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後悔とも向き合って


2023/3/20
私の祖母が亡くなって丸2年でした

祖母とのことを
ここに文字に起こして
自分の心も少し整理しようかと

自己満ですし長くなるので
なんかめっちゃ書いてあるな〜と思って
スルーしていただいても大丈夫です👍🏻


祖母が亡くなった日から
今日の今の今まで
深い悲しみが変わりません
ずーっと悲しくて
会いたくて

私は2020年の夏頃に
コロナの影響で仕事がほぼ無くなりました
その時期に
一緒に住んでいる祖母が
日中一人で家にいるのが
難しくなってきていることもあったため
仕事を辞め
バイトを2つ掛け持ちして
祖母を家で介助しながら
生活することにしました

祖母とは
生まれた時から
ずっと一緒に暮らしていました
両親が共働きだったので
小さい頃から祖母にずっとひっついていて
おばあちゃん子の私は
私が祖母をみたいと思いました
親ではなく、私がその選択をしました
祖母と一緒に長く過ごす時間が欲しかったです

祖母は宅老所に通っていました
持病があり、たまに熱が出て
コロナ禍であったため
たまに早退する時もありましたが
楽しく通わせてもらっていました

2020年秋頃
私は祖母と家にいました
基本、祖母が歩いて移動する時は
私が補助をしていました
でもその日
こたつに一緒に入っていて
私がうたた寝をしていました
その時に祖母は
一人で立って移動しようとし
その時によろけてしまい
尻もちをついてしまいました
その音で私も起き
祖母は座ったまま何とも言えない表情

私は
'' なんで一人で立とうとするの〜!''
みたいなことを言ってしまったと思います
子供の頃から祖母と一緒にいる時は
私の口調が
少し強くなったりしてしまう時がありました
たぶん
私を起こすのを悪いと思い
一人で動こうと思ったと思います
その後、介助して立たせようとすると
すごく痛がりました
結局、立てませんでした

これは救急車を呼ばなければいけないのか?
私が車で病院に連れて行く?
でもおぶることもできないから、、
私は救急車を呼んだことがなく
どのレベルで救急車を呼んだらいいかもわからず
本当に恥ずかしいことですが
母に連絡を取り救急車を呼ぶことに決めました

バイトもキャンセルし
色々と焦っている私は
救急車が来る間の
祖母との少しの会話も
口調が強くなってしまっていたと思います
それでも祖母は私に
'' ごめんね、迷惑かけちゃったね '' と
何度も言ってくれていました

私はまずこの時の自分に
本当に後悔しています
ちゃんと私が寝ずに起きていれば
もっと優しく話していれば
どうしようもないくらいに
ずっと苦しいです

病院に着き、検査を終え
先生から呼ばれました
'' 大腿骨骨折のため手術をします、その後
また歩けるようにリハビリしていきますね''

あの小さな体は手術に耐えられるの?
また歩けるようになるの?
私のせいだ
私がおばあちゃんの人生を変えてしまった
怖くて辛くて苦しくて
泣き続けました

それでも無事に祖母の手術がおわり
ご飯も少しずつ食べられる様になりました
コロナ禍だったため面会ができなかったのですが
一度だけ特別に面会することができました
車椅子で連れてきてもらったおばあちゃん
見た目があまり変わっていなくて
安心しました
少しの時間でしたが
たわいもない話をして
私が帰る時
エレベーター前まで見送ってくれました
じゃあ、またね〜!と手を振って

その後も着替えを渡しに行ったり
病院の玄関までしか行けませんでしたが
リハビリが順調なことも聞けたりして
退院が楽しみでした
家に戻った時の動きなどの話も
ケアマネジャーさんと始めたところでした

2021年2月
携帯に病院から電話がありました
病院からの電話はいつものことで
着替えやオムツのことが殆どでした
ですが、その日は違いました

''〇〇さんが昨日から高熱を出していて
呼吸が非常に浅い状態です、意識も薄いです
まだ病院には来て頂かなくても大丈夫ですが
延命治療についてはどうされますか? ''

