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死ぬほどやりたくないならやるな、本当に死ぬから『夢をかなえるゾウ』

やあ、僕だよ。
「成功したいって思っているのに何で努力出来ないんだろう」って自分を責めた経験はあるかい?

僕はある。大いにある。
僕の場合は努力したくないのに「やらねばならない」リストに無理やり突っ込んで心身をぶっ壊して死ぬ間際まで行ったことすらある。
「努力を楽しめる人間が成功する」って自己啓発本に書いてある(新人時代の僕は自己啓発本マニアと言えた)から、「やりたくない」諸々を「やりたい」と自ら言い聞かせ、自分を奴隷のごとく扱っていた。

しかも救えないのはそんな自分を本気で「努力を楽しめる人間」になれたんだと思っていたこと。
努力の意味すらよく分かっていない愚鈍で間抜けで頭の悪い小娘が、「努力を楽しめる人間」?
ちゃんちゃらおかしくてへそで茶を沸かすわ。

あの時、まかり間違って「何者」かにならなくてよかった(そもそもこの表現も僕はあまり好みでない)。
もしもなってしまっていたら「成功している」のに死ぬまで「不幸」になっているところだった。僕の体が虚弱体質で本当に、本当に、よかった。

ところで、なんで突然こんな思い出話をしているのかというとここ3、4日本棚の整理をしていたから。
そしたらこの本が出てきて「懐かしい!!」ってテンションがあがって、挙句本棚の整理が進まなかったのだ(でも今日はメルカリの発送頑張ったからオールオッケー)。

この本を初めて読んだ当時も勘違いしたままではあったのだけれど、その後何度か読み、心身回復期にしんどい思いしながらもう一度読んで「回復したな」って思わせてくれた一冊ではある。

長くならない程度に、「やりたくない」を続けたりやったりした「おばさんの気づき」についても書いていくね。
さあ、今日も始めようか。何かを頑張ろうとしている君が楽しんでくれると嬉しいな。

本作あらすじと感想

ドラマ化もされた超ベストセラー自己啓発小説。
漠然と成功したいと考えている若手社員の「僕」がひょんなことからゾウの「ガネーシャ」に気に入られ、29個の教えと1個の願いを通じて自分を変えていく話。

自己啓発の方法論としては正直今の時代手垢のつくほど定番の原理原則ばかり(例えば自分や他人を褒めるとか靴を磨くとか)。
ただ、原理原則が腑に落ちていなくても「とりあえずやってみる」ことが具体的に記載してある。この行動は得をすることあれど、損をすることはないので「とりあえずやってみる」と何となくやれた気分になってとてもいい。

それにこの本が他の本より優れているのは、これがあくまでも「小説」であるところである(この間読んだ『バビロンの大富豪』『チーズはどこへ消えた』も物語ではあるがここまで「小説」していない)。

前述したものをすぐにひっくり返して恐縮だが、「小説」だから「とりあえずやってみる」さえしなくてもいい。
もっと言ってしまうとこれはただの「小説」なのでつまらなかったら読まなくていい。読了できなくても全然罪悪感がない。だってこれは「小説」なのだから。

自己啓発本における「全部読んでから判断しろ」みたいなプレッシャーは全くないし、「これすら読めないお前はクズだ」みたいな自己啓発しに来たのに自己肯定感下げてくるものでもない。

繰り返すが、これは「小説」なのだ。しかもライトであるのに見るに堪えうるギリギリのラインを攻めてくるタイプの。
それなりに苦労して書いた、ちゃんとした「小説」なのだ。

エンタメを楽しんでるだけなのに「今日の自分は昨日の自分よりいい感じ」、というのがこの本の最たる特徴であろう。
最新の自己啓発論が欲しい人はこれを読むべきではないし、最近は書籍よりYouTubeや音声配信の方が情報は早いからそちらをおすすめする。

でももしも、いくら自己啓発本を読んでも頑張れる自分になれない人や努力したいのに出来ない人、夢はあるけれど何をしていいか分からない人、夢に向かって努力しているはずなのにしんどい人は読むと糸口を見つけられるかもしれない。
ちなみに古典の名著を読む気力のある人は例外だよ。これは「自分が変わるために一番簡単な方法」なのであって、気力十分な君には少々ぬるいと思うからね。

