生きてるのではなくて、生かされてる?

人の手で生命を作り出すことはできないのでしょうか?
男性には精子を作る能力があって、女性には卵子を作る能力が備わっています。精子と卵子が受精したら、一つの新しい命を誕生させることができます。それは自然の力を利用すれば、いとも簡単に実現できてしまいます。

しかし、男性だけで子供を作ることも、女性だけで子供を作ることもできません。当たり前ですが。

受精卵を使って、万能細胞を作ることはできて、それを使っていろんな臓器を作ることができるようになってきました。人類の技術はどこまで行くのか?と思いますが、それでも、一つの命を一から作り出したわけではなく、もともと人に備わっていた精子をつくる能力と卵子をつくる能力を超えることはできていません。

クローンはどうでしょうか?自分の細胞を使って、クローンを作ることは理論的には可能でしょう。中国の科学者が実際にその技術で人を作ったとの報道がありましたが、実践することも可能にはなっていると思います。

しかし、細胞のテロメアの長さの限界を超えることはできません。細胞分裂を繰り返すたびに短くなるテロメアのせいで、クローン人間の寿命は自然に生まれる子供よりは短くなってしまいます。

どんなお金持ちもあこがれる永遠の命、永遠の若さは今の人類の科学技術では実現できな夢で終わっています。

人は永遠に行きたくても100年の寿命。犬や猫はもっと寿命が短いですが、この寿命はいったい誰が決めているのでしょうか?動物ではなく植物では、例えば木は1000年や2000年も生き続ける木もあります。しかし人は新しい命を誕生させる、精子や卵子を作る能力はあるのに、自分の命を永遠に伸ばすことだけはできないのです。

人の100年という寿命はどうして決まっているのでしょうか?どうして1000年、2000年ではなく、また10年、20年ではないのでしょうか?

昆虫や他の下等動物の中には、時に大量発生してしまい、自らの種の食事を食い尽くしてしまい、一気に絶滅の危機を迎えるということが起こります。自らの遺伝子を他の遺伝子と組み合わせて新しい遺伝子の組み合わせを誕生させる、ということが各個体の「生きる」「進化する」の目的であるとすると、その個体としての合理性を追求することが、種としての危機を加速させてしまうという状況を生む可能性があるということです。

つまり、人類という種の存続と発展のために、個体であるヒトには寿命という形で、限界のスイッチが仕込まれている、と言えるのではないでしょうか。

人が生きる、ということは、種の進化というプロセスとしての意味を持つ、「生きている」というよりも「進化のために生かされてる」ということなのかもしれません。

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