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余計な事ほどなかなか上手く伝えにくいという話

かといって、何もしないというのも。
かといって、変に拗れてしまっては。
※上の画像と話の本題は特に関係ないので、あしからず。

これからする話は、多くの人から変な意味に捉えられたり、変な誤解を生んだり、変な距離を取られたり、変な人だと思われたりする類のものだ。まぁ最後の方は仕方がないかもしれない。

これから書き綴るのは、私の結婚観が多少なりとも捻じ曲がってしまった事に対する経緯と要点、ついでに考察などである。
※"恋愛観"と表記しないのは、それだと範囲が大雑把過ぎるんじゃないかという判断に基づく。

ちなみにそこそこ話長いけど勘弁してね。

1. 経緯 -おおよそこんな人生

私は母子家庭育ちだ。
ちょうど私が中学に上がる前に両親が離婚。それ以降、私が大学を卒業し上京する迄の11年間を母親と二人で過ごした。ちなみに一人っ子だ。

理由は父のDV、その対象は母だった。
酒癖があまり良くなかったのはなんとなく知っていたけれど、それほどとは思わなかった。曰く、私が小さい頃から何度かあったらしい。
あれは確か、小学6年に上がる前の春休みだったと思う。きっかけは些細なことだったと思うが、その時初めて通院が必要な程のケガをした。
その日を境に母方の実家に避難、最低限のものだけ確保して生活しながら、離婚手続を進めた。
正式に離婚が決まり、一通り終わった頃にはもう秋が近づいていた。以後、生活費の支援(固定費)及び社会人になるまでに私にかかる学費等の全額補助を受けながら、母とニ人暮らしをすることとなる。

時は流れて、高校1年。
気がつけば母に彼氏ができていた。母と同年代で、どうやら職場の同僚らしかった。
最初は、たまたま仕事終わりに遊びに来たのかくらいに思っていた……が、そんな脳天気な考えはあっという間に蒸発する。
その後は月に何度か、気がつけば週に何度か、仕事終わりに一緒に夕食を囲む様になった。それでいてかつ、頻度も増えていった。
救いなのは、週末には来ることが無かったことだ。
学校のみならず家庭においても、どうして月曜がこんなに憂鬱になるのか?なんて考えていた。
当時私と同様に母子/父子家庭の同級生がいたものだから、彼らとああだこうだと愚痴みたいな話をする時も度々あった。それでもうちの場合は相手の人が真っ当な方だったので大分マシな方だったと思う。どちらかというとそうでない人が出入りしていた(らしい)同級生の家は……その後どうしただろう。

なお、この当時は二人がどういう関係なのかとか、どういうつもりでいるのかとか、当の本人達からの説明などは一切無かった。
「え、別に、好きにさせてもらってますけど。何か?」
と言わんばかりの状態だった。せめて(?)多少は説明してくれてもよかったのに、母よ……。
私も私で、この頃は10代の思春期反抗期まっしぐら。捻くれ&拗らせの絶頂にいたものだ。故に、
「何こいつ人の家に図々しく出入りしては母さんの飯平然と食ってんだよ一体何様だてめぇこの野郎」
……とか常日頃から思っていた。今になって思えば恥ずかしい限りだよ。全く。

2. 要点 -人生最大級の気付き

ところが、そんな日常でもしばらくすると変に意識したり警戒することが無くなった。飽きたというのか。それとも疲れたというのか。
ニュアンス的にどれが一番当てはまるのか、自分でもよく分からないけれど。どうしてだろうか、それまで考えもしなかった事にふと気が付いた。

「どんな関係性であれ、付き合い方であれ、
当人同士にとってその方法が一番いいなら、自由にしていいじゃないか」

それは至ってシンプルな結論。
これまでの複雑な感情などは全て、自分の中で綺麗に腑に落ちてしまったがために有耶無耶になってしまった。

それまでめちゃくちゃ悩みまくってたはずのものが、
「あれ、何で今までこれ悩んでたんだっけ……?意味分かんないんだけど」
って、しばらく経ってから気付く事があると思うんだ。中学・高校数学の問題とかさ。経験ありませんか?

