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名詞/Noun

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2018年3月の記事一覧

『百』#100

100番のnoteには、100にまつわる物語をぽつぽつと。 子どもの頃は、100まで数えられることが褒められたものだった。「どんだけ幼い頃の話を持ち出してんだ」とツッコミが入るかもしれないが、そうではなかったか、みなさま。お風呂に入って、肩まで浸かって、「100数え終わるまで、肩まで浸かって温まりなさい」と親に言われた記憶は無いだろうか。記憶にあるころには、百までは淡々と言えるようになっていた。夏の風呂上がりは、汗だくだった。冷えた麦茶がたいへん旨い。いや、あのころは牛乳だっ

『歯ブラシ』#98

およそ一ヶ月前のこと、「やわらかめ」の新しいのに変えた。毛先がバサバサになって抜け始めてダメになる前に交換したのは初めてのこと。 平昌オリンピックでフィギュアスケート男子がショートプログラムを滑るあたりの日、その数日前に、左上の奥歯にむかしプラスチックを入れたところで魚を噛んでいるとパキッという音がしてからそれ以降、噛むとズキーンピキーンと痛むようになった。冷たい飲み物もしみるし、噛み合わせるだけで痛い。詰め物が取れたか割れたか、ということで歯医者さんに電話をした。高校生の頃

『伊右衛門』#92

思いっきり商品名ですが、個人的なものなので構わないと思い書きます。 ステマ野郎と呼ばれても笑う。 何を隠そう、私のペットボトル緑茶バージンを奪ったのが彼。彼は出会った頃から、美しく締まったボディをしていた。中学生の頃だったと思う。友達と遊ぶときに、コンビニや駄菓子屋でペットボトルの飲み物を買うようになった。ボウリングに行くとき、映画を観るとき(ごめんなさいカバンやおなかにこっそり入れていました)、公園で野球をするとき、など。当時、コーラやサイダー、ビタミンC入りレモン系サイダ

『BLT』#93

ベーコン・レタス・トマト。 Bacon,Lettuce and Tomato. サンドイッチ、バーガーに合わせる三揃い。ベーコンの脂と塩気、トマトの酸味と甘み、レタスのシャキシャキ歯ごたえ、見事な組み合わせだと思う。色合いにしてもそう。 どんなバーガー屋さんやサンドイッチ屋さんでも、コンビニで買うにしてもいい感じのが食べられて、自分で作るにしてもとても楽に作れて美味しい。そう、自分で作るにしたら美味しくできて、とても、作るのが楽。昔、思ったことがあってそれは、サンドイッチやハ

『造花』#94

フェイク、って言葉が「フェイクニュース」と呼ばれる、虚偽の情報で作られた偏向・誤報道の、SNS等での異常拡散によって目にする機会が多くなった。特に、テレビやラジオで聞く機会よりも、Twitterのタイムラインやニュースアプリでの「フェイクニュース拡散→否定→厭世観」の三段リツイート群で目にすることの方が圧倒的に多い。そんな、フェイクがより面白味と現実味をもって拡散されてしまう現状を、嘆いているのか楽しんでいるのかわかりかねる、ポスト・トゥルース(Post Truth)という言

『ウシ』#95

思い出せないだけかもしれない。これまで90本ちょっと書いてきて、動物を書いてなかったと思う。植物も書いていないか。馴染みのなさもあるかもしれないが、「単語」っていうテーマの縛りに対して「動植物」を挙げることを思いつかなかった、単語とみるにはしっくりこなかった、そういう気がしているがどうだったか。果物はあった、梨。ナシ。 ウシ。ンモォゥ。 モウ、と鳴くんだと思い込んでいた、そういう音だと思い込んでいたけれど、このあいだ五十嵐大介さんの漫画「魔女」を読んだとき、動物の鳴き声が一般

『石鹸』#90

それ自体のことだけを書こうというものではない。主題は「漢字」であるとも言える。わたしは一度だけ、この「鹸」の字を書けるようになりたいと思って練習(と言っても、名称が出た時に漢字で毎回書くようにした、という慣らし程度)をして覚えた。覚える必要があったかと言えば、無い。書く機会も少ないし、常用漢字でもないし。ただ、「薔薇」についても言えるが、書けるとかっこいいからって理由で覚えた。漢字自体もかっこいいからそれも理由にある。歳を重ねるうちの成長過程に引っかかった、と言える。 そうい

