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落ち込んだら、いっしょにご飯を作ろう

昔、5年間付き合った人にフラれたことがある。

22歳の時の話。付き合ったのは17歳。
高校生の終わりから、大学生の全部。
大人になっても5年間って長いけど、その頃の5年は思春期の大半だ。


私たちは付き合う前からとても仲が良かった。
何でも話せる恋人であり、親友だった。

共通の友人もたくさんいて、みんなから祝福される2人だった。
ずっと仲良しでいられると思っていた。


だけど、ある日突然、「好きな人ができた」と言われた。

予兆は、まあ、ないことはなかったけど、その頃は見ていないフリをしていた。
だからその言葉を聞いたときは、頭をガツンと殴られたような、急に体温がすっと下がったような、そんな感覚がした。


その言葉に何て返事をしたか、今はもう覚えていない。

ただ、改札でバイバイをするときに、「今まで毎日連絡をとっていた人と、もう会うことがなくなるんだ」と思ったのだけ覚えてる。




そうしてお別れをしてから、しばらく何も手につかなくなった。

社会人になったばかりなのに仕事に集中できない。
いつも頭がぼんやりしていて、気がつけば「自分の何がいけなかったのか」と考えて涙が溢れた。


夜は1人になりたくなくて、毎日友人に会った。
話を聞いてもらいながらお酒をたくさん飲んで、べろべろに酔っぱらった。
その時は元気になっても、また1人になると彼のことで頭がいっぱいになった。

お酒は浴びるほど飲めたのに、ご飯は喉を通らなかった。
日常がどこかに行ってしまったような気がした。



そんな中、友人の柳くんとSNSでやりとりがあった。

柳くんと、彼の奥さんの咲ちゃんとは、私たちカップルと4人で遊ぶ仲だった。
だけど、柳くんは元々は彼の友人だったこともあり、別れたことは伝えていなかった。


やりとりの終わりに、彼は言った。

「また4人で飲もうよ」

その文字を見て、泣きたい気持ちを押し殺しながら返信した。

「それがさ、実は彼にフラれちゃったんだ。
元々彼から始まった仲だけど、これからも仲良くしてね!」


そのメッセージはすぐに既読になった。
そして一呼吸おいて、奥さんの咲ちゃんから電話があった。

「楓ちゃん、今から家にご飯食べにこない?」





その日予定がなかった私は、仕事終わりに電車に乗って彼らの家に向かった。

チャイムを鳴らすと、柳くんと飼っている犬が出迎えてくれた。
玄関まで、お出汁のいいにおいが届いた。


「ごめん、今作り始めたところなの!
楓ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」

キッチンでぱたぱたと動き回る咲ちゃんからそう声をかけられた。

その頃、私はまだ実家暮らしで、あまり料理が得意じゃなかったけど、キッチンに立ったら咲ちゃんがテキパキと指示を出してくれた。


「はい、このかぶ、皮をむいて4つにくし切りにして、お出汁のお鍋に入れてくれる?
葉っぱの部分は、1cmくらいに刻んでね」

かぶの皮を剥くのは、それが初めてだった。
できるだけ薄く、丁寧に皮を剥いた。
葉っぱと茎も、長さが同じになるように気をつけながら切った。

切り終わった頃を見計らって、咲ちゃんはフライパンに油を注いだ。
しゅわしゅわと音がしたところに、刻んだかぶの葉と、じゃこを入れた。

フライパンの中身を、菜箸でかき混ぜていく。
じゅわー、ぱちぱち、リズミカルな音がする。

「お、今日じゃこかぶだ。俺、これ好きなんだよね」

箸やコップを取りに来た柳くんが、私の手元をのぞき込んで言った。

焦がさないように、おいしくなるように、気をつけながら、炒めていく。




「楓ちゃん、ありがとう。後やっておくから、柳といっしょにリビングで待ってて」

炒め上がった料理をお皿に移したら、咲ちゃんにそう声をかけられた。


なんだか、目の前のことに集中できたのはひさしぶりな気がする。

・・・そうだ。

ごはんを作っているとき、ひさしぶりに彼のことを考えていなかった。




「ごはん、できたよ」

炊き立てのごはんと、生姜焼き。
じゃことかぶの葉の炒め物に、かぶのみそ汁。

なんてことのない、素朴なごはんだった。
日常が、そこにあった。



それから、ひさしぶりにお酒を飲まずに、ごはんを味わった。

ごはんをおいしいと感じたのはひさしぶりだった。おみそ汁が、とても温かくて、沁みた。


ごはんを食べながら、私はぽつぽつと別れた悲しみを口にした。

2人はうんうん、と聞いてくれた。
励ますでも、感情を露わにするでもなく、ただ優しく聞いてくれた。





その日から、少しだけ前を向けるようになった。


集中してごはんを作ることで、彼のことを頭から追い出せた。

おいしくできた料理は、何も手につかなくなった私に自信をくれた。

お酒を飲まずに味わったごはんは、身体と心に栄養をくれた。

食卓での優しい会話は、悲しい気持ちを癒してくれた。


これらの「食事」のすべてが、落ち込んだ私を満たしてくれた。




この経験が今でも忘れられなくて、落ち込んだ友人がいたら、私は家に食事に誘う。

いっしょにキッチンに立って、料理をする。
そうして出来上がったごはんをいっしょに食べる。


そうすると、思い詰めた顔でやって来た友人も、帰る頃には少しだけ表情が和らぐ。

これからも、そんな食事の力を借りて、
大切な人の笑顔を取り戻す手伝いができたらいいな、と思う。




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