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【小説】象渡りの島

1. 毎年、秋の終わりにたくさんの象が一斉に海を泳いで大陸を目指す。冬がやって来る前に暖かい場所へ、象は海を泳いで渡っていく。もうすぐこの海岸の町には、大きな身体が押し寄せる。

 象渡りは、キサロ島に生息する象の一亜種だけにみられる固有の習性だ。だから、ワタリゾウは他の象と少し違い、足はほんの少しだけ長い。泳ぐために進化した、体重を支えるギリギリの長さ。それから、泳いでる間の水の抵抗を小さくするために、耳が少し小さく、顔の側面にピタリと器用に引っ付けることができる。水に浮かぶ哺乳類の鯨やイルカ、カバなどと、ワタリゾウの泳ぎ方はどれともちょっと違う。波に背中をプカプカと見え隠れさせ、水中の太くて短い足を器用に動かし前進させる。たまに、長い鼻を水上に伸ばして潜水艦のように息継ぎをする。そのようにして岩のように大きな身体が、たくさん海に浮かんで漂い、一方向を目指す。

 「今年の象渡りの日はいよいよ明日だろう」
 水温観察係は高らかに予言した。海岸に集まって待っていた島の人々は言葉なく冷ややかだった。中には熱い怒りの視線を水温観察係に向けていたものもいた。もしくは、そろって深々といつまでも続くようなため息の合唱を奏でた。みんなうんざりしていた。

 水温観察係は人々の反応に一瞬怯んだ。実のところ、今年はこれで五回目の予言である。水温観察係が行うのは島民には予言とされているが、実際のところは予測だ。予測は十数年に一度くらい稀に間違うことはあったとしても、これまではほぼまともに正確な予測が出来た。それが今年ときたら大外れである。慣例では水温観察による海水の温度が下がり具合で、象渡りの日を予測するのが水温観察係の仕事。毎年、象渡りは一年の大きな行事だ。象だけではなく、島の人々にとっても。そのため、象渡りの日がいつになるか予測を立てるのは重大な役目となる。

 夏が終わり秋が始まる頃から、水温観察係は海の温度を毎日測ってその年の象渡りの日の予測を立てる。本来なら、行きつ戻りつする水温は、毎日の外気温と天候に影響されて変化する。気温は島の木々にも影響を及ぼし、象渡りの頃には山が深まり、点描画のように葉が一枚一枚丁寧に色づく。
 
 しかし正直なところ、今年は何かがおかしい。実際、気温は順調にずっと下がっているようでいて、海水温がまったく下がらない。現時点で例年より海水温は八度も高い。だから、今年の予言はすべてデタラメだ。代々自分の家系が引き継いできた役目には、この異常事態を相談する人がいない。そして頼りにしている伝承や先祖の記録も役に立たない。しかし、そんな弱音では、この役目をこなすことは出来ないと思い直す。そしてもう一度、念を押す様にして、水温観察係ははっきりと言った。
「明日こそ、象渡りの日に違いない」町の人々は仏の顔も三度を通り越して、各々の明日の準備へと向かっていたので、水温観察係のその言葉を聞く者は誰もいなかった。

 象のなる樹の絵柄のコイン。キサロ島を鳥瞰図すると、丸い円に描かれた一本の樹である。地面からのびた太い幹を持ち、円の輪郭まで大きく広がる枝枝を支える。その枝には果物のようにたわわに象が実る。

 樹とはつまり、島に張り巡らされた道である。分岐を繰り返し、山々に張り巡らされた獣道へと続く。そしてそれらの道は、最終的に大きな白い一本道となり、島南の集落の真ん中を突き抜ける。平常は枝の先々に位置する住処で暮らす島の象たちは、年に一度、島を離れる時一斉に、その道に集結する。象渡りは初め、島の地面よりくぐもった重低音がする。盛んに打ち上げられる遠花火に似た振動を伴い、地面から響いて来る音だ。次第にその見えない音に実態が伴う。一斉に集まった象たちが、芋の子を洗うように海岸を埋め尽くす。でも象たちは海岸にたどり着く前、道が突き抜けている海岸沿いの町の中を通過する。島南の町は漁場もよく、土も肥沃で日当たりも良いため、島の住民の多くが住んでいる。象が町を通過する際、元々の巨体の集団移動によるものだけでなく、集団心理や渡り直前の興奮も手伝って、象たちの行動は地面を進む台風のような勢いになる。そのため、象たちにむやみやたらに町を荒らされない様、備えが必要なのだ。

