相変わらずではいられないという話
進む先に道はなく、進んだ分だけ道がある。
7月に転職をした。
今回で2度目、前回はちょうど1年前だ。
せっかく入った日系の準大手IT会社だったが、まさかたったの1年で辞めるとは思わなかった。
原因はいくつかある。
日本人を一定以上配置させる必要性が会社側に特に無かったこと。
日本本社がグループの各海外拠点に対して現地化を推奨・推進していること。
帰任になった駐在員の後任に当たる現地マネージャーが優秀で、引き継ぎもスムーズだったこと。
開発拠点・コストセンターとしての立ち位置を保持するのみで、現地独自に事業開発・営業開発するつもりがほぼなかったこと。
そんな環境の中で、自分の立場と仕事を社内で確立できなかったこと。
気がついた時には、会社に対する興味関心は皆無だった。
この1年間でどう変わっただろうか?
果たして何が得られただろうか?
悲しいことに、特に何も浮かんでこないのだ。
今回は思い切って異業種に飛び込むことにした。
『仮にまた別のIT会社に入ったとして、結局同じことの繰り返しになってしまわないだろうか?』と思ってしまう位、この頃既に業界に対する興味も薄れていた。
人材紹介会社の友人にも、『今度はIT以外の業種業界がいい』と正直に伝えた。
結果、IT会社のマネージャーからサブコンの営業マンになった。
業界未経験なのは当然として、営業経験も素人同然である。
一昔前、駐在員時代。大体月1回程度問い合わせが来ては、重い腰を上げて工業団地まで出向いた。あの頃はそれが精一杯だった。
『生産管理システムを導入することで、所要量計算が容易かつ正確になります』とか、
『自社開発の在庫管理システムでして、ハンディターミナルと連携して入出庫の時間と労力を大幅に削減できます』とか、
大体そんな様な事を、淡々と話していた気がする。
専門的な部分、深く突っ込んだ話は当時の同僚(N2.5くらいのBrSE、草創期から在籍)にほぼ任せっきりだった。
今思うと、大したやる気のない仕事の仕方だった。
それが今では、自分からアポイントを取るようになった(当然か)。
社用車が無い日は自分のバイクで行く。ちなみに今月はHaiDuong省まで行った。片道50km超、すなわち往復100km以上確定。
そしてその上で、
『こちら実際の外壁サンプルになりますが(中略)ベトナムではこの5工程塗装が最も理想的だと考えております』とか、
『先日同じ工業団地の〇〇様からもご用命頂きまして、日本の公衆トイレよりも綺麗にさせて頂きました』とか、
いかに分かりやすく、いかに相手の興味関心を惹くか、常に考えを巡らせながら自分なりに一生懸命言葉を紡いでいる。
{今のフレーズは感触よかったぞ}とか、
{この話の流れに一言こう付け加えるとちょっとだけ笑いが取れるぞ}とか、
冷静に考えると、昔とは比較にならないくらい仕事にやる気を出している。
中二病→高二病→大二病と、
しっかりキャリアアップしながら偏屈者へと育った昔の自分。
東京の片隅で社会の歯車をしていた頃の自分。
異性とまともに顔を合わせられなかった自分。
その頃と比較すると、実は今は大きな転換期の真っ只中にいるのかもしれない。
まずは1年後。今の自分からどう変わっているだろうか。
全ては自分自身の将来のために。ほんの微かな希望を見出すために。
相変わらずではいられない。いられないのだ。