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デュアルタスクとアヴリルラヴィーンの関係性




あなたの生きるモチベーションはなんですか?

見晴らしの良い景色を見ることですか?
それとも、美味しいご飯を何不自由なく食べれる事でしょうか?

ここのところ、僕のモチベーションはとにかく、心体ともにズタズタにする事自体にモチベにしています。

限界の先には何があって、どういう境地なのかという興味があります。

今まで見えてきた視点を超越して、何か素晴らしい”桃源郷”があるのだろうかという関心があるのです。

ここ最近では可処分時間(その人が1日の時間をどういう風に過ごさせるのか、コントロール下に置くのか)の奪い合いが多くなってきている、厳密にはそう意図的にさせていることは、既に色々な所で言われております。

その結果として、日々色々と手をつけて気がつけば時間だけが過ぎてしまっている、あの感覚です。

目の前の動画を真剣に視聴するというよりは、”ながらプラットフォーム”ということも言われているくらいです。

家事をやりながら、ご飯を食べながら、湯に浸かりながらと。

とにかく何かをしながら、動画なり音声なりを見たり聞いたりする人が現在ではとても多いそうです。

僕の感覚ではこういった”同時進行”は、どっちつかずな感じがしてどちらにおいてもベストを尽くせれていないのでは、と個人的に思っています。

注意散漫で少しの物音がしたくらいで、そこらをキョロキョロとし、怯えているまるでドギー(子犬)のようです。

そうなることは自分自身でも凄い腹立たしいし、幸福で生きていきたいのであれば、極力そう言った時間はなるべく少ない方が好ましいでしょう。

とはいえ、なんやかんやであれやこれやと日々を悶々とし、不安ばかりが募る日々がここ最近までありました。

つまり、没頭感が生活に浸透している場面が少なかったということです。

上記の例のような、”デュアルタスク”を行うことを僕個人的にはないのですが、そういった近しい感覚、中途半端にあれやこれやと悩んでいたことが僕にもここ最近まであったんだということです。

その状況を考察してみると、全てが頭でっかちで何一つとして、アクションが何一つとして起こせていないのです。

つまり、脳内パンクなんです。

昨今は、ある情報を獲得しようと思うなら、今すぐにでもこの記事を閉じて目的のサイトにすぐに行くこともできるわけだし、今すぐにでも”エロビデオ”なんというものでも視聴する事ができるわけです。


自分が必要とする情報もだし、それを必要としない情報までの全てが半自動的に見えてしまうというのが実感だと思うんです。

だから、いかに自分が必要とする情報だけを正確にそして、早く獲得できるかがこの忙しい時代には必要であることは明確なことでしょう。


いかに目の前のことに中途半端ではなく、真剣に向き合えることができるのか

先ほども言ったように、”半自動的に良きもの、悪しきものが混在している”というのが、この”プラットフォーム”というものなんだということですが、その”良い”、”悪い”という判断を下すのもそれなりの、”集中力”が大事なわけで、ある種カウチー族のようなポテチとコーラを食べながら片手間で、動画を見てみてもただ時間だけが過ぎてしまうというのが実際のところでしょうか。

受験勉強のように、ある机に10時間以上、拘束するほどまでの集中力は必要としないまでも、何かの作品に向かう時の態度と言いますか、扱い方が少し疎かな感じがしている気がしてしょうがありません。

これはひょっとすると、僕がまともに会社勤めで週に40時間以上という所謂仕事というものをやっていないから、1つあたりの作品に対する効率性(デュアルタスク)を求めていないかもしれません。(時間が多少取れるため)

が、この効率性を意図としたデュアルタスクには大きな弊害があると思うんです。


デュアルタスクは果たして効率的なのか

学生時代は5教科を週に何コマも講義があり、多い時では1日に5教科をまんべんなく頭に詰め込んでいたと思います。

これを読んでいる大半の方がもう既にご体験だと思いますが、果たして本当にそれは”効率的”であったのだろうか?ということを改めて考えて頂きたいです。

僕はいうまでもなく、男ということはもう既にご存知かとは思いますが、(逆にこんなに筋トレを熱く語っている女性クリエーターの方がいればご紹介を頂きたい。)男は女に比べるとデュアルタスクをこなせる能力が欠けているのだと、どこかの記事で読んだことがあります。