 この島の伝統的な建物は、焼いたレンガを積み重ねた様式だった。唯一の弱点はドア部分だ。木製の素材は年中当てられた潮風に風化し、さらに脆くなる。象の嵐に押し潰されないために、島の住人は協力して各家々の扉を付け替える。

「わぁ、またご馳走食べれるの?」
「えー、私もうご馳走飽きちゃった。だってもう何回も食べたよ」
「ご馳走は何回食べても美味しくない?」
「美味しいものはたまに食べるから美味しくなくない?」

 子どもたちは大人たちが準備をしている側で、勝手なことを言って騒いでいる。象渡りの前の大事な仕事のもう一つは、ご馳走の準備。象渡りの日に美味しいものを食べながら過ごすのは、この島の人々の知恵であり、信仰となる。それは、象渡りへの不安を取り除く効果があり、今年一年の恵みを感謝する収穫祭であり、祈りである。

 それがもう、今年は四回もご馳走を用意している。いわれるがまま信仰を守っているけれど、大人たちは不安でいる。四回も渡りの予言に失敗するのは、ただただ異例だ。そして、これ以上、慣習に習い食料を浪費していたら、冬に食べるための食べ物がなくなってしまう。

2. 海岸を見上げた丘の上に、渡りに失敗した子象のための共同墓地がある。その丘の上へ、重い子象の身体をみんなで運び埋葬する。晴れた日、その場所からは仔象が辿り着くはずだった大陸の蜃気楼がみえる。浮かんだ幻の大陸が青い海に淡く染まって、風に揺れている。

 「戻り仔象の保護のために、温室を作ってみてはどうでしょうか」

 ある日、若い島議員が議会で提案した。渡りに失敗してうち戻されて保護された仔象が冬を越すための温室を作るというものだ。キサロ島の温泉資源は遠の昔に発見されていた。島の地中深くを掘り起こして作られた温泉は、すでにこの島の財産だった。いくつもある公共温泉は寒い冬、島民に温もりをもたらす。しかし、今回提案されたのは、ワタリゾウのための地熱利用だった。

 春先に多くの動物が出産するように気候が暖かくなった四月、島に帰ってきたワタリゾウは一斉に仔象が生まれる。象の妊娠期間は二十二ヶ月だ。だから、仔象は最初の二年間は、母象のお腹の中で海を渡ることになる。つまり、生まれる前の仔象は二重の海の中を漂っている。母象のお腹の中にある宇宙みたいな小さな海と、その母象を包む地球の青い大きな海だ。

 母象は最初こそ、まだ妊娠初期の小さいお腹でこの島から脱出するけれど、お腹は脱出する時よりも、再びこの島に帰る頃の方が大きく、さらに二年目へと続く。お腹の仔象が大きくなるにつれて、母親の渡りは困難かと思いきや、浮力によって水中の方がむしろ母象は重力を感じることがないため動きやすい。そのため渡りは母象にとって基本的にそれほど危険ではない。但し、遅い台風や天候によって左右されない限りは。二度目の海を渡り切って再び島に辿り着いた時、仔象は誕生するのである。

 生まれてからの仔象はしかし、大人の象と勝手が違う。春に生まれて夏を島で過ごし、秋が終わる前に仔象は初めての海を渡る。だけど海を渡ることが出来ず、島に引き戻される仔象がいる。成人した象に比べれば小さくて、体力もまだ十分でないし、そうはいっても泳ぐのだって初めてなので、本能的に見様見真似で大人たちについていく。その事故の多くは仔象の命に関わる。

 仔象といっても陸上で暮らす哺乳類の中で一番大きな体を持つ動物だ。冬になりかけの冷たい朝、薄暗くて重そうな雲が海にくっつきそうな日。白い砂の浜辺に灰色の体が横たわっていると、島の人たちはその塊に集まった。

 浜にうち戻された仔象の中には、まだ運よく生きているものもいる。そのため、浜に上がった象の生存確認は必ず行われる。大きな象の体に小さな虫の息。それであればそれはまだ運が良いもので、生きていた仔象には蘇生措置が施される。その末いつも、何匹かの仔象はやはり死に、何匹かの仔象は生き返る。

 だけど結局、戻り仔象が本来の天寿を全することが少ないのは、一度死の淵を彷徨ったからではなく、本来回避されるべき冬の寒さに当り、次の春を迎えることができなかったからだ。

 地熱を利用した温室があれば、渡りに失敗して島に残された仔象のうち、せっかく生き延びたにもかかわらず、寒さで死ぬこともなくなるのではないか。救える命を救うためにすべきことが検討されはじめた。

