袂島の忘れもの(『貝楼諸島より』)
四隻、……五隻。
周期的な舟の揺れに身を乗せながら、望遠鏡のレンズの奥に目を凝らす。夜、沖合まで漕ぎ出れば、無遠慮な島々の灯は、海の水平線の底に沈む。
自分の眼だけが信じられる。
メタマテリアルの光学レンズは軽量ながら、透き通った星景を背にして並ぶ艦隊の姿を私に視せた。
風がぬるっと舟を煽って、視界が飛ぶ。私は望遠鏡を膝に置き、船べりのランプを点けた。それで、私ひとり載せた手漕ぎの舟はすべてが照らされてしまう。波がコーヒーゼリーみたいに黒々とうねる。
かばんからラップに包んだサンドイッチを取り出す。カイロウカサゴの唐揚げとイーブリガコールのスライスをはさんだ、祖母の味。唐揚げはしっとりとしてサンドイッチにはちょうどいい。オッカアの実のピクルスは、祖母のアトリエでいっしょに漬けたひと瓶の最後だ。
頬張り、味を確かめながら、私は天を仰ぎ見る。
祖母の話が確かなら、トウリキ=カタリの目的はこの貝楼諸島ということになる。祖母の話が確かなら、あの艦隊は祖母を護っているということになる。
波間にエンジンの音が近付き、ぱっと探照灯が私を包む。父だ。
貝楼諸島の東端にあたるこの沖には、昔、袂島と呼ばれる一幅の島があったという。諸島に接続される長大な〈橋〉、その袂にあったから、袂島。しかし島は橋とともに消えてしまって、それで海流が不安定になったという。この海域はワタリゾウも渡らない。
だから、父はこの場所には来るなという。まあそれ以前に、こんな深夜に舟を出した時点で大目玉なわけだけど。
袂島は、それ以前には〈夏の島〉とも呼ばれたそうだ。
祖母の話が確かなら。
*
「ちょっと待って。じゃ、トウリキ=カタリは貝楼諸島の出身てこと?」
「そりゃあ、そうでしょうよ」
と、祖母が当然のように言ったのは昨日のことだ。祖母はローマイのアトリエで画材を整理していた。
トウリキ=カタリは十二年前に〈方壷島〉に現れた。その出自は実業家とも、革命家とも囁かれるが、実体は明らかでなく、あるいは実在すら定かでない。方壷島の人々が代表として立たせている虚象人格、というのが有力説だが、自然発生的ミームであるとの見方もある。
が、祖母によればトウリキ=カタリは実在し、それどころかこの諸島に生まれたという。
祖母によれば、カタリは外国への進学のため、若くして島を出たそうだ。その十数年後、カタリが興したスタートアップは汎赤道圏の金融インフラを標準化し、世界的企業に成長する。するとカタリはあっさりと会社を手放し、それで手にした唸るような資産のひとつまみで、〈夏の島〉を買ったという。
「ほら、この人」
インクの染みた手で、祖母が製本された卒業アルバムを開く。
「えっ、おな中? てか会ったことあるの?」
「私のふたつ上の学年よお、語梨さんは」
「ていうかさ、トウリキ=カタリって、本名なわけ?」
「だから、刀利喜さんの話でしょうに。そりゃ変わった苗字だけども。語梨さんが帰ってくるのは、私にはわかってた。あの夏に、語梨さんと約束したから」
「約束?」
「この島の最期の日にも、ふたりでともに過ごすこと。でもねえ、いま思えば、あの約束からすれ違いがあったんだねえ」
カタリの買った〈夏の島〉には、たくさんの人が来たそうだ。カタリの実業家時代の仲間たち、投資家や起業家、発明家たちが文字通り世界中からやってきた。彼らは一種のサロンを形成し、島には巨大な資本が注がれた。
無人の岩礁に最初に登場したのは、祖母によれば農場だった。半分海に浮かぶその農場は、太陽の光で海水から真水を造り、わずかな海中のミネラルを除けばほぼ無資源での作物栽培を実現した。