確かに、”目的思考性”、”論理性”とも言われる所以がまさにそうですし、レストランやショッピングというとこでは顕著にそれらが分かり易い場所でありましょう。

目的思考、つまり予め何かを得ようと思ったら、それに真っ直ぐに向かうことができるということです。

レストランであれば、例えば”チキン南蛮”が食べたいとしましょう。


チキン南蛮というある種ゴールに目掛けて、一直線に獲得することができるのか。

実体験としても、よくあるシチュエーションに男性陣は、行く前からおおよそ食べたいものが決まっているということです。

実際に店に着くや否や、すぐにコールボタンを押そうとする、だって食べたいものがわかっちゃっているから、

口が南蛮になっちゃているから。もうこの辺は男性陣特有の感じでしょう。

が、それに対しての女性陣の見解はというと、目的思考性が弱く、ある種ゴールという獲物を決めずに、のらりくらりと歩んで行く内に、
それとなく良さげなものを食べちゃいましょう、という感覚が多いように感じます。

南蛮もいいけど、さやいんげんもいいなぁー、ああ、今日は肌が荒れているからこの、おからハンバーグもいいかも、、

という具合に、メニュー選びを通して既に楽しんじゃっているのです。

でも、男はゴールとする南蛮を食べないことには、満足はすることはありません。スタートに立てないのです。

男は結果を求め、女性は過程を好むとはよく色々な場面で言われますが、まさにそれを表しているでしょう。


という話から、また”効率性”に戻りますが、世間ではデュアルタスクというものが効率的であるんだという風潮を感じますが、本当に効率的であると言えるのでしょうか?

このデュアルタスクという発想の背景には、”時間削減”という概念から恐らく来ているとは思いますが、果たしてそれは質は担保されるんでしょうか?

動画視聴スピードも同じ趣を感じます。

視聴スピードを1.0から倍速の2.0にしたことで、確かに時間は半分削減できるとは思いますが、果たして質は担保されていますか?

時間削減をして効率的にとは思いますが、でも大前提として、それらを知りたい、学びたいという欲求から視聴をするという行動が伴うはずですので、それを疎かにしてまで時間を効率的になったとしても、僕にはとてもグッドジョブだとは思えれません。

僕が学生時代に流行った”速読法”とも言えることです。

一定のスピードで難解の文章を速読できるのか?ということです。

“哲学書”を速読できますか?ということです。

とても無理を覚えます。

ですが、場合によっては”デュアルタスク”が可能となる場面があるかもしれません。

例えば、小学館から出されている教材、具体的なところで言うと絵本としましょう。

“絵本”を読みながら、”ご飯”を食べる、”99ドリル”をやりながら次の”ビジネスの企画”を考える、

僕にはこの感覚がわかりませんが、ひょっとすると個々で行うよりも、同時にデュアルに実行した方がどちらとも生産性がいいという方がひょっとするといるかもしれません。

では、筋トレと相性のいい音楽を聴きながら、とではどうでしょうか?

“ベンチプレス”をしながら、”アニソン”を聴いてみる、
“スクワット”をしながら、”アヴリルラヴィーン”を聞いてみる、

どうでしょうか?

それぞれ生産性が上がるのでしょうか?

僕の実体験では、あり得ると思います。

つまり、スクワットをしながらアヴリルラヴィーンを聴けちゃいますし、アヴリルラヴィーンを聴きながらスクワットができちゃうのです。

でも、これはそれらが”各々が習慣になっている”こと、という条件付きで可能と言えるということだと思います。

要は、スクワットも当たり前にできるレベルであるし、アヴリルラヴィーンの歌詞もあたりまえの様にそらんじて言えるというレベルで、という条件であれば。

じゃ、僕は”バンジージャンプ”をしたことがないので、またそれを日常とすることがないのですが、果たしてアヴリルラヴィーンを聴きながら、バンジーできますか?ということです。

いや、無理でしょ。(苦笑)

あの哲朗もきっと無理でしょう(笑)

だって、バンジーの踏切のところで、恐らく膝が崩れ落ちますし、もはやアヴリルではいられない訳なんです。

それこそ、[ What the hell ]なんです。(笑)

この様に、個々が各々習慣になっているものは、恐らくデュアルタスクができそうな気配が僕自身にはあります。

なので、僕も普段慣れ親しんだエクササイズの時や、聴き慣れた歌詞であればデュアルタスクでやっていたなぁ、と今振り返ってみてみると行っておりました。

で、”効率性”という言葉に戻りますが、結局のところ各々の個人で、デュアルタスクが向いているのか、向いていないのかのご判断をいただきたいですし、そういう効率性を考えたことがなかったという人は、男性女性という”生物学的”に試してみるでもいいし、僕が暫定の解である”2つの事象が習慣になっているもの”同士を掛け合わせてみてみる、という意図で行ってもいいし、もう自由なんです。

