見出し画像

わたしのこと。

声を使う仕事の、わたしについて。

伊藤 ゆりか (いとう・ゆりか)
北海道斜里町(しゃりちょう)【知床】出身・北見市在住
司会者任意団体「ボイス・オブ・オホーツク スカイ」所属
FMあばしり レギュラーパーソナリティー

【2022年10月23日 内容一部改定】
【2023年8月23日 担当ラジオ番組更新】

 いまは声「だけ」が仕事の中心ですが、本来は、姿も見せた上で、のほうが私らしさを出せるかもしれません。私の声って、声の仕事向きではないと思うので。でも、映像を離れて5年、声「だけ」の環境に慣れてきました。

 2011年 秋。
 いろいろあって新卒で就職した会社を2年足らずで退職する見込みとなり、どうせなら突拍子もないことをやろうと、地元情報紙に載っていた情報を頼りに放送局に応募したことがすべての始まりでした。
 2012年 年明け
 運良く書類審査をすり抜けたものの、まったくの未経験ゆえ実技試験はぼろぼろ。しかし、なぜか網の目にひっかかり採用決定してしまいました。
 私の運命を狂わせた・・・もとい、想像もしなかった景色を見せてくれる道に私が転がっていくことになります。

 2012年2月
 NHK北見放送局でキャスター・リポーターとして働き始め、以後、当時の地方局リポーターとしては長期の5年間に渡り在籍しました。日々のテレビ・ラジオでのニュースや気象情報の担当をはじめ、地域トピックのリポートなどを担当することに。取材地域は、広大なオホーツク海側のすべての市町村。どれくらい広いのかというと、日本で7番目に広い都道府県・岐阜県と同じくらいです。形は、5番目に広い新潟県を反転したような感じ。
 NHKでの初めてのリポートは、湧別町にあるチューリップ公園での掘り取り体験。帰局後、映像を見たデスクからめちゃめちゃに言われました。至極当然でした。ただ映っていただけの人でした。
 ただ、(あくまで常識的な範ちゅうでの指導を受けつつ)日々めちゃめちゃのぼろぼろになっていると、なんとなく“それっぽく”見えるようになってくるものですね。
 その後の私は、高さ60メートルの巨岩の上で朝から生中継をしたり、ツナギ(作業服)を着てマラソン大会に出て5キロ走ったり、シーカヤックを漕ぎながら滝に打たれたり、カメラを持って取材に出かけたり(え?)しました。
 私はNHKしか知りませんが、この集団では、『アナウンサー』とか『リポーター』と呼称される役割についていても、結構横断的に業務に携わることができました。特に、私が在籍していた“日本一小さなNHK”といえる北見局には番組ディレクターがいなかった(昔はいた)ため、それらしき業務もたくさんしました。映ってナンボの地方局リポーターが、本編に出演せず、ディレクターに徹するという取材も何本かしました(かろうじてナレーションはします笑)。
 そうして関わった制作物は、オホーツク管内ローカルのみならず、北海道全域、他県での放送、全国放送の機会も得ることができました。全国放送のとあるラジオ番組では、通常、アナウンサーが務める進行役を、地方局リポーターとして初めて担うという幸運にも恵まれました。
 そんな節操なくやりたがる姿を評価してくださる方がいたという幸運も重なり、局内表彰を3回いただきました。私が在籍した当時、この地域で5年いるリポーターはあまりいなかったので、なんとなくチャンスが多くなったようなラッキーさもありました。そして、ど素人からのスタートでも、少しは成長できた自負もあります。一流の技術をもった先輩や上司のおかげ。人や出会いに恵まれすぎた5年間。感謝してもしきれない時間でした。

 2017年2月
 契約期間満了によりNHK北見放送局での業務を終了。

 最初から、最大5年というリミットが分かっていました。その5年分の燃料しか積んでいなかった私は、「この仕事は(全部は実現できなかったけど)もうやり切った」と思い、次の道を考えました。
 そして、ご縁があり、学生時代に少し夢見た旅行会社に勤務することができました。基本的に器用でないので、またもや、めちゃめちゃぼろぼろになりつつ転職から2年経ったころ、なぜか店舗の部門チーフになってしまいました。予想だにしていなかった業務と責任と立場を乗りこなそうとする日々。なかなかのやりがいと充実度でした。

