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「白く」あり続けることは素晴らしい

おはようございます.こんにちは.こんばんは.
59回目のnoteを投稿します,とろたく軍艦です.
 
小説やドラマなどで,主人公が悪役に向かって「白黒ハッキリ付けましょう」と啖呵を切るシーンが散見される.この場合,白は正義や正しさを指し,一方で黒は悪や不正を指している.
 
しかしながら,複雑怪奇なこの世界で,果たして物事すべてが白か黒かに二分されるのだろうか.実際には,白でも黒でもないグレーの状態こそがほとんどすべてなのではないだろうか.
 
たとえば学術業界.本来的には,よほどの手順ミスなどがない限りは,可能な限りすべてのデータを開示することが,世界に対して貢献することになるだろう.これは白である.反対に,改竄したデータやねつ造したデータを公開することは,世界に対する背信行為であり,紛う事なき黒である.
 
では,現実はどうだろうか.まずすべてのデータが世に開示されることはない.これは,次の研究のシーズとなるから秘匿しておくということが理由ではなく,自分たちの提示する論文のストーリーにそぐわないことが主な理由である.また,載せるデータが多すぎることで却って読者を混乱させることを避ける目的もある.そして,研究者の良心を信じるとすれば,改竄やねつ造した実験結果も論文に載ることはない.つまり,現実の学術業界は白でも黒でもなく,グレーの状態ということになる.
 
このような例は日本や世界の至る所で見つかるはずだ.白の状態は理想郷に近しく,実現はほとんど不可能だが,黒の状態は法律やモラルに完全に違反しており,処罰の対象となる.理想郷と処罰の対象,これらの間隙にグレーの状態,つまり現実が存在している.
 
ここで一つ問題を提起したい.グレーの状態が横行することは善いことなのだろうか.
 
グレーの状態とは,すなわち法律やモラルに「軽く」違反している状態,書類と実態とが違っている状態を指す.この状態が「善い」状態であると言い切れる自信は私にはない.法律やモラルに「軽く」違反するとは,これらのルールを自分好みに解釈しているに過ぎず,ルールを破る側の都合を押し通しているに過ぎない.本来であれば,正さなくてはならない問題点に対して目を瞑っているのに他ならない.
 
世の大人達はどこか誇らしげに,子どもを見下したように,大人には大人のルールがあるのだと主張する.そして,大人のルールを理解できず,それに従えない人をインナーチャイルドなどと揶揄して排斥する.彼ら・彼女らは自分たちが盲目的に受け入れた大人のルールが脅かされることを恐れているのだ.
 
放っておけば勝手にグレーに染まってしまうこの世界で,それでも白くあろうと努めることは尊いのだと誰かが示さなければならない.現実を理想に近づけていく.このような努力ができる人こそが上に立って,人々の見本になるべきなのだ.

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