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「たかが」を絶対許さないマン『ジョン・ウィック』

やあ、僕だよ。
立ち上がるだけでヒイヒイ言う僕の横で、おもむろに夫が映画を観始めるなんてのは生活の常である。
「少しくらい心配してくれてもいいんじゃないか」と思うが、彼が心配したところで僕の生活が楽になるわけでなし、そのままにしている(文句は言う)。

それで観たのが今回の映画だ。
アクションが好きな僕らがずっと気になっていた一本さ。

それと、誰しも絶対に許せないことってあると思うのだけれど、今日は僕にとっての「許せないこと」も書いていくね。

さあ、始めようか。
今日も楽しんでくれると嬉しいな。

本作あらすじと感想

超一流の元殺し屋「ジョン・ウィック」に世話になった組織のバカ後継ぎが、彼の妻の忘れ形見である「犬」と「車」を奪い、そのせいで「復讐」に燃える彼に全てを奪われる話。

これ以上でもこれ以下でもない、非常にシンプルなシナリオである。見どころはガンアクションと思いきや、思いもよらぬ武器で次々と「復讐」を遂げていく姿は、爽快感よりなんとも言えない悲壮感、無力感が漂う。
この空気は主演キアヌにしか出せないと思う。鮮やかな殺しの所作は冷徹ですらあるのに、ゆらめく高温の青い炎がその目に宿っている。

公園でベンチに座っている彼の姿が印象に強すぎて、こんなにいい俳優だったのだと改めて思い直した。
いや、むしろこういう人柄だから「ジョン・ウィック」が成立したのかもしれない。

「こんなあなた初めて」
「こんなって?」
「…脆く見える」
「引退したからな」
「ここにいる間は違う」

「コンチネンタル・ホテル」のラウンジ、女バーテンダーとの会話である。
「脆く」なかった「ジョン・ウィック」が「復讐」に身を焦がしながらも、「絶対に仕事をやり遂げる」プロ意識を遂行するその様は、ともすると矛盾を孕んでいるとさえ思う。

ハリウッド俳優セレブなのに、ベンチ。
こんな矛盾を成立させられるのはキアヌしかいない!

だからちょっとだけアクションが下手でも、絶対「ジョン・ウィック」はキアヌなのだ(夫にこれを言ったら「ブルースウィルス観過ぎだろ」と言われた)。

それと、この映画における見どころは「コンチネンタル・ホテル」の「サービス」が多岐に渡るところ。「掃除屋」、「フロント」、「ディナー」、「医者」。
どれもこれも厨二心をくすぐる設定やキャラクターばかりである。しかもその利用には専用の「コイン」が必要なのだ。く〜!痺れる〜!格好よすぎ!

多少グロいところがあるとはいえ、殺し屋アクションが好きな人なら絶対楽しめるキアヌ劇場な一本。
スタイリッシュアクションに身を任せたい時にぜひ観てみておくれよ。

たかが犬と車のために、マフィアをぶっ潰す殺し屋

「たかが車だろ!たかが犬じゃないか!」
「たかが犬だって?」

正直僕も、次々と殺していく元殺し屋(彼も暗殺されそうになってはいるが、それ以上にめちゃくちゃな数を殺している)に若干引いていたし、この台詞と同じことを冒頭から思っていた。
彼から犬と車を奪ったバカは確かに救えないバカ野郎だが、こいつのために引退したはずの「仕事」を遂行する彼は、哀れにさえ見えた。

何故、彼はあんなにも大勢の人を殺したのだろう。
「たかが」犬と車のために。

確かに最終的には、唯一の友だちすら奪われたから怒りは最もだと思うけれど。
それにしたって絶対「やりすぎ」だ。

浮気を許す僕が絶対許せないこと

再三言っているが、僕は浮気肯定派だ。
何故なら僕に何の不利益もない(他所で子どもを作らない限りは)からで、一番愛してくれているのなら二番三番がいても構わないと思っている。
もっとも、浮気されると間接的に不利益が発生しがちなので、厳密に言えば不利益を感じさせないからというのが正しいかもしれない。