島の地下は掘り下げられ、潮汐力と水温差を利用したプラントが築かれ、農場は垂直方向に拡大し、オリーブの収量倍化を手始めとして、根菜や穀物類まで生産された。
海生植物や微細藻類を利用した機能材料の研究が始まり、応用製品がつくられ、大手製薬企業も島に研究所を構え始める。それらはいくつもの新産業を派生させ、島に人を呼び、次なる研究分野を拓き、また人を集めたという。
島には街が建てられた。それは超高層マンションを何十も束ねたような造りで、完全な閉鎖循環生態系を備え、上は雲まで、下は海底まで伸びて、都市が数百の層を成し、最盛期には一千万人が息づいた。
〈夏の島〉は、巨大な人口を自ら糊するだけでなく、資源とエネルギーと、莫大な知的財産とを輸出した。
島の往時の様子はアーカイブで観たことがある。天を衝くガラス質の円柱はあまりに巨きく、蜃気楼みたいに霞んで、足もとの森が芝生にみえた。そんな島の立役者がカタリであった、という祖母の話も、実は初耳というわけではなかった。
トウリキ=カタリは、高校教師だったという。卒業式に生徒と涙ぐむ姿を収めた動画がある。
カタリは、某国で大臣も務めた。議会での居眠りを追求した報道がある。
カタリは漫画家でもあった。いまも読める。
カタリは俳優として名を馳せた。ボリウッドの世界最大の映画祭ではタキシードを翻し、主演賞のトロフィーを掲げて真っ白な歯を光らせた。
カタリは生物学の権威であり、論文と、何本かの登録特許がある。
カタリは伝説の傭兵であり、アリゾナ紛争ではグラマラスな胸を揺らして戦場を駆け、仲間たちの危機を救った。
カタリは知性化したチンパンジーでもあった。方壷島から世界に語りかけるカタリの虚象を、操作していたログがある。
カタリは万博展示のブースを仕切るスタッフであり、細見田中のジェネリックであり、空島の〈僕〉のひとりでもあった。
カタリは、その履歴のすべてに証拠があり、その証拠のすべてに反証がある。
その意味では、袂島の実在もまた疑われる。
〈橋〉とともに消える前から、その場所には海しかなかったとする説がある。あるいは、無人の岩礁がただ波に洗われたとする説、小さな青金石採掘プラントだったとする説、島おじさんの法螺話説、島クリエイター・クリタ氏のミニチュア説、貝楼諸島を舞台とした連作小説の一篇とする説。
袂島の映像は遺っているが、いずれの異説を裏付ける映像もまた遺されている。
ことの真偽を確かめるべく、私は諸島の人々に聞き取りをした。去年の夏だ。袂島を誇る人、働いていたという人もいれば、憎む人、存在を否定する人たちもやはりいた。トキ島の水守は袂島とは石塚の一種だと言い、黒耳島の村長などは、袂島とはクロミミサマの糞である、ざまあみろ、と大笑いした。
袂島が実在したなら、その急発展を横目に見る諸島民との間に確執が生じたことは想像に易しい。激しい排斥運動があったともされ、ならば攻撃の手が歴史に及ぶことも必然だ。役場にある風土史は四系統ほどのifの系譜に大別できたが、いずれも膨大な編集履歴にまみれ、至る所に矛盾がみられる。
袂島が消えた十二年前、私は五歳。袂島の虹を見た気もするが、記憶違いとの指摘に反論できる自信もない。
木を隠すなら森というけど、真実もまた、渦巻く情報の海に滴り落ちた水滴に過ぎない。十二年は、真実が希釈されるには十分すぎる歳月だ。
もっとも、私個人の結論をいえば、袂島は確かに実在したと思う。戦争のとき、祖母は袂島で戦った。そう祖母が言うなら間違いはない。
*
私が生まれるしばらく前、その時すでに袂島と呼ばれた〈夏の島〉は、世界からの独立を宣言した。行政機関を接収し、警察を島から締め出し、国への税の支払いを停止した。