ちなみに私の母だが、もう10年以上その方と続いている。平穏そのものだ。

3. 考察 -ややこしさの特異点

決して変な意味で自由にしていいと言っている訳ではない。

例えばどちらか片方が必要以上のリスクを負う、別の誰かが幸せになれない、救われないものはNG。浮気やら不倫やらはこの括り。
逆に両者合意の上での事実婚やらセフレやらは別に勝手にしてくださって良いんじゃないの……?という、たったそれだけの事に過ぎない。こうして書くと、本当に対した話じゃないな。とつくづく思う。

なのに、それなのに!
実際こんな話をすると、大体「なんじゃそりゃ」的な反応が返ってくる。もちろん私だってTPOやら何やらはきちんと弁えているつもり(弁えられているかは別)だし、出会ったばかりの初対面の人には極力こんな闇深い話しないし、「この人なら、まぁ、とりあえず聞いてはくれそうかな?」とか考えながら話している。

……が、現実はそうはいかず。
それこそ実例を挙げると、ある女友達には、
「結婚願望がない遊び人だと思われるから、他の女の人の前ではそんな話しちゃダメだよ」なんて言われたことも。
何でだろう?私の話し方が下手だったのか。それとも……とか考え込んでしまったり。

4. 指標 -結局私はどうしたい

一昔前、私がまだ10代の捻くれ&拗らせをそれなりに引きずっていた頃、バツイチに憧れていた時期がある。今になって思えば、結構意味が分からないと思う。分からないよね……?

めでたく相思相愛になった素敵な人と一生涯添い遂げるのはなんだか気恥ずかしいし、そもそもこんな自分が人並みの幸せを享受できるのか?、みたいな自虐的な考え方から、「別に永遠でなくとも、一時的かつ一度きりでいいから、誰かにとっての特別な人になりたい」という相当偏った願望が顕在化したのだ。でなきゃこんな事わざわざ誰も思いつかないだろうよ。

そしてそんな偏った願望が払拭されたのは20代も折り返し、ベトナムに来てもうすぐ1年が経とうか、という頃だった。

名前こそ失念してしまったが、とある女性がいた。
日本で出会った交際相手が仕事の都合でタイに異動、遠距離恋愛になったものの、たまたま海外研修か何かでハノイに来たことで一時的に中距離恋愛(?)になったのだと記憶している。
ある時、何処かの二次会で「指のサイズを聞かれて、結婚指輪なら必要ないよって答えたら拍子抜けしてプロポーズの仕方に困るくらい、不器用だけど実直な相手なの」とか「近々弾丸でタイ行ってきて、多分プロポーズされます」とか、それはもう大層素敵な話をしていたのだが、そんな話の後にこう付け加えていた。
「(前略)、実は昔からバツイチに憧れていて。人生で一度くらいは誰かに選ばれておけば、それだけでも十分幸せかなとか考えていて」
彼女は私と同じだった。そこに至る経緯までは不明だし掘り下げなかったけれど、まさか同じ思考に辿り着いた人がいると思わずに心底驚いた。
彼女の幸せのろけ話に心穏やか&感情移入していた私は咄嗟に、「いや、もうそんな偏った願望にわざわざ縋る必要ないから。素直に人並みの幸せ掴み取りに行ってよ!」と叫んだ。

……思わずハッとした。
その言葉は彼女に向けたツッコミであると同時に、自分を救うきっかけになる言葉でもあったから。
皆誰しも、自分の人生の夢や目標は普通に立てていいのだと。例えどんなに「自分は変わった人間だ」と自覚していようとも、その人生設計まで意図的に変わったものにする必要なんて全くないのだという事に気付かされた。

それ以降、私は私自身の心に従って、よく人と触れ合うようになった。
実は今年も素敵な人に当たって砕けたよ。

大事なのは結婚できるかどうかじゃない。恋仲になれるかどうかでもない。
どれだけ素敵な人に出会ったか、どれだけ駆け引きを通して気持ちが揺さぶられたかが大切なのであって、
後はもう、大体その延長線上にある出来事なのかもしれない。

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