『滞留』#89

noteの更新が滞っている。いつもそうだった。日記は長く続かず、手帳は半期で飽きて、洗面所のタオルは毎週変えることもままならぬ。ポケットのハンカチが入ったまま洗濯して次にまたそのズボンを穿くこともある。とにかくズボラなのである。うまく習慣的に続いていることといえばランニングくらいなもので、たぶん2、3日に1回という、冗長的な規則がうまく効いているのだと思う。いまの部分、巧みにやればもう100文字くらい書けたと思うのに、早々に滞留の回避方法のひとつを明かしてしまった。愚図だな。

『東海道線』#88

東京から、小田原、国府津、熱海。この電車が最寄駅を通って走ってくれていることが、とても幸福でありがたいことなのだなと思ったのは最近のこと。いや、2、3年前ではあるけれど、最近として差し支えない歳になったか。 東京駅から、小田原、国府津、熱海。子どもの頃から、「遠くにいける電車がある」、「電車に乗ったら遠くに行ける」、そんなふうに電車への憧れとロマンを宿してくれた、それに、広い日本の途方もなさを思い知らせてくれた。 東海道っていうのが、江戸時代からの街道であると知ったのは小学生

『IPA』#87

India Pale Ale、インディア・ペール・エール。苦くて苦くて、銅のような赤みのあるあの、長くぬるく楽しめるビール。 なんとなくいまものすごくビールを飲みたい気分になっていて、脳のなかのイメージ図像は冷えたグラスにタプタプと注がれるキンキンに冷えたアサヒスーパードライのCMばりのシーンなのだが、少しずつ口の中では辛口でなく苦味をもったあのインディア・ペール・エールの旨さを求める機運が高まってきている。脳の映像イメージと、舌の求める味のイメージがずれている。 ふだん居酒

『死角』#82

その概念が好き。存在しているなのに視野に捉えられず(視野内にあったとしても)見えていないもの、その「もの」自体も好きだし、ものに依らずその概念も好きだ。 中学の頃だったろうか、テレビ番組の世界一受けたい授業で脳科学者の茂木健一郎さんが講義していた「アハ体験」は、すごいことだと思った。数十秒間の映像のなかで、静止画のように見えるけれど実は一部分が徐々に変化している。最初と最後の静止画を見比べると、変化は一目瞭然。しかし、映像を見ている最中にはなかなか気づかない。その変化に気づけ

『海』#83

怖いと思ったことは、今まで無かったし、これからまた怖いと思うこともないんだろうと思う。だけど、7年前から、怖いと思う人が現れたり多くなったり、そういうことがあったんじゃないかとは思う。自分自身は溺れそうになったとき刹那的に「怖い」と思ったことはあったけれど、「怖い」と恒久的に思うことはなくて、それは大変にありがたいことなんだろう。 記憶と事実認識の風化が、とか言われるなかで、なにかを思うとするならばと思ったこと。そういえば「風化」って表現の仕方について、大手の媒体では見ないけ

『九九』#81

覚えてから早20年、念仏は唱えられなくても九九は普段唱えることのない今でも、いんいちがいち、そこから、くくはちじゅういち、ここまで何も煩うこともなく言える。 なんみょうほうれんげきょうより、なむあみだぶつより、般若心経が唱えられなくたって、日本人には共通して唱和できる九九がある。国歌の君が代も、トトロのさんぽも、何番かでわからなくなることがある。 因数分解より、三角関数の定理より、微分方程式より、何より九九を唱えられなければ算数から数学をすることができない(こないだ試し読みし

『キムチ』#80

物心がついたころから冷蔵庫にあって、いまでもしっかり中段の手の届くところに置かれていて、三食のうち一度は取り出して食卓に並べる。 たくあんでもなく、きゅうりのきゅーちゃんでもなく、漬物ポジションを不動のものにして食卓に居並ぶ。 他の家庭ではどんなポジションにいるのだろうか。 韓国料理ふうのおかずのときにアレンジなどされて出てくるそんなポジションか、焼肉や鍋物の日に買ってきてそのまま冷蔵庫の肥やしになって最終的に豚キムチに化けるポジションか、あるいは量り売りなどする専門店でこだ