やりたくないやりたくないやりたくない

僕はこんな気持ちで就活したし、山手線に揺られたし、憧れの在宅勤務(コロナ前の当時は周りでリモートワークをしている人間などフリーランスか有能エンジニアしかいなかった)をしていた。
「世界を楽しんでいない」僕は何故楽しめないのか考えるには疲弊しすぎていたし、何よりそんなことで立ち止まったら「二度と走り出せない」かもしれない。

事実、過去僕はふいに死んでしまいそうになる時期を経ている。
元々希死念慮があるとはいえ、振り返ってもあの時期は異常に死に近すぎた。

そんな僕が言うセリフではないが、やっぱり死ぬのはやりすぎ。
絶対ダメ。死ぬくらいなら全部捨てて逃げた方が「マシだな」と心の底から思う。

若い時の苦労は買ってでもしろ

この言葉は僕にとって呪いに近いものがあって、「しんどくても絶対報われる(幸せになれる)から」と自分に言い聞かせるための根拠になった。

そんな僕を見かねてか、15歳年上のモラハラ元カレが「お前はしなくてもいい苦労をしている(原文ママ)」と言い張り、「せっかくするなら自分のためになる苦労をしろ」とあれこれ世話を焼いてくれた(こう書いてるとめっちゃ良い奴に見える不思議)。

おかげで「若い時の苦労は買ってでもしろ」に拍車がかかることになってしまった。
「自分のためになる苦労」であれば無理して続けても、、、、良いなんて誰も言っていないのに。

当たり前だけれど、人間「やりたくない」ことばかりに囲まれていると心身の消耗が激しくなる。
「やりたい」ことの範囲が狭まり(疲弊のせいで体力がない)、間に合わせの「やりたい」で心身を宥めすかす。

そんな日々が続けば、、、どんなものもいつか擦り切れて使い物にならなくなるのは自然の道理だ。
「仕事(勉強)なんてそんなものだよ」とどんな文脈で言ってるか知らないが、成長していようがいまいが、成功するかしまいかは、「やりたくない」ことを続ける、、、理由と類似であっても等号ではない。
少なくとも「そんなものだよ」で済ませる問題ではない。特に僕のような脆弱で愚かな怠け者が対峙するべき死活問題なのだ。

思考停止せず向き合う体力を残す。
そのために「やりたくない」ことで「やらねばならない」もの以外は成長に繋がるとしてもやり続けない、、、、。その潔さがなければ僕は絶対に「幸せになれない」。

てんてんうざい、、、、、、、

このうざい点々が重要で、「続ける」をある種神格化している節が現代人にはあるけれど、「やりたくない」を続けたら消耗し、全然「世界を楽しめない」。

けれど、僕が「やりたくない」書くことをやってみたら「マシだな」になったのと同様に、実際体験してみないことには真の「やりたい」を見つけられないのだ。

「そや。実際にやってみて、全身で感じる。それ以外の方法で『やりたいこと』なんて見つからへん。絶対見つからへんで。せやから、『やりたいことが分からない』って言うてるやつの九九パーセントは『何もやっとれん』やつなんや」

『夢をかなえるゾウ』p265 ガネーシャのセリフ

何回も読んだからもう何も出てこないと思ったけれど、そんなことはなかった。さすが今でも重版されているベストセラーなだけある。

「続ける」は時に自分を消耗してしまうが、まずは「やる」というのは大いに結構。時間の許す限り「やる」。
しんどくなったらやめちゃってもいい。それはきっと今の君には合わない。

でも「やる」は必ず後になって活きてくる。
それは「やりたい」を見つける時だけでなく、予想だにしないところで別の「やりたい」に繋がったり、お金になったり、実現難度の高い「やってみたい」が出来たり、「やらねばならない」を乗り越えるのに活きてくる。

若い子たちには想像がつきにくいかもしれないね。
おじさんの言うことは大体正しいのだから、おばさんの言うことも大体正しいんだって僕は思う。

…いや、僕はまだおばさんじゃないよ!
(この文を書いている時に、夫が僕をばばあって呼んだからさすがの僕も暴力を辞さなかった。やれやれ、感情的になるのはみっともないとあれほど自省しているというのに。)



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