イメージに反する要素の許容

1.はじめに

自分の中にある「理想のイメージ」、他者が自分に持っている「イメージ」。
これらのイメージに反する要素を許容することについて書いてみようと思います。

2.イメージの獲得

まず、自分の中に色々な要素があることは、皆知っているはずです。

例えば、幼い頃であれば、コロコロと無邪気に笑う時も、火が付いたように泣き出す時もあったでしょう。
興味を持てば周りを見ずに突進するかもしれないし、怖いことがあれば頑として動かないかもしれません。

しかし、育っていくに連れて、周りとのコミュニケーションを身に付ける過程で、感情そのままに行動するだけでなく、必要な時には自分の意志でそれを抑えることを学んでいきます

そうして、人との関わりで成功と失敗を繰り返す内に、徐々に、他者と関わる時の自己イメージ、他者から見られた時の自分のイメージを意識するようになるでしょう。

これは「自分はこういう人間でありたい」と言う理想のイメージ「自分は人からこういう人間として見られたい」と言う理想のコミュニケーションに繋がります。

3.理想のイメージと本心の乖離

では、その理想が、自分の持っている性質、ありのままの感情、本心からの意志に反することがあったら、その時はどうするでしょうか?

例えば、優しいイメージの人が、強い怒りを持っていること。
例えば、強気なイメージの人が、壊れやすい繊細さを持っていること。

それらに対して「こんな気持ちがあるなんて認めたくない」と言う葛藤があったり「こんな自分を知られたら今までのように人から扱って貰えなくなる」と言う不安があったりするかもしれません。
あまりにそれらが大きいと、今ある理想のイメージ、コミュニケーションを優先する方を選ぶことになるでしょう。

その場合、自分の中のイメージと異なる面は無かったようにすることで、それまでの理想のイメージを保つことが出来、これまでのコミュニケーションを続けることが出来ます。

自分の本心と引き換えに。

4.創作物を介した本心の許容

しかし、今持っている理想のイメージ、コミュニケーションを一度壊してでも、自分の本心と付き合うことも出来ます
その場合は、新たな理想のイメージ、理想のコミュニケーションを構築し直すことになるでしょう。

そんな時、自分の本心を自分で選ぶため時に、手を貸してくれるもののひとつが、様々な創作物なのではないかと考えています。

創作物に触れた時、理由もわからず感動したり、無理な力が抜けたり、心から安心したり、何か「自分の本心に沿っている」と実感できることは無いでしょうか?

こうした本心を実感する経験は、自分の保っているイメージに反する要素を認めるきっかけとなり、自分自身の中にある理想のイメージを更新する助けになるでしょう。

5.創作物を介した他者とのコミュニケーションの更新

さらに、これらの創作物を介することで、他者とのコミュニケーションを構築しなおす可能性も見えやすくなるでしょう。

例えば、直接「こういう面のある人間です」とストレートに新しい一面をぶつけると「え、そんなことを急に言われても…」となるかもしれませんが、間接的に「実は、こういう作品が好きな人間です」と性格の一部として表されるなら、比較的、丁寧に距離感を作っていけるからです。

さらに、そもそも相反するように見える要素を同時に持ち合わせた創作物と出会うことも出来ます。

例えば、穏やかなメロディに、激しいリズムや叫びの融合した音楽がそうでしょう。
例えば、ノスタルジックな幼い頃の素直な弱さと、自己を律する対外的な強さを繋げる物語もそうでしょう。

これらによってコミュニケーションを作ることができるなら、さらに関係性の構築がしやすいことは言うまでもありません。

6.本心を許容する幸福

こうして、一面的な理想のイメージとは異なる、多面性をそのまま認めることが出来るようになることで、変わることが2つあります

ひとつは、自分と同じタイプの多面性がある人間がいる可能性を信じられるようになること。
もうひとつは、自分と異なるタイプの多面性を持った他者であっても、許容できるようになっていくことです。

こうして、出来る範囲で、自分の本心に沿ったイメージで人と関われるようになる事、自分の本心に沿って生きている人と関われるようになる事は、基本的に幸せな事なのだと感じます。

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