最終的に身につけていれさえすればいいだけのことですから。


で、くれぐれも注意して欲しいのが、世間で蔓延っている効率性という言葉にあぐらをかかないでほしいということです。

大体言われていることは、質が担保されていない場合が多いですから。


ですが、僕が最終的に言いたいことが、もっと自分勝手に生きりゃよかろうと思うわけです。

「何かと情報情報!!この世は情報社会!!!情報格差!!!!」

なんて言われて久しいですが、それに囚われている人々が僕の周りでは多い感じがしてしょうがありません。

なんか自分が行動したい意思以外に関わらず、結果だけ(効率的に生きる)として見ちゃっている、という節がよくあると思います。

そんな感じだと、1日に24時間全てを使っても使いきれませんし、足りなさすぎます。

だってそういう生き方だけだと全てが空回りをし、鳴かず飛ばずな結果として終わるからです。


今、本心でやりたいことだけを全力で注げる習慣が僅かな時間でもあるのか

具体的には、朝起きたら、すぐにメールチェックをして、返信して、今日の予定確認をして、、などが典型的だと思いますが、
本来正直どーでも良い事柄ですし、それをあなたが人生をより良く生きる上で、メールチェックをすることが最善なのかというと果たしてどうでしょうか?果たして本心から来る行動なのでしょうか?

会社とのやり取りで、、、
彼女との週末デートで、、
実家からお米の郵送が届き、親への感謝を、、

等々は、あなたが一番エネルギーが高いときに高い集中力の時に、真っ先にアクションする事柄なのか。

それが本心からそうしたいと思うなら良いと思いますが、もっと自分に対しての時間を使って頂きたいものだなぁと素朴に感じます。

なんで、そんなに必死こいて携帯電話にかじりついて、次の返信までご機嫌を伺わないといけないのか、
なんでいちいち、着信音をならす設定にしているのかが、僕には少し違和感を覚えます。

迷惑がかからない範囲でもっと気軽に生きればと、。

もっと自分の時間を確保することに努めて欲しいですし、またそういった環境を整えて欲しいなとも思っています。

で、その究極体は没頭状態でいることであると思うのです。


”BOTTOU”

この没頭状態での例が、例えば元ハンマー投げの”室伏広治”さんとかです、

彼はゾーンに入るための書籍などを出されていますが、ここで言われているのは自分の内なる声と外界との声がジャストフィットするとありました。つまり、自分が起こした”アクション”に対して、外界の何がしかが”リアクション”をするということです。

実際にあったこととして、彼はオリンピックという大舞台でその当時は無名ながら実力は十分な持ち主で、その前後の大会ではあらゆる記憶を総なめにし、期待を買われていた選手でした。

で、そのオリンピックという大舞台の彼の出番直前には、開催国アテネの地元選手が室伏が行うハンマー投げの少し離れた別の場所で行われていて、歓声が凄まじかったそうでした。

室伏という逸材を見ることなく、観衆はそっちのけで地元民をそりゃいけいけどんどんという感じで、地元選手を後押ししているという、観衆大合唱と言われる程に会場全土を轟かせていたそうでした。

流石の室伏もそういった光景は初めてだったそうで、いつもの試合前に行うゾーンに入るための準備が簡単にはできなかったそうでした。
新記録というある種、期待をされていた選手であるが半ば彼は諦めていたんだそうです。

「いつもとまるでコンディションが違う!!、ファッキン!!!」

で、室伏はふと会場のフィールドに仰向けになって、深呼吸をし、ふと空を見上げたそうでした。

そうしてみると、内なる声と外なる声が共鳴し合い、調和しちゃったという事があったそうです。

本人は目の前のノイズから逃れる為に、外界からを情報を遮断し自分がある種、瞑想ができる状態、環境を整えようとしようとした事が、(天井を見上げる)結果として”CHOWA”したんだそうです。


つまり、自分でコントロールをし、自分で見たい情報を見たこと自体が没頭状態ですし、その副次的な効果としてゾーンという瞑想状態に走ったと思うんです。

だから、日常を生きる我々ももっと自分が見たい情報を自身でコントロールをし、意図的に環境を作り、日々の行動に対してゾーンになっていけないと思うのです。

そのためには目の前のことを全力で行う必要性が出てくるということなんだと思ってます。

例えば、僕で言えば文章を書く事自体が、自分の内なる声が聞ける事だったり、時に筋トレをしている時であったりとするのです。

でも、その動機としてはただ純粋に楽しいから、、という理由からが多いのですが、時たま不安になったり、気が散ったりする感覚がある時は、こういった意図的に環境設定をするということを念頭に置いて、最近は生きていたりします。

今、現状に僕と同じようになんでかわからないけど、どっちつかずで日々が充実していないという実感がある方は、少し参考にしてみると良いと思います。

今回は、デュアルタスクとその効率性、没頭状態を自分なりに考察してみました。

これを混んでいる方で、日々デュアルタスクを行っているのであれば、どういう組み合わせなのか、又どういう時に没頭するのかを、コメント欄で気軽にコメントしてみてください。


筋肉代行屋 J

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