個人が元首を僭称する例はある。が、事実であれば一千万の人口を抱え、経済的影響力をも持つ袂島の独立である。国のみならず国際社会が反応し、初期には戒告と説得を、末期には連合国艦隊が海域を封鎖するに至った。
対して、袂島沿岸では半自律迎撃兵器の列が並んで、多重衛星ネットワークを通じて接続される世界中の支援者たちの注視のなか、戦争は起こった。
私が幼少のころ、祖母は、浜辺に埋もれ朽ちるストランドビースト型自走砲台を愛でながら、そんな戦争の頃を語ってくれた。
いまこそ高名な芸術家として知られる祖母、藤辺ウタは、かつて独立戦争の闘士だった。父と母が祖母に近づくなと私に言うのは、そんな経歴にもよるのだろう。
祖母は、正確には私の祖父の妹で、私は彼女の戸籍上の孫ではない。ただ、本当の祖母は私の生まれる前に亡くなっていて、だから祖母が私の祖母だ。
祖母は生涯独身で、若き日からアトリエに籠り、孤高で在った。
「おばあちゃんは、カタリとはどういう関係だったの? カタリが〈夏の島〉を作ったなら、カタリともいっしょに戦ったんでしょ?」
「そうねえ、最初のきっかけは、何だったかしらねえ」
祖母は手を止め、虚空を見上げた。画材の整理をすでに終え、祖母にしては大ぶりのかばんに衣服や荷を詰めていた。色褪せた『月刊貝楼諸島』のバックナンバーが覗く。
「この島がいずれ沈むということ。通じ合えたのは、語梨さんだけだった」
「島って、貝楼諸島が?」
「あの夏、私たちはねえ、家を出て、〈夏の島〉で過ごしたの。何もなかった岩礁に、手作りの小さな小屋を建てて、幾つもの夜を、ふたりで。あの年はちょうどタンカーの衝突事故があってね、油で真っ黒になった海を眺めて。風が微かに含むナキクラゲの歌に身体を委ねて。そうして、私たちは理解し合った。約束をした。この島の最期の日にも、ふたりで手を取り過ごそうって。語梨さんは次の年には島を出たけど、必ず戻ってくると信じてた。その約束があったから」
「で、実際にカタリは戻ってきたわけよね。十年以上後だけど、大成功した会社を売って」
「今ならわかるのよ。語梨さんは何も変わっていなかった。でもあの時の私には、それがわからなかったのねえ。島に籠って絵を描いて、ただ滅びを望み続けた私と、世界を目にした語梨さんと、景色は違ってしまったと思い込んだの。私たちの〈夏の島〉が開発されるのも許せなかった。あの手この手で邪魔したわあ。ずいぶんな暴力も使った」
袂島排斥運動の中でも、祖母が率いた組織は極めて武闘派だったと聞く。
「でもねえ、語梨さんが独立を宣言したとき、私は全部を捨てて語梨さんのもとへ戻ったの。その視線の先が、ようやくまた見えたから。語梨さんは何も咎めなかった。そうして私たちは共に武器を取ったのよ」
記録によって異なるが、戦争は概ね半年程度続いたという。もちろん、それは戦争ではなく、事故を起こした海上プラントの救助活動だったとする説、島を根城とした海賊の鎮圧説、映画説、諸説あるけど、私は祖母の言葉を信じる。
「敗け方がねえ。よくなかったねえ」
祖母は腰を押さえながら立ちあがると、雑に縛り上げた絵の束に手をかけた。私も祖母を手伝い、それらをアトリエの外に運び出す。
「これ、全部捨てちゃうの?」
「要らなくなったお話だから」
と、祖母はもはや絵には一瞥もくれない。
「私は最期まで戦うことを主張した。けど、語梨さんは撤退すると決めてしまった。次の機会を待つべきだって。でも撤退ってどこに? 次の機会なんてあるのかしら? 私はさんざん食い下がったけど、だめだった。どういう方法だったのか、その直後には語梨さんは〈夏の島〉から消えてしまった」
