とてつもなく幸せで色んなものを失った、新生児との二週間(僕のくだらない予想はあてにならない話)
やあ、久しぶりだね!
最後に投稿してから2週間経ち、「あいつついに死んだか…?」となった君たちもいたかもしれないけれど、僕も夫も息子氏もいたって元気だよ!
今回の記事はいつも以上にためにならない、産後入院退院後から今までの空白期間、約2週間の記録記事を書いていこうと思う。
本当は「上着をなくした」子どもを取り巻く環境について、用意していた育児思考系記事があったのだけれど、10日経っても全くできあがる気配がなかったんだ。
それで、こんなにも幸せな日々を忘れてしまうのは絶対に嫌だったのもあってこちらを優先させてもらうことにしたの。
まあ、誰に役に立つかといえば、やっぱり僕みたいに「望んでいない妊娠とは言えないまでもわりと戸惑ってる」タイプの妊婦やそのパートナーに読んでもらえるといいかもしれない。
ちょっとだけ、子どもと会えるのが楽しみになるとは思うよ。
退院後、3日間の家族水いらず期間
2022年3月27日。
僕は無理を言えるギリギリの早い時間を指定して、余計な待ち時間わずか15分(平均して40分程度、退院までに謎の待ち時間がある)と最速のタイムを叩き出し、僕にしてはかなり迅速かつ華麗に病院をあとにした。
よくよく考えたらあんなにお世話になった助産師さんたちに最後挨拶くらいすればよかったのに、とにかく早く帰りたくてその場では全然思いつかなかったくらいだ。
(手書きのアンケートにはみ出るくらい、入院中の待遇についてベタ褒めしておいたのでそれでよしとしてほしい。コミュ障でごめんなさい。)
元々は退院時に母に迎えに来てもらう予定だったが、こわごわ息子氏を抱っこする夫のみが迎えにきた。
それというのも彼が「最初だけ家族水いらずで過ごしたい」と入院してから言い出したためである。確かに「僕や息子氏の状態が分からないから、スケジュール調整は後からでいいだろう」とか言った気もするが、そういう希望は早めに伝えてほしい。
可愛いおねがいだったので調整したが(主に母が)。可愛くなかったら文句の一つも言うところである。
病院の帰り道、診察から引き続き、胎動がもの凄かった。
しかも暖かい日光を浴びていて、性別が分かった事実を噛みしめているのである。とんでもない多幸感に頭がふわふわお花畑だった。
まさにこの帰り道を、今や分たれた彼と、夫と、一緒に進んでいる事実に圧倒された。
この時は彼女だと思っていたし、普通分娩で憔悴しきっているはずだったのだ。何度繰り返すのか甚だ呆れてしまうけれど、僕の貧弱な予想では現実を捉えるのは難しいらしい。
家に帰ってから、僕の力不足で処理しきれなかったものを夫に託していたので、それの進捗を確認する。ここはまあ完璧とは到底言えなかったが、とりあえず息子氏の戸籍は用意できたようなのでよしとする。
そもそも僕が事前に処理していれば済んだ話なので、3日後来る母に文句を言われるのを甘んじて受け入れた新米ママの僕であった。
文句言いながらきっちり手を動かす母
その、処理しきれなかったものの一つが掃除だった。
確かに妊娠してからの掃除や片付けを経て、人がなんとか暮らせる程度の清潔で文化的な暮らしを獲得したのだが、母は元々綺麗好きで一日中掃除をするのを厭わないタイプの人種である。
しかも「赤ちゃんが来るなら絶対に綺麗じゃないとダメだからね」と手伝いに来る前から幾度かチェックされており、それに対して僕は生返事ばかりしていたのであった。
僕にだって「大体そこまで神経質に清潔な空間を保つ労力を払う必要があるのか」という主張があり、「神経質」と「必要」のラインが真っ向からぶつかり合う母と僕とでは分かり合えないと、長らく親子をしていて(昔はこれでも一緒に住んでいたのだ!)すでに十分分かっている。
幸せな家族水いらず期間が終了し、夫が夜勤の日を迎えてしまったので母が家に到着した。
僕自身が、息子氏の一ヶ月検診を迎えるまで「一人で夜を過ごすこと」を避けたかったからこその選択だったが、結果的にこの選択は間違ってもないし、正解でもなかった。
というのも、息子氏がよく飲み、よく出し、よく眠り、さらには実に多彩な主張方法を駆使できるエリート赤子だったせいで、僕の精神はすこぶる良好、夜中どころか日中も特別、母がやることは一切なにもなかったのである。
では、彼女がやることは何だったのか。
やはり掃除しかなかった。
掃除している間中、ずっと文句を言われ続けた僕は生返事をしつつ、「この文句を受け入れることでホームクリーニング5万円分受けられると思えば安いものだな」と内心したり顔で息子氏に授乳した。
その文句は聞くに堪えないものやひどい誤解や偏見もあったが、彼女の言葉には真に迫るものがないので今の僕には全然響かず、のらりくらりとかわせてしまった。
ここもまた僕の予想の範囲外で、母と共に1週間以上暮らすことで余計に追いつめられてしまう可能性が大いにあったが、思ったより僕はしたたかで平常心だった。
うーん、僕も気づかないうちに成長しているものなんだなぁ。
絶対に分かり合えない人種
母と分かり合える価値観を見つけろと言われたら、「ちょっと一日くれ」と返してしまうほど我々親子は価値観が違う。
いくらか時間をかけて考えてみたが、一旦の結論としては「根本的な人間としての性質が違う」としか言いようがない。
