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燃える男と踊る女



先週は、ボディビル競技のフィジーク大会を観戦しに行きました。

当日、行われたカテゴリーは、僕が2ヶ月後に出場予定のメンズフィジーク競技というものと、ビキニと言われる女性カテゴリーのお披露目でした。

結果的にどうであったのかと言いますと、もう最高でした。満喫しました。


と、ここからは詳しく内容に移っていきますが、大きく分けて今回のこの最高と感じた理由は、主に2つの側面からでした。


その2つの側面とは、観客者としての楽しさと、競技者としての喜びの2点から成ると思っています。

まずは、観客者としての楽しさですが、もうこれには色々と感じさせられました。

僕が常々、ここのブログを通して”エンターテイナー的に生きる”ということを言っておりますが、まさしくこの要素がここではもろに浴びせられました。

選手個々人が、観客一人一人を楽しませようと、自分のモテる力全てを使って自己表現をする、壇上の上で選手同士で思いっきり、筋肉美を張り合い、会場を沸かせようとする、そんな選手の心意気には感動をしました。

壇上の上では、本当に僅かな時間のなかでしたが、あなただけのフィジーク、骨格をまさに唯一無二の一つの作品として、観客はまさに品評会という様な感じで、見入ったことだと思います。

また、親子で出場をしたお母様と、娘様の親子ペアで参戦されたこととか、まさに感動を覚えました。

予め、出場者の名簿冊子が、フロントで頂いたので、その親子の名前が記されており、驚くのはお母様のその年齢のこと。

齢55歳だとか、、。


「こんな、お母さんが欲しい、、。」

「永遠のアンチエンジング!!」

などなど、面白い掛け声が、僕が見ている席の後ろ側から、まさしく格好こそはわかりませんが、エロ親父と言いますか、でもそこには上品で終始面白みのある、歓声で辺りのギャラリーもそんな、彼の次の1声を待ち遠しにしていたことでしょう。


とか、、。


あとは、昔に通っていたジムの人を3年越しに見てみて、あああの人はこうなったのか、ああなったのか、、というそんな成長具合を感じたり、意外としれっと知り合いが選手として出ていたりと

この様に色々な感情を、このコンテストを通じて浸ることができました。


で、2つ目の競技者としての喜びですが、僕の過去の投稿を見て頂ければ、お分かりのように、9月の中旬に僕も同じくして、フィジーク競技に出場をすることがすでに決まっております。

今回のこのステージ上に立った選手に、2ヶ月後には自身も成るんだということです。

僕は、今回のこの大会を観戦をした理由は、主に視察です。

ある程度、今回の大会のレベル自体は低くはないと知っていたので、じゃあ彼らのそんな素晴らしい体つきを見ようじゃないか、という理由で観戦をした理由です。

別に誰も応援なんかしません、カメラを撮ることもありません、『イジツブテ!!」と声を出すこともありません。

大人しく、ただじーと目の前に映る体つきを見て、ただただインプットしていく、そんな感じです。

また、同時に分析もしています。


「僕がここの壇上にここのグループに混ざったら、果たしてどう成るのだろうか?」

また、違う選手をみると同時に、自分の強み、弱みを自ずと目が向いてしまいます。

「僕の強みは何で、何が弱点なのか、」

一周して、究極的に僕がかっこいいと感じるフィジーク、体格はなんだろうか?

という自問自答を半ば半日間、思考が巡るに巡っておりました。


でも、どんな考えをするのにも、前提となる感情があって、それは”勝利”という2文字だけが、頭の中に感じて止みませんでした。

「ただ、勝ちたい、勝ってみたい」

今、僕の皮膚を包んでいる皮下脂肪を全てを削ぎ落としてみたい、早く作品を完成させたい、という気落ちが高揚しておりました。

でも、作品を完成させるという”美”というよりは、大会が近づくにつれて、VS構造の破壊、即ち”滅”といった文字を表すのが、適切だと思います。


「滅したい、捻り潰したい、木っ端微塵」

このような単語群が観戦中に三の矢四の矢と、矢継ぎ早に脳裏を駆け巡っておりました。

競争があるのもかえって、心地よかったりもするかもしれませんね。


筋肉代行屋 J

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