 一方で、それまでの5年間がほとんどなくなったような、砂の中に埋められていくような、砂のように飛ばされていくような気持ちにもなりました。もともと予想外の展開で会社員からリポーターになったので、それがまた会社員に戻っただけ。いや、今度はむしろ、自分でよく考えて、判断して、会社員に戻った。それでも、せっかく“プロフェッショナル”に囲まれて育てていただいた5年間が、ほとんどなんの役に立っていないことに気づき始めました。
 みなさんからいただいた大切な受信料で、働きながら学ばせていただいたようなもの。もっと具体的にお返ししていかなければ、という思いを深めました(きれいごととか偽善とかに聞こえますが、本当に思いましたし、いまでも思っています)。

 2020年4月
縁あって、NHK時代の大先輩が率いるボイス・オブ・オホーツク スカイに拾ってもらえ、同時に、FMあばしりでレギュラーパーソナリティーとして帯番組のメインの一角を担うことになりました。ここで、だいたいいまの私の様子に近づいてきました。
 ただ、世界は新型ウイルス禍。緊急事態宣言。あらゆる催しはなくなり、同業のみなさんも次々にスケジュールが白紙になったと推察します。そんなときに新人としてスタートした私。そして、そもそもNHK時代に司会業務の経験が少なかった私。大ピンチのような状況ですが、コミュニティFMという、放送業務に携わることからスタートできたのは本当に運が良かったとしか言いようがありません。
 ラジオでは、ニュースや天気情報はもちろん、好きだったり興味のあったりした、アートや、演歌・歌謡曲、アイドル、カーリング、ポテチ(?)にまつわる企画などを担当しています。

SMAP大好き!

 司会の仕事は、新型ウイルスとの暮らしが次の段階に移るにしたがって、少しずつ重ねることができています。先輩の現場にも同行し、勉強しつつ、ひとりで担うことも増えました。

ふだん一人現場が多い私たち。先輩と一緒はうれしい。

 これらの経験から、ラジオパーソナリティーをはじめ、ニュースリーダー、ナレーション、朗読、リポーター、司会など、声を使った仕事のご依頼をお待ちしております。テレビに出演してきましたので、姿を見せての業務(紙媒体、ネット記事など含む)も可能です。私の声質はこの仕事にあまり向かないタイプであり、徹底的な専門教育を受けてきたということも言い切れないため、つたないところがあると自己評価しています。それでもラジオのリスナーさんやご依頼主様からは、落ち着く、聞きやすい、などの評価をいただいております。

 目標は、この道東を拠点に、まず、道東全50市町村でその地域の人々と会話をし(声に限らず)、仕事をすること!
 2022年からは、意を決して『道東のアナウンサー』を名乗っています。
 この“田舎”の、“過疎地”の、“なにがあるかよく分からない”ような、むしろ内地の方からは((人が住んでいるのか分からない))とさえ思われていそうな、、、、、

“可能性だらけ”の

 この道東で、この街のアナウンサーとして、あなたの暮らしに寄り添いたいです。

 『道東の』といっても、お声掛けいただければどこへでも行きます(交通費の相談はさせてください笑)。『道東の』には、勝手ながら『道東を代表して』の意も含みました。
 (2022年1月には、全国放送の東京のラジオ番組のオーディションを受けました。地方からは私だけ。結果は次点でした…!次こそは!)

 私の声は、FMあばしりのラジオ番組でお確かめください。こちらからお聞きいただけます。タイムテーブルはこちらから。

担当番組は
▼FRIDAY JUNCTION
 金曜 正午から
▼伊藤ゆりかのなんてったってアイドル☆
 (2023年春改編よりSMAPに特化しました)
 第1・第3土曜 15時から
▼Peaceful SATURDAY
 不定期土曜 10時から
▼スカイ定期便〜本日は晴天なり〜
 (朗読コーナーのみ)
 月曜 11時30分から   です。

また、所属団体「スカイ」でYouTubeチャンネルも開設しており、番組で放送した朗読の一部をお聞きいただけます。

はじめてのnote投稿ですので、よく分かっていないところがあります。
いずれこの記事に写真を追加したり、「“別の姿の”私について」を投稿したりするつもりです。かなりゆっくりペースになりますが、お時間ありましたらのぞいてみてください。よろしくお願いします^^

#noteはじめました #はじめてのnote #自己紹介
#知床 #北見 #網走 #オホーツク #道東 #北海道
#アナウンサー #リポーター #司会 #ラジオパーソナリティー #道東のアナウンサー
#FMあばしり

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?