摂食障害が治った(?)きっかけ。
摂食障害が治ったとはいつから言えるのでしょうか?
私自身の考えですが、摂食障害の症状が治まった。とは思っても、摂食障害が治った。とは今でも思いません。
そもそも治るものなのか?とも思います。
症状が治まった理由も、正直あんまり分かりません。
ですが今回は、症状が治まった理由の一つになったであろう出来事を書かせていただきます。
「家族に打ち明けてしまった」
過食がまだ続いていた時期だった。
私の父はフィリピン人で、たまにフィリピンに住む父の母とテレビ電話をしている。そして私も毎回軽く挨拶をする。
この日もいつものように父の母に挨拶をしようとしていた。
画面越しに写った父の母は久しく見た私を見て、
「太ったね、大きくなりすぎているんじゃないの?私そういうの好きじゃないよ」
と言った。予想はついていた。きっと体型に関して何か言われるだろうと。
言われた瞬間、いつもみたいに堪えることも出来たかもしれない。
でも、多分限界だった。
私は父の母に軽く微笑んで会釈だけをし、父には「今忙しいから部屋に戻る」と言い、そのまま家の屋根裏部屋に駆け込んだ。
泣きたくなかった。
誰の前でも弱い自分は見せたくなかった。
屋根裏部屋で、弱い自分にいつも寄り添ってくれる曲『 true colors 』を何回も、何十回もリピートして涙という涙をボロッボロ流した。
しばらくすると、私の態度に違和感を感じた父が電話を終えやってきた。
(一人で泣きたいのに、父が来る、、、
でももういっその事過食に苦しんでいるということがバレたら楽かな。)
声を抑えきれず泣いている私の元に、父は驚きつつ、屋根裏部屋にいることを少しだけ笑いつつ、容赦なく、来た。
「自分が過食に悩まされているという事」
「自分が一番自分を醜いと思っているという事」
「食べたくてあんなに食べているわけではない事」
「食べた後、吐こうとして頑張っても吐けない事」
「太ったと言われるのが何よりもつらい事」
「ご飯をおいしくも感じないし、満腹がどこかも分からない事」
悲惨にも泣きながら、自分でも何を言っているか分からないくらい、嗚咽とともに全てを吐き出した。
父は、優しかった。
私の話を遮ることなく、表情一つ変えず、ただ静かに、私の苦しみを感じ取るかのように、聴いてくれた。
そして、「そうだったのか」と抱きしめてくれた。
もう一人じゃない。
こう思った。楽になった。安心した。
自分の、本当の一面を家族にすら見せられなかった私が、初めて見せられた瞬間だった。
このことがあってからも過食はしていたが、
「理解してくれる人がいる」
それだけで苦しみは半減した。
今、過食や拒食で苦しんでいる方に、「家族に打ち明けたら楽になるよ」「家族でなくとも誰かに打ち明けてみようよ」なんてことは言いませんし、言いたくもないです。
実際、私も苦しい時に何回も誰かに打ち明けようとしました。手紙まで書いてみました。
でもやっぱり、伝えるって簡単じゃない。
自分が苦しい時に「苦しい」と誰かに伝えるのは本当に、難しいんですよね。
言おうとしても、息が詰まって言えなくて。
家族にすら。家族だからこそ?
既に誰かに打ち明けている方もいると思います。
反対に、誰にも打ち明けられずにもがいている方も。
ただ、私が言えることは
せめて吐き出せる場所は作った方が良いという事。
twitterでよくって。「摂食障害」と検索すれば数え切れないほどのユーザーが自分の苦しみを吐き出しています。仲間がいると思えます。
私もtwitterには吐き出していました。
しかし、もう一つ言えるのは
いつかはぶち当たらないと、本当の意味での楽にはならないという事。
あくまでも私の見解ですが、どれだけtwitterに吐き出しても症状が治まることはありませんでした。ユーザー同士で慰めあえたとしても、暗い洞窟からは抜け出せませんでした。
ぶち当たる時はそれぞれに来ると思います。
そうなった時に、誰でもいいんです。理解を示してくれる人に出会わなければ、次に進めないと思います。
家庭環境が最悪なら、友達。そういう関係がなければ、良い先生に出会えるまで病院を行きつくす。そんなお金も、勇気も持てそうになかったら、自助グループだってあります。
何をするにも絶望しかないのなら、まずはどん底を経験してみる。
そうして少しでも動きたい、と思ったときに私のnoteを見つけてくださり、twitterにでもメッセージをくださったのなら、私は全力を尽くして一緒に模索させてほしいです。
今回も最後まで読んでくださり有難うございました。
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