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推しを見つけた時将来の課金額のことを考えるか?

出産して、子どもを作るか否かに関してメリットデメリットを論じるのはナンセンスだったのだと実感した

例えばキャリアの犠牲や自分の時間のなさ、莫大な経済的負担云々。よく言われるデメリットで、結局僕もそういうのを気にしてなるべく損しないように社会参加してきた。
(むしろ最悪のタイミングになってしまったのは不徳の致すところ。)

目の前の、ついに名前の決まった僕の子どもを見て、「なんて無駄なことを今まで考えていたのだろう」と思った。
よく考えたらとても単純なことで、そのメリットデメリット論には子どもの可愛さを具体的に論じるケースが少ない。つまり、こいつらは可愛い、、、

どれくらい可愛いのかというと、会った瞬間最推しへの愛と同等になるくらい可愛い。
僕の場合は夫だった。僕はずっと彼を推している。
いくら課金(美味しいもの、ゲーム購入など)してもし足りないし、現在まるっと養ってもらってる状況に恐れ多さすら感じている。
推しが頑張るとそれを応援したいし、その過程を見たい。推しの尊さを全世界に広めたい気持ち。
僕は常々グッズも欲しいと思っているけれど、さすがに見つかったら怒られるのでやらない。隠し撮りはする。

生活のすべてをできる限り、推しに捧げたい

何かを推してるオタクに「自分の時間なくなるじゃん」とか「ライブで有休とってたら出世できなくなるよ」とか言うだろうか。
言うやつは頭がどうかしている。それこそ真実の愛を知らぬ獣の所業。

つまり、前述したデメリットを出して、子どもを作らないのはナンセンスである。
何故なら子どもは可愛い、、、からだ。もしも作らないデメリットを宣うとしたら、まずはそれを念頭に置いてほしい。
そして子どもを作るデメリットを声高に叫ぶヤツがアニメアイコンだったとしたら「お前は推しにいくら課金したか覚えているのか?」と言ってやるとレスバに勝てると思う。

とはいえ、定期的な石配布がないとガチャを回す気にもなれない

という気持ちは分かる。
なので、これはあくまでも個人間の話に限るのかもしれない。
それに推しを推したくても、ライブ中止や所属事務所の問題、運営の手腕などでどうにも推せない時がある。推したい気持ちだけでは諸問題を乗り越えられないという時だ。

いわゆるワンオペ育児とか、少子化対策、待機児童云々がそれにあたるだろう。
運営(国や社会)が動いてくれるのがもちろん一番ありがたいが、周りの大人と一緒に推すのもいい。需要があれば運営も動く。ないとサ終(サービス終了)になる危険が出てくる。
ふと思ったんだけど、ワンオペ育児ってサ終前の重課金者みたいじゃない?アクティブユーザーが少なすぎて課金しないとサービスが死ぬって分かりながらする課金って、同じ課金でもたぶん全然楽しくないよね。

事前登録は好評により目標人数に到達しました!

僕の子どもは今のところ顔がいい。あと肌がつるつるしている。 
僕も夫も小さい頃死ぬほど可愛かった(ほんとだよ!)し、エコーから顔が整ってるとは思っていたが、本当に玉のような赤ん坊だった。

コミュ障の僕にしてはプロモーションを結構頑張って、苦手な両親ともなんとかちょうど良い距離を保ちつつ、その他の大人たちも巻き込みながらなんとかローンチにこぎつけた。
何より妹がしきりに「これから、、、、がんばって!」とメッセージしてくる。彼女のジョークはいつも非常にシニカルで端的でクールだ。僕もこうありたい。

まさに稼働してからが本番なのである。
「今この瞬間を残さねば!」と躍起になっているが、いろいろごちゃごちゃと言ったところで最重要なのはガワやシステムではなく、その中身。運営方法。サービス内容が生む体験なのだ。
話が少々ずれてしまったが、要は何もかもがこれからはじまる。今までは出会って恋をして付き合って結婚したまでの話だったのだ。
問題は結婚してからどうやって家族になり、幸せになり、死ぬのかである。

子どもを気兼ねなく抱っこできるのは実質8年

ここは残念ながら日本なので、10年後ハグ文化の国に占領されていない限りはそうだろう。
夫にこの話題を出し、「それを想像して泣けてきた」と弱音を吐いたら「それは人によるだろ」と返ってきた。

詳しく書くと丸ごと夫の記事になってしまうので書かないが、彼はそこまで恵まれた家庭の育ちではない。
僕もほめられた育ちではないけれど、一応スペック的には、なんの問題もなく見える(エピソードトークをするとやべえのがすぐバレるが)。それよりも分かりやすく問題のある家庭で育った。
彼が異常なほど人の顔色を伺うのが上手いのも、達観し、残酷なほど現実に即した性悪説主義者なのも、ここからきている。
そんな夫が「人による」と主張している。なんて彼らしくない、非現実的な主張だろうか。

小学校中学年くらいになっても、母と気兼ねなくハグする子どもは日本に存在しないというのが僕の捉え方である。
ええ? 僕の周囲がドライすぎるのか?

中学生の時、裕福で手作りご飯が出てくる家庭に遊びに行ったら、そこのお母さんがおかえりのハグをごく自然にした(僕にもしてくれた)のに驚いたことがある。
彼女の部屋に入った後、「お母さんうざいんだよね」と言ったその横顔に僕は羨ましさと嫉妬を抱いたのだけれど、今思えば友達の前で中学生の娘にハグをする母親は「うざい」可能性が高い。

ハグが悪いわけではない。子どもには子どもの事情や世界があるし、それに対して今まで配慮してこなかった(あるいは無視した)振る舞いは、尊重されていない気持ちになっていたんだと思う。
彼女が愛情深く育てられたからこそ、気づいたのだ。その、うざさに。

未だに心配されたいし、かまってほしい

という気持ちを僕は捨てられていない。
が、いかんせん彼らと僕は人間としてまったく合わない。
特に愛し方が全然違う。どうしてこうなったか不思議だが、これはもうそれこそ生まれつきの性質と言わざるを得ない。
仕方がないのでどれだけお金を出してくれるかで愛情を測ることにしている(目に見える数字は裏切らないからね)。

つまり、僕はまだうざさに気づけていなくて、だから怖いのだ。
うざがられるならまだ良いのだけれど、うざく感じる経験をしていないがために適度なうざさがわからず、過干渉になって僕が彼を思う通りに動かしたくなったり、実際に動かしてしまったりしないだろうか。

…あっ!これが例の親の心配性ってやつか!(多分違う)

産後入院やめよかな

面会が全く出来ないのは想定済みだが、何だかんだガラス越しに夫が子どもを見るくらいは出来るのかとタカをくくっていた。
しかもここに来て帝王切開である。入院が倍伸びたのは大きい。
個室でも面会できないってそりゃあないぜ。誰が写真撮ってくれるんだ。

僕の体力は術後2日目にして9割がた(元々少ないので)戻ってきており、予後の痛みがもう少し癒え、動くスピードさえ戻ればほとんど元の生活に戻れる。
産後入院の必要性がない気がしてくる。でもこの根拠なき自信は産後うつならぬ産後ハイと、自身への過信、夫に会いたい気持ちが起こしたワガママなのではないか?とも思える。
どうしよう。困ったな。


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