『キムチ』#80

物心がついたころから冷蔵庫にあって、いまでもしっかり中段の手の届くところに置かれていて、三食のうち一度は取り出して食卓に並べる。
たくあんでもなく、きゅうりのきゅーちゃんでもなく、漬物ポジションを不動のものにして食卓に居並ぶ。
他の家庭ではどんなポジションにいるのだろうか。
韓国料理ふうのおかずのときにアレンジなどされて出てくるそんなポジションか、焼肉や鍋物の日に買ってきてそのまま冷蔵庫の肥やしになって最終的に豚キムチに化けるポジションか、あるいは量り売りなどする専門店でこだわりの品々が入れ替わり立ち替わり登場するようなポジションか。汎用性は高いように思える。思えるがしかし、あの強めなにおいは他を圧倒する。家庭料理とはいえど和食は繊細な香りと味で構成されているもの。そこに、あの、フタを開けるや空間を支配する唐辛子とニラとニンニクのにおい。開けてから時間をおかないと、別のおかずを食べていても脳内のイメージがすり替わる。まだ、スーパーで売っている300gほどのプラ容器のはニラが入っていることが少ないしニンニクも弱めだから支配力は中の上ぐらいだろう。近所にある、テレビでも時々放送される専門店「慶」のは特ランク。ニラ、ニンニク、唐辛子、それになんだ、乳酸菌ににおいはあるのか、ザ・発酵、というにおいが袋(そう、パックの密閉力はたいへん弱い)からどんどん出てくる。ただ、その押し寄せる怒涛のにおいは、もれなく口内を唾液で満たす。直感的に「うまそう」と反応する。
大学時代のバイト先の焼肉屋に、韓国出身の人が前菜とご飯ものの担当でいた。いつもまかないをたらふく食べさせてくれるやさしいパンダのようなひと(韓国なんだけどね)。このひとがつくるキムチもまた、格別だった。週に一回は、でかいキッチンポットに仕込んでいた。白菜のと、きゅうりのオイキムチと、大根のカクテキ。どれも辛さは控えめ(むしろ、辛くない)で、とにかく旨味がすごい。特に白菜のときゅうりのはすごかった。甘い、と錯覚する旨味。唐辛子をバンバンにすりこんでいるし、っていうか唐辛子しか混ぜてないんじゃないかと思う(見ていた限り)んだけど、何かが起きていた。あのステンレスポットの中で。まかないの時に、だいたいキムチをおかずに付けてくれる。尋常じゃない量が出る、もはやフードファイトのようなまかないは、どんぶり飯すりきり(1合半くらいかな)、どんぶりのスープ(ユッケジャンだったり卵野菜だったりコムタンだったり)、肉と山盛りサラダ(だいたい、千切りキャベツの在庫処分。チーフの千切りは速くてそして美しかったな)。そしてご飯にキムチがちょこんと乗ってくる。やっぱり、漬物ポジションであることは間違いない。もう一度食べたいな、閉店してしまったのが本当に寂しい。最後に、閉店前に行ったときのあの別れの雰囲気は、バイトを辞めるときの別れの雰囲気とは全然違って、「一人去る」のとは違う「離散」の寄る辺なさがあった。
かつて高校生の頃、夜中にあまりに腹が減ったとき、低カロリーさと食物繊維と乳酸菌の万能さに頼って、冷蔵庫の前で暗いなか食べてたことがある。唾液が出るし噛むから満足度が高かった。
三食に加えて、間食まで。ユーティリティプレーヤーである。

#キムチ #180308

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