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ただただ、眺めるだけ『ヘッドスペースの瞑想ガイド』

やあ、僕だよ。
心がざわつく時、君はどうしてる?
楽しいことで上塗りする?それとも思いっきり怒ったり悲しんだりしてエネルギーを放出する?

一人一人やり方は違えど、対処の仕方をちゃんと持っている人はストレスに強い。
もとい、マネジメント出来るからストレスが問題になりづらい。
やることなすことストレスが影響してきた僕はそういう人たちを見ると羨ましくて妬ましい。

僕もストレスに強くなりたい。「お前はメンタルが弱いから」と侮られるのはうんざりだ。

かと言って、必要分の感受性を捨ててしまうのは僕が僕でなくなる(いよいよとなったらそれも辞さない覚悟ではあるが)。
それは望むところでないので、なるべく今のまま「世界」から受け取ったものを自分の中に留めておける方法を見つけたい。

「大事なもの以外は持たない」や「ストレスを大きく受け取りすぎない」はミニマリストブッダからヒントを貰って、何となく(完璧ではない)理解し始めているような気がする。

そこで今回はこちらのシリーズを取り上げたい。
本格的な瞑想ではないが、「受け取ったストレスを眺める」視点を得られた名作である。

年末年始の忙しさにざわついている君も、逆に忙しくない焦りにざわついている君も、自分のやりたいことややるべきことをしているだけなのにざわついている僕も、一度フラットに戻れるといいね。

さあ、始めようか。今日はリラックスしながら温かくして読んでおくれよ。

本作あらすじと感想

『ヘッドスペースの瞑想ガイド』アンディ・プディコム

ネットフリックスオリジナル。
1話あたり約20分、全8話のライトなシリーズだ。

元の音声ではこちらの著者自ら優しく語りかけながら、非常にスムーズに瞑想の世界へと案内してくれる。
この人の考え方に基づいて動画が作られているので理解度も高いかつ彼自身語りかけのプロであるので、英語のよく分かっていない僕でも何となくそれらしい気分になった。

が、今回ぜひ体験してほしいのは日本語版の方。
一時期このシリーズが好きすぎて毎日聞いていた時期があって、「この日本語版吹き替えの人ももしやマインドフルネスの造詣が深い人なのかしら」とふいに確認したことがあるんだ。

アンディ・プディコム さんご本人の声を担当させて頂きました。

これお勧めです。

スッと瞑想出来て 瞑想 に対する考えが変わりました。

自分の声なので自分では使えないのが残念なくらいお勧めコンテンツです。

宜しければ是非。

ああああ!!サムじゃん!!!
(内田夕夜さんはご長寿海外ドラマ『SUPERNATURAL』の主人公ウィンチェスター兄弟の弟サムの吹き替えを演じてらっしゃるのだ。)

SUPERNATURAL』は僕ら夫婦が家族や夫婦でなく、また恋人としてもまだまだお互いを分かっていなかった頃に二人でハマった海外ドラマである。
二人で共有した作品としてもかなり息の長い作品だったので、もしも結婚式をやるなら(やらないけど)ブライダルカーはインパラにしたいなぁと思う程度にはファンだ。

サムだと思って聞いているとところどころサムに聞こえてきたのに、全然サムじゃない。
声優すげえってなるのでぜひ日本人の君は日本語版で体験してほしいな。

ストレスに弱いから運が悪いのかも

僕はストレスに弱い。
正面切って「ストレス耐性あります!」なんて現代社会で言おうものなら、貧乏くじを引かされることが大いにあるので言う人は少ないだろうが、実際僕のストレス耐性のなさは目に余る。

わずかに同情が交じった「お前は運が悪いんだから」という周囲の評判(しかも関係性が近いほどよく言われる)はこのストレス耐性のなさも一因だと僕は思っている。

そもそも「運が良い」状態とは何かと考えた時に、「目に見える成功を掴んだ」や「意外なところからチャンスが舞い込んだ」が「運が良い」状態だと定義したとして、その状態から外れることが「運が悪い」と言えるだろう。

