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「筑波学生新聞」(’84.4)の浅田彰

1984年4月、筑波大学の学生新聞に浅田彰へのインタビュー記事が掲載された。https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/19610

前年の『構造と力』がベストセラーになり、『逃走論』を出したばかりの時期だ。『構造と力』を書いた意図や、「逃走」に込めた意味などを語っている。

また、彼と同じくニューアカデミズムの旗手と目されていた中沢新一にも話が及ぶ。浅田によると中沢は、『チベットのモーツァルト』(1983)が「凡庸なエコロジー論とか、身体の復権、感性の解放とかいう議論」に閉じ込められることを嫌がっていたそうだ。

ところで、この4月号は新入生特集号らしく、合格者名簿なるものが載っていた。農林学類の合格者に「土谷正実」という名が見られる。ほぼ間違いなく、後にオウム真理教に入りサリンを製造した土谷正実であろう。

この約10年後、サリン事件等を起こしたオウムに思想的影響を与えたとして中沢は糾弾される。その後、彼と対談した浅田彰は中沢を擁護する役回りを演じている(『「オウム事件」をどう読むか』文藝春秋、1995)。このような状況になるとは、84年当時は誰も予想できなかったに違いない。

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