『死角』#82

その概念が好き。存在しているなのに視野に捉えられず(視野内にあったとしても)見えていないもの、その「もの」自体も好きだし、ものに依らずその概念も好きだ。
中学の頃だったろうか、テレビ番組の世界一受けたい授業で脳科学者の茂木健一郎さんが講義していた「アハ体験」は、すごいことだと思った。数十秒間の映像のなかで、静止画のように見えるけれど実は一部分が徐々に変化している。最初と最後の静止画を見比べると、変化は一目瞭然。しかし、映像を見ている最中にはなかなか気づかない。その変化に気づけた瞬間、脳内に刺激が走る快感体験、これをアハ体験と紹介されていた(このネーミングが正式というか、学問的に規定されているのかわからないので書き方に悩む)。
見えているはずなのに、意識に捉えられない。だんだん、この書き方も気になってくる。“意識に捉え”るって、それは、正しい表現なのか。そもそも、表現に正しさという指標があるのか。あるだろうか。疑いなく正しい表現。糖分の多い食べ物に「甘い」と表現するのは正しいように思う、しかしこれを表現と言うのかといえばなんとなく、表現の二義性において気にかかる。「(端的に、隠れているものを見えるように)表す」意味と、「(ある対象を、言語や描画や楽曲など、媒体・手段を工夫して伝えるため)表す」意味で、二義的な「表現」という単語。弁証のどツボにはまるのでやめよう。
話が逸れたが、先述後者の「表現行為」においても、「見えているはずなのに、意識に捉えられない」ものを見える化することで大きな効果をもたらすことがある。わたしが記憶に残っているなかで、名コピー・名CMかなと思ったうちのひとつに、日産のセレナのCMがある。わたしが小学生か中学生くらいの頃、2000年前後だろう、子どもが森や川で遊ぶ姿や街中の八百屋でおばちゃんと話してる姿を、親が撮影しているアングルの映像に、ディランの歌がバックに流れる。楽しげだったり不安げだったり、表情が変わる子どもが微笑ましい。その映像の最後、「モノより思い出」、というコピーが表れ、ナレーションが入る。車の、8人乗りのミニバン、日産セレナのCMであって、ずばり、モノの宣伝なのだ。モノの宣伝なのだが、ミニバンを求める理由こそ、親子でも友人とでも色んなところにワイワイと出かけていく楽しさがあるためで、ユーザー・購買者の目的であり動機である「思い出」が目に・耳に刺さる。あのCMの企画担当者なのかアートディレクターなのかコピーライターなのか、誰が考えたのかは知らないところだが、視聴者の潜在意識を突き、広告製作者として常套手段であろう「モノの良さのアピール」でない購入者目的にスポットを当てて作り上げことにたいへん感服する。製作段階で「モノより思い出」が閃いた瞬間の、そして、それが見える視座に立てた瞬間の、その人の気持ちよさはどれほどだったろうか。
そういえば「閃き」という言葉は「閃光」という熟語に同じ漢字を用いるけれど、これもまた「見えていないところ」を元にして意味を持つ言葉なのだなと、ハッとした。

#死角 #180310

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?