とある国民的アニメにハマったと話を聞いて、「お、ついに母と共通の話題ができたか」なんて無邪気に喜んでいたら、どうやら原作は持っていないらしい。
話をしてみたら重要なキーパーソンに対する知識やシナリオすらあやふやで、つまり何が言いたいかというと「好き」と言うわりに作品に対する理解度が乏しいのである。
いや、確かに僕だってどちらかといえば浅いタイプのオタクである。
「毎日エンタメ見て記事書きます!」なんてやるやつなんてそういうタイプに決まってるし、実際ところどころズレているレビューを書いている。
だから偉そうに講釈をたれる立場ではないことは重々承知の上で、彼女の作品に対する態度は僕と相容れないなと思ってしまったのだ。
それに彼女は彼女なりに作品に対して愛を注いでいる。イベントや限定グッズも買っているし、僕が買うのはフィギュアくらいだから、別の視点から見れば彼女の方がお金を落としている分ファンにふさわしいと言えるだろう。
が、僕個人としては彼女とエンタメについて話すことはない。
エンタメだけでなく他の事象に関しても、彼女には真に迫るものが乏しく、僕にとっては何を考えているかいまいちつかめない人間に思える。
彼女からしてみれば、僕の方が何を考えているか分からないのだろうけど。
(実際、そのように言われたしね。)
また、今挙げた例はあくまでも一例である。
こういったすれ違いが、人生のあらゆる場面で起きてしまうのが僕たちだ。
休日は何をするか、進学、結婚、子育てについてどう考えているか。家は賃貸か購入か、トイレットペーパーはシングルかダブルか、セロリは食べられるか食べられないか。
逆にここまで親子関係を続けられたのが奇跡ではないかと思う。
これは僕らがお互いに対して関係を諦めなかった努力の成果だ、誰が何と言おうと。
共通した価値観を持たなくとも雑談はできる
前述したように、エリート息子氏は本当に本当に手がかからない(母と妹と助産師さん曰く)らしく、僕らはずいぶん暇だった。
そういえば、価値観はまったく合わない僕らが似ているところといえば、家族や友だちにはおしゃべりなところである。
うまくバランスが取れなかった昔の僕では母とおしゃべりをしようものなら、ものの5分で険悪な雰囲気になってしまっていた(そして母は今でもそれは僕のせいだと思っている。そういうところが分かり合えない!)のだけれど、今の僕はうまく話すことができた。
これはすごい発見だった。ここ2年くらいつかず離れずを繰り返しながら、両親とやり過ごすコツを掴みかけていた気はしていた。しかし、どうしても疲れてしまって長時間雑談をするなんてとんでもないと思い込んでいたのだ。
それは、近所のパン屋のパンが値上げしたとか、友だちってどこからなんだろうとか、姪っ子がイヤイヤ期で妹が辟易しているとか、とてもたわいもない話で、だからこそとてつもない達成感があった。
もちろん、彼女と僕が合わない人種である事実が変わったわけではない。これからも手放しで仲の良い親子にはきっとなれないだろう。
彼女自身、今回の何度か行われた雑談を通じて、「飽き性と分かり合える気がしない」と口に出していた。
でも、雑談ができるなら大丈夫だと僕は思う。
ちゃんと親子でいられるし、この先決定的に決別することになったとしてもこの瞬間に雑談できた事実は無くならない。
もっと早く、できたら学生の頃にこういう経験ができたらよかったなぁと後悔する気持ちもなくはないけれど、とりあえず、今、なんとかできてよかった。
息子氏は色んなものを僕にくれる
息子氏が爆誕するその直前まで、子どもを産むことで「失う」ものしかうまく想像つかなかった。
思いっきり仕事することや、ダラダラ一晩中エンタメに浸かること。お酒を浴びるくらい飲んだり、あてもない街歩きの途中に美味しいコーヒーを飲みながらタバコを吸うこと。
でも、何かを「失う」ことは何かを「得る」ことに他ならない。
物を片付けた時や、「やらねばならない」を整理した時にも僕はそれを実感していた。
なのに、なぜか出産においてはその感覚を思い出せなかった。
あまつさえ、「失う」ことは親になるための通過儀礼とすら思っていたのだ。
毎度のごとく、まったく愚かである。
実際のところ、僕の腹の上で気持ちよく眠っている愛らしい体温と、スマホを手放した気持ちの良い午睡や深夜の静けさ、清潔な暮らしと夫の幸せ。
母との雑談だって、彼がいなければ気づけなかった。
「失」ったものはあれど、「得た」ものも同じくらい多いと僕は感じている。
息子氏がエリートでなくたってたぶんそうだった。何かを「失う」ことでやっぱり何か「得た」はずだ。
いつも当てにならない僕の予想だけれど、これはマジで絶対そうなのだ。
次回よりエンタメレビューに戻ります
とはいえ、僕はこのタイミングで大学生になったし、しぶしぶ仕事を再開したので今後は無理をしない頻度での記事の投稿になる。
君たちの記事も読みたいから、とりあえず週一くらいがいいんじゃないかなと思う。
自由に書くのがせっかく楽しくなってきたところだし、ゆっくりゆっくり、調整していきながらやっていきたいものだね。
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