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ドライな組織に1年いたら、心理的安全性の価値観が変わった話

創業2年目のスタートアップで、社長室的な部署で広報や人事などの業務に携わり1年が経ちました。

オフィスがないフルリモート・スーパーフレックスの会社で、よくある部活やSlack上でのスタンプの応酬、timesと言われるような社内Twitterのような個人チャンネルも禁止、オフラインでの交流も多くないなど、側から見るととてもドライに感じる組織に所属しています。

そんな組織でも個人的にはとても心理的安全性が高いと感じています。
その要素はたくさんありますが、今日はテキストコミュニケーションに絞ってみようと思います。

思いやりとは、ローコンテキストなコミュニケーション

今の組織に入る前までは、「思いやりを大切に」という前提で「言い方に気をつける」ことや「はっきり言わない方が良い」とされている文化圏にいました。

そこでもコミュニケーションに関するいいtipsは得られていたので、良かったと思っています。
(フィードバックは褒めから入り、改善点は1つに絞るetc)

しかし、今はハイコンテキストなコミュニケーションを排除し、ローコンテキストなコミュニケーションを評価するという文化圏です。

殺伐としているように感じてしまうのでは?と思っていたのですが、全然そうではありませんでした。

むしろ、圧倒的に良いと感じる点が2つあります。

① 無駄な情報がなく、対応スピードが上がる

無駄な情報がなく、知るべき情報がシンプルに入ってきます。

▼知るべき情報

  • 何を・いつ・誰が・どうしたらいいのか

  • どこが問題点(ボトルネック)なのか

  • 権限はどこにあるのか

この辺りでしょうか。

一方私が過去に直面したことのハイコンテキストなコミュニケーションによる問題として、上記のような必要な情報が見えづらくなり、忖度や配慮と称して問題点を明確化しないことなどがありました。(感じ方は個人差あると思います)

② 感情を排することが容易にできる

上のように情報に無駄がないことから、個人の感想や感情が情報として入ってきづらくなり、目の前の業務を完遂するため、起きている問題を解決するために必要な情報だけを取り入れられます。

そして、事実ベースで全てのコミュニケーションが進むので、事象に対する結果だけで評価がされるのです。

もちろん、結果という中にも、パーソナリティが業務に対して価値を発揮する場合もあり、その結果も達成するべき目的にマッチしていれば評価されるという理解です。

そして、「攻撃、詰める」のようなネガティブな感情もあまり感じません。
お互いに必要なことを確認したり、改善するために事実を挙げるという共通認識でコミュニケーションが進みます。
(社内では無駄に感情を読み取ることを幻聴と呼んでいます。)

問題を小さいうちに解消するためにも、日頃から改善点を事実として伝え合えることの方が実は結果的に思いやりがあって良いのではないかと思うようになりました。

まとめ

やりがい、楽しい、のような感情はすごく大切ですし、感謝を伝え合うなど基本的なコミュニケーションは取るべきだと思います。

ですが、何より結果に対して愚直にコミットしたい組織である場合は、その結果をともに目指し続けられるローコンテキストなコミュニケーションの方がお互いの成果にまっすぐ進むためには良いのではないかと思いました。

最近、ハイコンテキストを一切排除したコミュニケーションができるようになり感じた気持ちよさ、合理性、実は配慮があるという実感を残したく書きました。

面白い組織にいるので、また別の気づきがあったら書いてみよう。

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