「目に見える成功を掴み損ねた」。
「意外なところからチャンスが舞い込まない」。
何故掴み損ね、舞い込まないのだろう。

成功を掴み損ねる時、思い返してみるといつも僕は忙殺されていて、心身ともに疲弊しきって思考する余裕がない。

そのため「成功」を掴むための冷静な判断が付かない。
更に余裕がないとリカバリー出来ないから失敗したくないと思うようになる。
すると、いつもの生活から抜け出さない(どころかいつもの生活すら大事にしない)ので「意外なところ」は存在しない。

仮にとてつもないラッキーで、いつもの生活から「チャンス」が舞い込んだとしても「チャンス」だとすぐ判断出来ず、いつの間にか指の間からすり抜けていく。

なるほど、確かに「運が悪い」わけである。

アンディが「眺めてみろ」って言うから

ストレスを眺めることで得体の知れないざわつきが具体的な感想に変わる。

「明日本の返却期限だからこの時間は本を読みたかった」
「それなのに夫が隣で『ドキュメンタル』を観始めたから一緒に観たせいで読めなかった」
「しかも笑い疲れて一緒に昼寝した」
「そのせいでnote書く時間なくなったし、本読む時間なかった」
「夜遅くまでnote書いたのに明日本を読み切るために早起きしなくちゃいけないのが面倒だし、ペースを乱されて焦らされるのは嫌だ」
「明日は明日でやるべきこともたくさんある」
「せっかく無職なのに忙しいって思うのが嫌だ」

これはあくまで一例として書き連ねただけであるが、こういったことが毎日毎日起きている。
人によって規模は違うだろうが「嫌だ」がつまり、ストレスだ。

この「嫌だ」が厄介で、自分の持っている倫理観や教養、いわゆる腑に落ちてないけど良いとされているものはまったく通用しない。
通用しないから「嫌だ」と思う自分に「嫌だ」と思ったりして雪だるま式にストレスが増えていく。

しかももっと厄介なのは「嫌だ」と思ったことの方がよく覚えているのが人間の仕組みで、ますます「楽しい」や「嬉しい」が忘却の脅威にさらされやすくなる。

「最近全然楽しくない」、「毎日つまらない」なんていうのは「楽しい」や「嬉しい」を忘れちまってるせいなのだと僕は思ってる。最高にファッキンな話だ。

僕はアンディ(CV.内田夕夜)に従い続ける

さて、僕の一例に話を戻す。
この一例をもう一度眺めてみると「嫌だ」に引っ張られずに「楽しい」や「嬉しい」もあったと気付ける。

「明日本の返却期限だからこの時間は本を読みたかった」
「夫が隣で『ドキュメンタル』を観始めたから本を置いて一緒に観た」
「二人でゲラゲラ笑いつづけたら疲れて眠くなった、夫とくっついて寝て幸せ」
「noteは夜でいいか、今日はネタがあって楽に書けるから嬉しい」
「読めなかった本はまた来週借りよかな、それとも新しい本借りてもいいなぁ」
「明日は明日でやるべきこともたくさんある」
「無職なのに毎日気づきが多すぎて充実しすぎワロタ」

これはあくまで一例である。
前述した一例と今挙げた一例は相反するように見えるが、実は同時に存在している。
ネガティブを無理やりポジティブにしているわけでも、ポジティブを無理やりネガティブにしているわけでもない。

同時、同列に感じている。大きくも小さくもなく同等に。
僕にとっては瞑想をする時、一つの事実に対して無数の「一例」が流れていくのをただ眺めている感じがする。
傍観者に徹するし、とにかく「一例」は膨大なので覚えていられない。

その時は「ふーん」くらいにしかならないのだけれど、毎日の生活で「一例」がいくつか出てくる時が来る。

昔からこう思っていた気がするし、でもすごく新しい気もする。
わりと面白い現象なので僕は気が向いた時に瞑想をする。

ストレスをじっくり眺めると、得体の知れなさに余計な「嫌だ」を感じることなくそのままのサイズ感で把握することが出来る。
すると自然、思考に余裕が生まれて「運が良い」状態になるのかもしれないね。



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