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形容詞/Adjective

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『暑い』 #363

どちらかと言えば暑さには強い方で、尋常じゃない量の汗を出すけれど、汗を出すから、暑いなーと感じていても活動量は落ちないしどちらかと言えば生き生きと動けるし、こと熱中症にもならない。一度だけ、真夏にテトラポットの上で昼寝をしたんだったかどうだったか、とりあえず海辺で日に当たりながらのんびりとしていたら熱中症みたいな感じで食欲がなくなったことだけはあった。確かその日は夜に川崎で激辛い刀削麺を食べてビールを飲んだ、んだったと思う。 今年の夏も暑かった。そう、振り返るような夜で外から

『かゆい』#359

太ももとかお尻がかゆい。全体的に、広く皮膚がかゆい。ここ数年、冬になるとかゆくなる。乾燥しているのだろう、ハンドクリームなどを風呂上がりに塗った翌日から数日間は、そのかゆみがおさまる。「ああ、かゆくない。煩わしさから解放された、良かった」と数日間を歓喜のままに浮ついていればそののち、またかゆみに襲われる。自然の道理だ。空気は乾燥していて、肌は次第に乾燥していくもの。何度も何度もこのかゆみの拘束と解放とを繰り返しているうちに冬の寒さは一段と厳しくなっていく。何度目かわからないか

『でっかい』#332

大きい、で書こうと思ったのは十数秒前、直後突然に脳内で、モー娘。のあれが流れた。歌い出しのフレーズ。 でっかいでっかい宇宙にある、まーるいまーるい地球で。 ちっちゃなちっちゃな思いやりが、でっかなでっかな愛となる。 これ。よくこんなにくだけた歌詞を、作詞できるもんだなと感服した。いきなりなんのこっちゃと思うけど思考はいつ何時どこへ接続していくかわかったもんじゃない。サッカーボールくらいの大きさの頭の中にもでっかいでっかい宇宙がある。相対的宇宙。 ふだんなかなか使うこともないし

『難しい』#317

ここ最近気になっているワード。自分でも口にするし、他者の口から聞くこともある。というか、最近、増えてきたな、と思うのがこの言葉だ。 厄介な問題事を抱えて、対策を考える。うまくいかなくて、また考える。それもうまくいかず、突破の糸口が見つけられず唸る。そうして言う。「難しい」。 またあるとき、頭の中でイメージしていることを誰かに伝えようと言葉を練る。練り上げた言葉で相手に話してみる。相手から「こういうことかな」と反応が返ってくるも、どうもうまく伝わっていない気がする。もっと具体的

『近い』#294

このあいだ『遠い』ことについて書いたとき、どうして書かなかったんだろう、と思ってることがひとつ。川上弘美さんの小説に「どこから行っても遠い町」というのがある。そのこと。 その小説はいくつかの短編でなっていて、ある町を舞台にしたいくつかの人物・まとまりにフォーカスした群像劇になっている。メインに据えられるのは商店街とそこにある魚屋、そこの主人とそこに居候している男性、二人ともそこそこに歳を経ていて、一人の女性に関してそれぞれに過去を持つ二人が、なぜか、同じ屋根の下(居候している

『遠い』#289

何が遠いって、365が遠い。Tumblrのときも書くのに手こずってはいたけれど、淡々とその日に書けることを書いて写真を付けたりして何だかんだ1年(年始は数日のビハインドが発生したけど)連ねることは何だかんだ「あぁ1年経ったな」って軽く思えるくらいには楽な気持ちで連ねることはできていた。 いまのスタイルは、一単語について千文字くらいって縛りを設けているからか、文字量としても話題的にも不自由なところがある。ただ、制約なしの全くの自由にされるとそれはそれで取りつく島が無いわけだから

『荒い』#261

自分の振る舞いの、効果の見通しと正確性について、大括りで言う仕事をするようになって、しばしば思う。しばしば思い、そのたびに苦悶し、反省をするもののどうやらそれは自分自身でも気づかぬ表面上のことでしかなく、細かいか荒いかで言えばまた、荒い仕事をしてしまっている。 よく、頑固であるとか、自分の意思を曲げないとか、あとは他人に興味ないとか、そういうことを、言われる。幸いになのか不幸になのか、自分勝手であるとか自己中心的であるとか独善的であるとか、明確な非難めいた言葉では言われない。

