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【短歌一首】 自転車が神社の鳥居塞ぐほど子ら遊ぶ午後活き活きと過ぐ

自転車が
神社の鳥居
塞ぐほど
子ら遊ぶ午後
活き活きと過ぐ

少子化、安全上の課題、SNS・インターネットなどのバーチャル世界の拡大など様々な事情があると思われるが、外で元気よく遊んでいる子供達を見かけることが以前よりも少なくなったと感じる。

自分が幼稚園児や小学生だった昭和の昔、幼稚園や学校から帰るとすぐにたくさんの友達と近くの公園、神社や寺、遊歩道などに遊びに出掛けて、暗くなるまで帰ってこないことが多かった。親からは飛び出したきり帰ってこないので「鉄砲玉」などと呼ばれていた。

いつも静かな神社
無人の神社

しかし、つい先日、通りかかった神社で、多くの小学生が男の子も女の子も入り混じって、大きな歓声を上げながら遊び回っている姿を目にした。自分たちで作ったルールで鬼ごっこのような遊びをしたり、ドッジボールに似た自分が子どもだった当時は「中当て」と呼んでいた敵味方に分かれてボールを敵に当てる遊びをしていた。

自分が子供の頃に毎日のようにやっていた遊び方と同じ。あの頃はどこに行ってもたくさんの子供達が歓声を上げて遊んでいる姿を目にした。(よく知らない上級生に目つきが生意気だとか、因縁をつけられて叩かれたりすることもあったな、そういえば。) 

神社の入り口を塞ぐほどの自転車

神社の中を抜けて出口の方にくると、たくさんの子どもたちの自転車が鳥居付近に所狭しと不規則に並んでいる。 この光景もまたとても懐かしい。みんなで遊び場に集合する時に、一刻も早く遊びたいので、自転車などなかば乗り捨て同然のように適当に停めていた。よく自転車がひっくり返ったり、倒れたりしていた。
いいな、このバイタリティ、活力、いい加減さ。

ひっくり返った自転車も

時代の移り変わりとともに、子どもたちの遊び方も変わる。
どんな遊び方でも、仲間たちと元気に楽しく遊べるればいいと思う。

いろいろな遊び方の中で、友だちや仲間たちと、外で体を思い切り動かして、自分たちで勝手なルール決めながら、ときにぶつかりあいながら、大きな声あげてヘトヘトになるまで遊びまくる、というのは自分にとってはとてもいい時間で大好きだったな、と改めて思い出した神社の午後でした。

猫間英介



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