袂島の独立は成立せず、戦場は海から言論空間へと移り、やがて人々の関心は色褪せ、すべては有耶無耶のまま、過去のひとつの可能性として飽きられた。
〈橋〉は、それから築かれたとされる。
小惑星帯から運ばれてきた〈二号回航小惑星〉は月の裏手に置かれていたが、有志起業家たちに落札されると、地球の衛星軌道に移された。その岩塊からは索道が伸ばされ、ゆるゆると大気圏まで垂れて、やがて袂島に触れるに至った。しなやかな索道は巨大な潮汐力によく耐え、地上と宇宙とを繋ぐ橋として機能し、軌道上の岩塊は名を〈方壷〉と改められた。以来、橋は月地球圏の発展を支えることになる。
しかし、人々は気付くべきだった。橋の袂のその島がなぜ、橋が築かれる以前より〈袂島〉の名であったかを。
十二年前、方壷島の熱核推進系が突如駆動し、地球からの離脱を始めた。袂島に固定された幾本の索道はしなやかさを強かさに変え、袂島を釣り上げた。雲が、島と索道を中心にして幾重もの環になり、空いっぱいに広がった。喫水の森はざわめきながら高度を上げて、海は沸き立ち、滝が天に昇って、海面下の大都市がその全貌を顕した。
貝楼諸島は渦巻く波と嵐に洗われて、すべてが虹に包まれた。
宙に消える同胞の島を見送るように、鳥嘴島では季節外れの貝廊が見られて、神鳴島には迅雷が三日三晩注いだという。
*
ぶん、ぶぶん、ぶぶん、と、エンジンがリズムを奏でる。
狭い甲板で生ぬるい夜風を受け、父に張られた頬が痛む。ロープで牽引される私の舟は航跡の波に弄ばれて、イヤイヤをする駄々っ子みたいだ。
私はまた望遠鏡を宙に向ける。大気圏の外、高度五百キロほどの軌道を、新たに数隻の艦が昇っている。
袂島が空に消えたその日、方壷島にはトウリキ=カタリと名乗る人物が現れ、地球圏からの離脱を宣言した、とされる。曰く、この〈島〉はもうもたないそうだ。
いま、袂島は木星周回軌道を遊弋している。小惑星とシリンダー状構造物とが接続されたそのシルエットを、私も何度か観測をした。
その袂島から地球に向けて一艘の船が漕ぎだしたのが数日前。船は無言のまま、原理不明の航法でみるみる地球に迫った。地球側は、今さら袂島が干渉するのを許さなかった。カタリの船の迎撃のため、各国の航天艦隊はラグランジュ点に集結し、陣形を整えつつある。
「やっぱり迎えに来てくれた」
昨日、祖母はそう言った。私が半信半疑でいると、祖母は続けた。
「あなたは、あなたの物語を信じなさいな」
祖母は隠し畑に水遣りに行き、どういう方法だったのか、そのまま姿を消してしまった。祖母の口ずさんだ〈波間の羽根〉だけが、いまも私の耳に残っている。
倍率をいっぱいにして目を凝らす。迎撃艦隊の鼻先で、カタリの船が踵を返した、ように視えた。
数日後、袂島は木星を回る軌道を脱し、深宇宙へと旅立った。
あれからどれほどの時間が経っただろう。
私のアトリエは年月を経ても色褪せず、井戸の裏手の隠し畑は四季を繰り返している。ただ祖母の姿だけがそこにない。私の記憶の反芻が像を結び、また結びなおし、祖母が確かにそこにいたのだと訴える。
壁に古い海図が掛けられている。貝楼諸島の全図だ。諸島の東に広がる海の、水色のところに鉛筆書きで、島の名前と、三次元の座標とが記されている。
私の望遠鏡では、もう袂島を捉えることはできない。
了
本稿について
島アンソロジー企画参加作品『袂島の忘れもの』の書籍『貝楼諸島より』掲載版です
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