは、とてもいいことだと思っている。けれど、時にはなんのフィルターも通さず感性のまま叫びたいときだってある。エレファントカシマシが好きだった、あの頃のように。

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