何を言っているんだ?と
なぜ延命治療なんかの話を今?
3日前までは元気にリハビリしている
映像も見ていたのに
頭が追いつかず
父と一緒に病院に向かいました

最後に直接会った時と
全く違うおばあちゃんでした
弱々しく、目もうつろで横になっていました
手を握り自分の名前を言って
'' おばあちゃん!〇〇来たよ〜!''
'' 頑張って〜!家帰るよ〜! ''
涙ながらにそう言うことしかできませんでした
祖母は何でこの人こんなに泣いてるんだ?と
思っていたかな〜と思っていますが(笑)

結局、祖母は
誤嚥性肺炎になってしまったとのことでした
その後も食事ができず点滴のみが続きました

2021年3月中旬
病院の方から
もう山場が近いかもしれません
病院に泊まって一緒に過ごしてくださいと
言っていただきました
朝から次の日の朝まで24時間以上
一緒にいました
目を開けて声がけに反応したり
手を上げてみてと言ったら手を上げてみたり
あんなに長い時間
おばあちゃんを見つめて
おばあちゃんを思った時間は
それまでありませんでした
本当に本当に大切な時間でした

そして
2021/3/20
おばあちゃんは旅立ちました
私の誕生日が3/19なのですが
その次の日の朝に
待っていてくれたのかな〜!と

朝、電話を貰い
病院に着いた時には
もう心臓は止まってしまっていたのですが
直接おばあちゃんを見ても涙は出ませんでした
眠っているようで
まだ気持ちが
ふわふわしていたからかもしれません

おばあちゃんが家に戻ってきて
顔を見ると、少し笑っていました
少しホッとして涙が出ました

それからお世話になった方々が
おばあちゃんの顔を見にきてくれて
私の幼馴染も見にきてくれました
皆さんの顔を見るたび
涙が止まらなかったです


棺に手紙を入れようと
急遽
葬儀場にあったカードに
文章を書こうとしたのですが

生まれた時からずっと一緒にいたね!
本当にありがとう
大好きだよ!

その言葉しか出てきませんでした
そんなこと直接言ったこともない
言えなかった
言えなかった言葉を
最後の最後に届けられたかな

おばあちゃんが亡くなって
3日経って、1週間経って
1ヶ月経って、3ヶ月経って
半年経って、1年経って
何年経っても
ずーっと悲しいです
涙が出ます
苦しいです


でも
おばあちゃんと過ごす時間が長くなって
作ることができた思い出がたくさんあります

お手洗いやお風呂の介助の時の
たわいもない会話、触れ合い
おばあちゃんの髪シャンプーできてよかった!
背中流せてよかった!
おばあちゃんがお風呂入っている時
心配でずっと見てたら
見られすぎて気になるから
一回出てってって言われたり(笑)

デイサービスから帰ってきたときに
車から玄関までの手を繋ぐ時間
ギュッと私の手を握りしめてくる
今まで頑張ってきた証のある手が大好き!

私がこの選択をしなかったら
この思い出は作れなかった
その選択をしたことに関しては
自分で自分に本当に感謝してます

すべてが大切な思い出、宝物です

先日記事にも書きましたが
別れの数だけ強くなるという人がいますが
私はまだまったく強くなっていない
弱々のままです(笑)

前回のWBCの記事で
強くなりたいと思ったと言いましたが
祖母のことに関しては
まだまだ時間がかかると思います

後悔がなくなることも
きっと私が死ぬまで無いと思います
でもそれと向き合って
これからも''生きて行く''ことが
私の使命だと思います

毎日、今日も見守っててねと思います
今でもおばあちゃんに助けられています

これからもずっと
私たちのことを見守っててね
ずーっと大好きだよ、おばあちゃん

長々書いていたらこんな時間になってしまった
( 只今の時刻 0:49)
この記事を号泣しながら書いておりますので
寝て起きたら目がパンパンだろうな

長々と失礼致しました
今日も穏やかに過ごせますように

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