 レンガの様なブロック状の分厚い保護ガラスが量産され、巨大で透明なカマクラのような温室が建てられた。室内の温度と地熱の水蒸気により、外側からみると温室は常に曇っていた。けれど内側からみると、温室の天井は明るく温かくて、どんよりと低い冬の空よりも高く感じた。

 その年、保護された最初の戻り仔象はその温室でひと冬中過を過ごして春を迎えた。

3.「今こそ、すべてのワタリゾウの保護のため、島にもっと大きな温室を作るべきではないでしょうか。そして、危険な大陸へ象たちが渡りをせずにすむようにし、象の生きる権利を守るべきではないでしょうか。」

 キサロ島ではワタリゾウの保護のための市民運動が活発になっていった。保護派の島民が訴えかける。

 きっかけは大陸の内戦である。キサロ島のワタリゾウたちの渡り先である大陸の都市とは、象渡りの縁によって、島と姉妹都市の提携を結んだりもしていた。しかし、大陸で内戦が勃発した。初めはすぐに解決し、終結すると思われたにもかかわらず、内戦は何年も続き、その戦火に巻き込まれた象たちは、年々みるみると島に戻ってくる数が減少していった。

 議論は様々に意見が分かれた。このままワタリゾウを保護せず、種の存続は自然の流れに任せた方が良いとする意見。それには、何もせず象たちをただ見殺しにすることに加担する時代遅れの意見ではないかとの批判も生んだ。

 象の渡りの性質を、生命保護の観点から抑制することも疑問視されることとなったのだ。象の命そのものを保護することを目的に、渡りの性質を象から剥奪することは、象の人権ならぬ象権の侵害にならないだろうか。その点を慎重に議論すべきではないかという声も少なからずあった。けれどその声も、象の命あってこそ、という強い保護派の市民運動に強く押され、かき消されてしまった。

 そもそも大陸の内戦を早く終結させる方が先決ではないかという真っ当な意見もあったが、大陸の内戦という複雑な歴史を持った人間同士の争いにこそ、外部者の介入が難しいと結論付けされた。

 結果的に、戻り仔象の保護のための温室の実績が、議論への水先となり、温室によってワタリゾウがこの島に留まり、冬を越す環境を作ることができるというモデルケースとして扱われた。

 幸か不幸か、ワタリゾウという他に類をみない動物が生息するこの島への注目と、内戦という象たちにとって不可抗力な悲劇は、保護施設である温室作りのための資本を誘致することに有利に働いた。ワタリゾウの緊急保護計画は、大陸の内戦の間は渡りをさせず、島の温室で保護し、内戦が終わって安全になれば温室を解放し、再び象に渡りを再開させる様な形で決定され、進められた。

 温室が完成された年、象渡りの日に海岸に集まったワタリゾウたちは集められた。キサロ島の象は頑丈で巨大な温室に移動して、島での冬を過ごすこととなった。

4. 「我が国における戦争は終結した」

 大陸の都市で新政府が樹立し、反政府側の敗北宣言が世界中のテレビに流れた。
たくさんの人が死んだり、難民になったりした内戦がようやく終わった。
 内戦が終わって大陸の街が復興しはじめた初冬、全盛期の三分の一以下になったキサロ島のワタリゾウたちは、おおよそ半数が海を再び渡り始め、残りの半数は野生へ戻ろうとはせず、開け放たれて寒さの漂う温室へ戻っていった。


 次第に、渡りの野生性を失ったワタリゾウたちを、島で冬のあいだ中、養うための食料を確保することが難しくなっていった。外部の資本や支援は、内戦が終結した後、当初の計画とは異なり野生に戻らないワタリゾウに対して関心を失い、ワタリゾウの野生性を奪うこの計画そのものに、後出しの非難の声さえ挙がった。

 ワタリゾウたちの正しい生き方の定義を巡り、象の命を守ろうとする情熱も、象渡りの野生性を尊重しようとする多様な意見も、環境の整備に投入された資本や技術も、どれもワタリゾウたちのためのワタリゾウたちへ向けられたものにもかかわらず、結局のところどこまでも人間たちのエゴだった。

5.無人島に残っている巨大な温室の廃墟は、分厚いガラスによってたくさんの光を集めていた。地面は無造作に育った巨大化した植物の群生で緑に覆われている。この島に散らばった澄んだ白い大きな骨に、ピンク色の羽根をした小さい鳥たちが停まっている。この島の大きな植物を寝ぐらにするため、鳥たちはこの冬も島にやってきて、美しい声で鳴いている。
(了)



#貝楼諸島より

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