『軽い』#229

物体の鉛直方向の速さは、垂直落下するときには重い方が加速度が大きくなり、早くに速くなる。それはそうと。 F-1などカーレースや、ぐっとスケールを小さくしたミニ四駆などのボビーにおいて、速さと軽さの関係はかなり密接なものとして思われた。思われていた。子供の頃の話。小学生くらいの頃、ミニ四駆とそれを題材にした漫画が流行った。その後も形を変えて、モーターで走るマシンは次々に出ていた。流行ったあのころ、「肉抜き」という言葉も合わさって流行っていた。夢中だった。肉抜きに夢中になった結果

『速い』#228

自分が、ある速度をもった移動物体それ自体であるかあるいはその物体と同期しているか、そのとき、加速を続けていくと、ある速度を超えたときに恐怖を感じることがある。速すぎる、と。それは逆のことでもいえることがあって、遅すぎる、それにも恐怖を感じるときがある。 それはひとえに、経験と本能、これで片がつく話でありそうな予感と予想をしている、けれどもこれまで本能的・反射的に感じながらも言葉や文字にして外部化してこなかったから改めて書いてみようかと思ったところ。今夜のランニングではペースを

『尊い』#213

近ごろ耳にするように、目にするようになった言葉の1つ。名詞の頭について修飾する用法よりも、文末で主語と同等の補語として使われる用法として。もはや感動詞的な使い方でもある。「尊い」。 何かを指して「いい」とするための言葉はどんどん増える。それと同時にどんどん減る。減るというか、使われなくなる。思い出せる限りでは、チョベリグ(超ベリーグッド)、あとは「よき」「よさみ」も近い日の言葉だったけれど見かけなくなった。なんとなくだけど、抽象的に何にでも使える「よい」の変形語は、耳が飽きる

『辛い』#157

からいのとつらいのとはどちらも痛覚的である、として共通しているのだよなと思い込んでいますが合ってますか。 辛い食べ物、とても好きでたぶん得意か得意じゃないかでいえば得意なメンタルなんだけど許容か許容かじゃないかといえば許容じゃないのが内臓。初歩的にキムチやビビンパ、赤い韓国料理は全般的に好きだしタイ料理や近辺諸国の緑の東南料理も好きだ。沖縄のこーれーぐーすーは焼酎の香りでちょっと難あり。家の冷蔵庫に必ずキムチが入っていることで慣らされたのか、あるいは舌バカで痛覚が狂っているの

『暗い』#143

夜中、布団の中でスリフリと画面をいじりながら書くことが少なくない(私の「少なくない」基準、割合はおよそ4割5分、45パーセント)。じぶんの部屋で書いたらいいのだけれど、最終的に布団の中でもいいかと思ってしまって、睡眠前の最終地点に流れ着いてしまう。うちは家族みんなで雑魚寝なので、画面をむこうに向けて打ち込むことも憚るので毛布の中にごそごそと潜る。なるべく物音を立てないようにして淡々と打ち込む。中学生や高校生のころの深夜のメールと、スタイルは変わらない。あのころはボタンを打つ音

『眩しい』#126

夜勤明け、外に出るなり朝の明るい街中を見るとき、「あぁ、くたびれた、今日もよく働いた」「気持ちのいい朝だ」「おなかが空いた」とか色々思うことはあるけれど、朝の日の光を感じて思うことは漏れなく「眩しい」ということ。 暗い夜の時間帯から室内で働き始め、仄暗い人工照明のなかを動き回り、しかし朝5時を過ぎる頃には一部室内にはロールスクリーンの隙間から日が差し込む。そのときには、眩しい、というより、明るい、という感想が浮かぶんだ。自分の目に差し込む日光としての感受ではなくてそれは部屋の

『白い』#86

これほど難解なものはない。イラストやコラージュグラフィックや写真、マグカップや皿、シャツやノートに至るまで、白系統のものが好きなのだが、一切汚せない白よりうっすら黄味がかっている、よくオフホワイトと言われるあたりまでが好色の範囲(意味合いが変わるか)。マグカップについては蚤の市や古道具屋にいったときに好みのがあったら買ってしまうのだが今のところ白系統のが5つある。使うでもなく眺めている。ただ、どれもやはり真っ白いものでもなく、練りあがったときな混ざった暗い粒や、使い込まれた黒