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犬だ、とオカジは言いました。

思い返せば、犬を見たのは久々のことでした。視力の弱いわたしにとって、その姿はゆらめく黒点のようにしか見えませんが、オカジが犬だというならきっとそれは本当でした。なぜならオカジは、わたしを一度も騙そうとしたり、馬鹿にしようとしたことが無いからです。きっとどんな親友でも、恋人でも、お互いに暗く閉ざした過去を持ち合わせているでしょうが、ずっと二人一緒に育ち、おなじ数のアブラムシを潰し、おなじ先生に教えられた我々にとって、もはや胸の内は透けて見えるようなものでした。ですからわたしはこの時、あぁ、あそこにいるのは犬なんだな、とそう確信したのでした。

犬が近づいてくる、とオカジは言いました。

犬のかげは、だんだん濃く深くなっていきました。ぎらぎらと太陽に反射したその姿は、銃弾を受けてところどころ火花が散っている戦車のようでした。この、わたしの裡側でだんだん大きくなっていく、犬の像をオカジも感じたのでしょうか。オカジはわたしの肩に右腕を回し、てのひらをぎゅっとしめて、座っていろと言いました。しかし、座るといっても、地面にはまだ雪が残っています。雪はわたしたちの住むところでは、不吉なものとされて、足の裏以外で触れることを良しとされていませんでした。なぜ、足の裏だけいいのかと言えば、足の裏は地獄と繋がっていて、もともと汚いものだから、という教えでした。ですから、オカジもわたしもアブラムシを潰すときは、手でひっつまんだ後、地面に捨てて足の裏いっぱいを使って踏みつぶすのでした。

物陰にいろ、とオカジは言いました。

わたしはその言葉をきいて、ほっと溜息をつき、手で木の中を探りながら、少し洞のようになっている場所に身を隠しました。こういった洞というのは、最初は啄木鳥があけた小さな穴だったのが、少しずつ広がり栗鼠だの梟だのが棲みついて、まただんだん大きくなることでできるんだそうです。ここからは犬のことは見えませんが、オカジのことは良く見えました。といってもわたしにとっての良く見えるというのは、顔の目や耳などがぼやけずに、どこに位置しているか分かる程度のことを指すのでした。ただ、オカジの感じていることは、わたしの感じていることとほぼ同義ですから、見えていても、見えていなくても大して変わらないというのが本当の所でした。

オカジはすっと背筋を伸ばして、犬をまっすぐ向いていました。

彼の背筋は定規で引かれたように真っすぐで、私の手に紙と尖った鉛筆があれば、今すぐ写したくなるような、それほど美しい立ち姿でした。オカジの口角は左右それぞれに、じりじりと上がっていきます。それは、オカジが相撲を取る前と、まったく同じでした。わたしたちの住むところでは相撲が盛んで、男子はみな五歳になると、大会に放り込まれるのでした。男の地位は相撲の勝敗が全てで、その強さで尊敬されたり、けなされたりします。オカジはなかなかに強い男でした。わたしはあまり体が大きくないものですから、自分が勝つのではなく、オカジが相撲で勝つのをみるのが大きな喜びでした。その喜びだけを感じとったオカジは、わたしも自分の力で勝てばいいのだと、相撲の稽古を持ちかけてきたことがありました。わたしは別に強さを求めてはいませんでしたが、オカジと肌が触れ合える時間が多いのは、好ましいことでしたから、オカジと取っ組み合い、何度も何度も投げ飛ばされました。

犬がばうばうと吠える声が聞こえます。

オカジは満面の笑みでそれを迎え、真っすぐの背筋をゆっくり丸めていきました。

オカジは、相撲の弱いわたしを馬鹿にしたことがありません。何度も何度も投げ飛ばされながら、感じ取ったのは「強くなれよ」という純粋な思いでした。わたしは、その気持ちを嬉しく思いながらも、オカジに地面に叩きつけられる衝撃をより快く思っていました。耳の奥がきいんと響いて、時には石や砂の粒が目に入りましたが、そのざらざらとした、緩やかな痛みがわたしの裡にオカジの存在を際立てるのでした。まだ立てる、とオカジは言いましたが、わたしはその痛みと幸福からぐったりとして、それからよく目が見えなくなりました。そういえば、洞というのは、啄木鳥の開けた小さな穴が、だんだんと広がってできると言いましたが、それは時を経て、木そのものを崩してしまうものなのでした。

まだ立てる、とオカジは叫びました。

気づけば、二匹の犬がオカジの上に覆いかぶさっていました。彼らは間近で見ればもはや動物とは思えないほどの大きさで、わたしが戦車のようだと感じたのもあながち間違いではなかったな、と冷静に、そんなことしか考えられませんでした。オカジは、小さい子供たちが投げ合うおもちゃのように、二匹の犬の間で投げ飛ばされていました。体のあちらこちらが変な方向に曲がっているのに、彼はずっと口角を上げて、時折こちらを向くのでした。口や腹から飛びちった黄色い汁が、雪を溶かしていきます。わたしは、その時から彼の考えていることが分かりませんでした。いや、元から分かってなどなかったのかもしれません。一つだけ分かるのは彼につられて、私の口角も上がっているということでした。

オカジの弾力がなくなった時、犬はもうとっくに過ぎ去っていました。

いつの間にか私はオカジの横で寝そべっていました。背中のところどころにひんやりとした感覚が刺さって、あぁ、誰にも言ってはいけない行為だ、と自覚しながら、酷く良い気分でいました。どんどんオカジとわたしの体から熱を吸っていく雪は、この場にいる誰よりも強者でした。今思えば、オカジがわたしに強くなって欲しいと願ったのは、自分よりも強い相手が欲しかったからでした。彼は8歳のころにはもう大人でも怯むほど強かったのですから、自分より強い存在を求めたのは当たり前です。しかし、わたしは思います。自分が強く、上手くできていると思うとき、それは自分の知っている範囲だけにすぎません。人は自分より圧倒的に優れているものを目の当たりにした時にこそ、自分の身の程を知ることができます。わたしは、昔から勝つことのほうが少ないですから、とっくにそれを知っていました。しかし、オカジがそれを知ったのは今でした。オカジはこれまで、自分ほどは強くない、その程度の他者を求めているに過ぎなかったのです。あの大きな犬たちにとって、わたしたちはきっとアブラムシ程度の存在でした。オカジがついさっき回してくれた右腕は、引っ張られて倍の長さになっています。これだけ長い腕があれば、きっとオカジはもっと相撲で強くなれるでしょう。わたしは、もしオカジが生まれ変わったら、きっと一番に気づくことができます。優しくオカジを雪に埋めた後、わたしは山を降りることにしました。


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