この価値観を話すと、「心広いね」だのなんだのと言われることがあるが、僕は決して心が広くなんかない。
それこそ、「許せないこと」が万が一起きてしまったら、まったく容赦なく他人を切り捨てる。「復讐」はしないが、それは体力も根気も興味もないからに過ぎない。

ところで、僕の家にはゲームに課金する時のルールが存在する。
それは「どのゲームにいくら課金して、その課金によってどういう効果が得られるのか」を事前に相手に報告するというルールだ。
報告された方は必ず、その話に納得するまで質問する。例えば、期間限定イベントのP Uガチャに備えて課金したいのであれば、そのキャラに対する愛のために引くのか、性能で引くのか、はたまたイベント有利のために引くのか(何故有利にしたいのか)云々。

要は家計をともにしている相手の資産を消費する際に、コンセンサスを必ず取るという話である。
これは何も課金に限った話ではないが、大抵の場合そのゲームにハマっていない人にとって「無価値」な課金が槍玉に上がりがちというだけである。

多分、浮気もエステもブランドものも、「無価値」だと判断されれば浪費は許されない。特に僕はマジで許さない。

例えば夫が無断で15万円課金したら

文脈はまったく覚えてないのだけれど、なぜかそんな話になったんだよね(『ジョン・ウィック』観終わった直後だったはず)。
それで、夫がしきりに「絶対やらないけど」と前置きをしながら、「お前はなんだかんだ言って俺を許すよ」と言い張っていた。
そして僕は大げさに目を見開いて、「残念ながら絶対に許さないし、離婚するよ」と夫に告げたのだ。

「ええ?浮気はいいのに?」
「何度も説明しているけれど、浮気に不利益はないだろう。子ども作ったり、家庭をないがしろにしない限りは構わないよ」
「納得がいかない。たかが15万の課金で離婚なのに」
「たかが15万だって?」

僕はハッとした。
この時点まで、「ジョン・ウィック」を「やりすぎ」だと思っていたのに、彼と同じセリフを吐いてしまった。
そしてこのセリフを吐いた者にしか分からない感情をようやく、理解した。

前までは別れなかったけれど、今なら別れる

家計の惨状をさんざ、夫に口すっぱくして伝えてきた。
財政担当として今まであまりにずさんで怠惰だったこと、これから僕はきちんと夫に苦労させずに資産形成をしたいこと、支出と収入のバランスを崩さないためには僕が仕事復帰するまで厳密にルールを守る必要が出てくること、もしも守らなかった場合どうなってしまうのか云々。

正直、夫に対して情けなく、申し訳なかった。自信満々に「君に任せておけないからね!」なんて言っていたのに、このザマである。
それでも僕は夫や子どもが「大事」だった。路頭に迷わせるわけにはいかない。だから真剣に説明したし、夫もそれを理解したはずだ。

にもかかわらず、もしも無断で15万円課金されていたら。
しかもそれを「たかが」なんて表現されたら。

これは金額の話では決してない。
「大事」だと理解したはずのものを、「たかが」と表現したこと、「たかが」と取り扱うことが絶対に許せないのだ。

誰かにとって大事なものは誰かにとっては大事ではない、そんなことは百も承知である

でも言いましたよね?
僕はそれが「大事」だって、何度も何度も何度も何度も。
それなのに君は「たかが」なんて言うのかい?

確かに15万円無断で使われたところで、うちの家計が立ち行かなくなることはない。けれど、僕がさんざ説明したあの時間と労力と苦悩と情けなさと諸々全てを「たかが」で片付けてしまうその性根が許せない。

僕は息継ぎもせず、夫に説明をした。いまいち伝わってないようだったが、それでも構わない。何度でも説明するつもりだ。
どんなに僕らの価値観が近くても、他人である。伝えることを怠って、「許さない」のは違うだろう。

「許さない」権利は、何故「許せない」のか説明責任をはたしてから実行する。それが相手に対する礼儀ってもんじゃないかなと僕は思うんだよね。


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