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ここまでシンクロすると逆に怖い『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』

やあ、僕だよ。飽き性ちゃんだよ。
阿佐ヶ谷姉妹がテレビに出ているとチャンネルをそのままにする程度のファンの僕(そもそもテレビを全然見ないのだけれど)。
将来こんな風に暮らし自体を楽しめる人になりたいなとつくづく思うよ。

さて、彼ら芸人というのはその芸のみならず、文才に恵まれた人も多くいるみたいなんだ。
彼女たちの文章はところどころ商業作家のようではないけれど、不思議な魅力を持っているのは確かだね。
それじゃあ、今日も楽しんでくれると僕は嬉しいよ。

本書あらすじと感想

『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』阿佐ヶ谷姉妹
kindleunlimitedで読了。六畳一間、四十代の女二人暮らし。エッセイが書けないといい年して泣いてしまう姉「エリコ」とわが道を行く少しドライな猫の妹「ミホ」が日々をどのように過ごしているのかを知れる一冊。
また、エッセイ部分とは別に短編の恋愛小説が書き下ろされている。

どんなにエッセイ部分が素晴らしかろうと、恋愛小説は「ない」と思っていた(僕は元々恋愛小説を好んで読まない)。
しかしどうしてどうして、少女のごとき妄想の若々しさよ。つやつやと豊かな夢がそこには詰め込まれていた。
特に「エリコ」の小説部分はいい。僕も学生時代に戻ってこういう妄想したい。

なお、阿佐ヶ谷姉妹は姉妹じゃないらしい。僕はすっかり姉妹だと思っていた(ザ・たっちでなく叶姉妹だったのだ)。
交互のエッセイの合間に二人の写真が差し込まれるのだが、姉妹にしか見えないほど二人は似ている。果たして自分とよく似た(でも少し違う)人間と六畳一間で暮らせるものだろうか。

そんな奇跡のふたり暮らしが体感できる本書は、毎日の生活がマンネリでつまらないと思っている人、暮らし系エッセイの「北欧」と「丁寧」に飽きた人にぜひ薦めたい一冊である。

夕方メガネが壊れた

今日も今日とて夫が夜勤なので、僕は弁当を作り、案外面白い阿佐ヶ谷姉妹のエッセイを読みながら寝入ってしまった。
体温高めの夫の背中が良くない。ここ二日ぐっと冷え込んだせいで余計眠気に拍車がかかる。
幸いなことに一時間ほどで起きることが出来て、セキセイインコ撮影会を一人と一羽で楽しんだり、それに飽くと何をするでなくぼうっとした。

しばらくすると夫も起きてきたので、入れ替わりで寝室兼リビングに入ると布団の上でごろごろした。すると、夫の体温が残っていたおかげでまた眠ってしまった。

夫のメッセージ通知で目が覚めた。今度は一時間も経たずに起きることが出来た。
(余談だが、この事実は、昼寝すると長時間寝入ってしまう問題を解決した。つまり僕が怠惰なのではなく、今まで気持ちの良い季節だったから長時間起きられなかったのだ!)

「お金ないとこ悪いけどメガネ買いに行こう」

ずいぶん殊勝な文面である。
ちょうど一週間前に経年劣化による破損で彼のメガネは壊れ、スペアを使用して不便そうではあったのだ。

(夫のメガネを届けに行き、ラーメンが食べきれなかった話。)

忘れていたことを謝罪して、金のことは気にするなと彼を励ました。ふと僕のパソコンデスクに目をやると柄の取れたメガネが置いてあった。
そのまま洗面台の方に視線を滑らせると、コンタクトレンズの空パッケージが散乱している。

ははあ、なるほど。出勤直前にスペアまでもが壊れてしまったのか。

僕のことをさんざ「不運だ」とこき下ろす癖に自分だって不運じゃないか、可哀そうに。
普段、めったなことがないとコンタクトレンズをつけない彼である。ましてや夜勤の日で、コンタクトレンズをおいそれと外せないだろうからきっと仮眠も取れないのだ。
心底彼に同情しながら、僕はパウンドケーキをまた焼きたくなって小麦粉を買いに外へ出た。

夜メガネが壊れた

部屋の中も寒いと思ったが、外はもっと寒かった。日が落ちてしばらく経っているからか、薄手のコートを着ても遜色ない寒さだ。
僕は腹の子に申し訳ない気持ちを持ちつつ、自転車で走りだした。既成の嗜好品なら徒歩二分のコンビニで差し支えないが、小麦粉となると何となくコンビニで買いづらい。

ただでさえ物価がじわりじわりと家計を圧迫している昨今である。
仕事を辞めるまで、たかが十円のために自転車で移動するなんて馬鹿げていると思っていた。
しかしその固定概念(あるいは言い訳)が運動不足を招き、大体小麦粉はコンビニと激安スーパーだと百円違うから前提から崩れているわけで以前の僕はやはり愚かであると言えよう。

がしゃーんと派手な音がして、視界がぼやけた。
予期せぬ視界の悪さと鼻筋からこめかみにかけての心もとなさに僕は焦った。
メガネを壊したことはあっても、壊れたのは初めてだった。

なるほど、これはまことに理不尽である。

まさかメガネまでシンクロしなくてもいいじゃない

性別も社交性もストイックさも女性の好みも真逆の僕ら夫婦であるが、何故か食の嗜好性と趣味が合うせいで生活の様々な部分がシンクロしてしまう。
トイレの取り合いはもちろん、外食したいタイミングやその種類、笑いどころ、この瞬間観たい映画やペットに構いたい時間まで、挙げるとキリがない。

僕は彼が死んだ時、恨みつらみはあるだろうけれど、半身を失くしたような心持になってついに自殺をするのだなあ、と心底思う(生まれてくる子どもにはまったく申し訳ないのであるが)。

しかしこんなことってあるのだろうか。
確かに僕も二ケ月ほど前にメインのメガネを壊して、しぶしぶスペアを使っていたから買う予定はあった。
でもまさか二人が同日にほとんど時間差なく、メガネが自然と壊れるものだろうか。僕は壊したことしかないから、皆目見当がつかない。

ここまで二千字強、メガネなしで記事を書いている。椅子に深く腰掛けるのだとモニターが見えないからスマホで記事作成しようと思ったが、どうしてもしっくり来ず、強行突破したのだ。
正直、すごく後悔している。

体の一部と言えるものを格安メガネ店で済ませるからいけないのだろうか。いや、メガネの丈夫さと値段は必ずしも比例しない(フィット感や洗練度ならいざ知らず)。

そこで、片方がコンタクトで出掛けることはあっても二人ともコンタクトで出掛けるなんて一緒に住み始めた頃以来ないのではと気づいた。
もしやこれは、子どもが生まれる前にメガネなしでめかし込めという神からの啓示なのかもしれない。

ふ、ふ、ふ。
僕も結構暮らしを楽しめるようになっていたじゃないか、とぼやけた視界の中、冬用のワンピースを引っ張り出そうと僕は思案した。

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